2015-08-10

まだら鱗粉

好きな女性がいる。

もう10年近く一緒の職場で働いている。

いわゆる一目惚れだ。

自慢ではないが彼女を好きだという感情が揺らいだことはこの10年で一度もない。

いつ何時も彼女の姿を目にすれば胸は高鳴るし彼女の声を聞けば魂が潤いを取り戻すことがわかるのだ。

彼女自分のものにしたい。そう願ったことがなかったわけではない。

しかし、彼女自分にとって大切な人過ぎたのだ。

初恋の人を覚えているだろうか。

憧れのその女性は、自分なんかの存在を意に介する事無くひたすらに無邪気だった。

恋とか愛とかなんて意味もよく知らなかった自分は、ただただ衝動的な感情支配されるがままにその姿を眺めるだけが精一杯だ。

しかしそれで十分だったのだ。

幼いころに蝶を捕まえたことがある。

その美しさを独り占めしようと、乱暴に網を振り回していた。

ようやっとの思いで捕まえた蝶は、鱗粉で純白の網を汚し羽は脆くも綻んでしまっていた。

つまみ出した指はどうやってもまだらに汚れてしまうのだ。

何匹捕まえようとも、自分にはきれいな姿を保ったまま捕らえる方法がわからないままだった。

それで悟ったのだ。蝶が美しいのは、誰に邪魔されるでもなく花から花へと自由気ままに舞い続けているからにほかならないのだということを。

同じように、自分彼女幸せにできないことは出会った瞬間にわかっていたのだ。

自分にはどうしたって彼女自由に舞い遊ぶ姿を邪魔しない方法なんてないのだから

たかだか自分エゴで汚すには、彼女は美しすぎたのだ。

しかしたら他の人を好きになれば忘れられるのかもしれない。

そう思って、今は別の女性結婚して二人の子供まで授かった。

誰かに幸せかと聞かれたなら一切の躊躇なくそうだと答えるだろう。

例え地獄閻魔の前でさえ同じように答えられる自信がある。

そんなことで自分家族が少しでも幸せに疑いをもつなんてことは耐えられないのだ。

こんな自分のために家族になってくれたのだから地獄に落ちようともその幸せを信じさせてやりたいのだ。

しかし、もし誰にも伝わる可能性がない中で聞かれるなら答えはノーだ。

いくら強がっていても、自分彼女が欲しかったのだ。自分が欲しかったのは彼女だけだったのだ。

我が子がこの世で初めての鳴き声を上げた瞬間も、子どもたちが無償の愛を持って全身で飛んで抱きついてくる瞬間も、抱き上げようとする手が鱗粉でべっとりと汚れているような気がして躊躇してしまった。

それからもまるで心にぽっかりと黒い穴が口を開けているかのように、湧き上がる喜びは心を満たすことなくすぐさまその穴から流れでていってしまうのだった。

いつか自分自身もその穴に吸い込まれしまうのだろう。

かめことなんてなくともその穴は地獄につながっているに違いないのだ。もう自分には落ちていく以外に道がないのだから

家族天国でそのことに気付くのだろうか。だとすればなんと非道い話だろう。

どちらに進もうとも苦しみしか存在しない道を歩ませるなんて、神とはなんて残酷存在なのだ

そうして今日彼女背中を見つめている。

つつましくも目の前にある幸せと、両の手のひらを鱗粉でべっとりと汚したいという衝動とを見比べるかのように。

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