2016-01-12

読書感想文が辛い理由が少しわかった

読書感想文を書くことが辛いという理由が全くわからなかった

というか、自分にとって感想文や作文というのはむしろ会話より楽なものだったのだ。

誰にも邪魔されずに、自分の言いたいことを一通り書ける。このことは何よりも自分自由にさせた。

普段から会話が得意な方ではない。人と会話している時の、「お前より優れている」感が苦手なのだ

会話の先には理解を深め合ったらいだとか何かしらの解決があってしかりだと思っている。

それなのに、やれ「自分はこんなことを知ってる」だの「その考えよりもこっちの考えのほうがすぐれている」だのばかりを返してくる人間が多すぎる。

ちがう。大切なのは考え方の是非よりも、その仮定を持ってして何に挑んだかなのだ

結果が想定と違えば、その時はじめて理論を見なおせばいい。

大概そうしたポジションを取りたがる相手は、実践が足りてないし根拠が足りてない。

ただ、相手は自分より立場を上に保ちたいがためにコミュニケーションを消費していくのだ。

そんな人間に消費されるのはごめんだし、そんな無駄時間を過ごしたくない。

そういう議論にならないように気を使いながら話をしなくてはいけないからこそ自分は会話が苦手だし、最後まで言いたいことを書ける文章が好きだった。

ところが最近になって、自分メールやらLINEやらが苦手なことに気がついたのだ。

なぜなら、相手の反応を考えて文章を組み立てる必要があるからだ。

そこに来て「既読スルー」なる言葉さら自分を追い込む。

まるで既読後にすぐに返事をしなくてはいけない焦燥感に駆られるのだ。

時に、スマホ片手に1時間近く返事を書いては消してを繰り返すことがある。

そこで先程の話に戻るわけだが、自分文章を書くときになぜ自由だと感じていたのかといえば、そこに相手の反応を期待していないからなのだ

読書感想文や作文は、自分にとって投げっぱなしでいいものだった。

特定の相手を意識するのではなく、自分の考えたことをただまとめてアウトプットするだけの作業なのだ

ところがメールやらは違う。

その先にあいてのリアクションがある。そんなつまらないことに神経をすり減らす必要があるのだ。

あぁそうか。

同じなのだ。そこに相手が見えているかどうかの違いなのだ

そこまでわかった時、自分も同じ問題を抱えていることに気がついた。

世の中から無条件に偉そうにしてくる人間がいなくなってくれればいいのに

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