「死にたいなあ」
が、口癖になりつつある友人。元々精神が病んでいたらしいけど、ん年前に出会ってしまったクズな元彼氏にズタボロにされてから、よく私に「死にたいなあ」と言うようになった。
数年前は病院を薦めたり(元々通院はしているらしいけど)、生きて欲しいと伝えていたのだけど、最近は「そうなんだ」と短く返すことしかできない。
「私が不幸になればなるほど、彼が幸せになっていく気がする。私が死ねばもっと彼は幸せになるんじゃないかな」
彼女は運転しながら言う。私に心配させない為か、乾いた笑みで。震えた声で。
私は「そんなことないよ」としか返せない。暗く夜に沈んだ街並みを、ぼうっと眺めながら、論理もへったくれもない彼女の言葉を聞くことしかできない。
薬も、医者も、私も、彼女の周りにとりまくものすべて彼女の悩みから解放してくれる存在なんてものはなく、まぁせいぜい元彼氏に「一緒に生きていこう」と言われたら、一時期、あるいは数十年はその悩みは静かなものになるんだろうけど、結局友人が「この問題はおしまい」と納得しない限り、終わらないものなんだろうと思う。
そして、それを言ったところで、彼女は余計自分を責めてしまうだけで、何も変わりはしない。
「もうどうしたらいいのか分からないよ」
「分かるよ、その気持ち」
「どうして生まれちゃったんだろうなあ」
へらへら軽い口調で言っているけれど、なんだか、本当に自殺してしまうんじゃなかろうかと思える声だった。
「死なないでほしい」
友人は「うん」と短く返してくる。これは同意でも、受け止めたわけでも、ない、と思う。どこか他人事のような、どうでもよさそうに返してくる。ネガティヴな言葉は無駄にキャッチされまくっているだろうが、ポジティブな言葉は掃いて捨てられているんだろう。あるいは湾曲され「こんなに応援されているのに自分は駄目だー」と、マイナス面を強化する言葉になる。きっと。そんな気がする。
「じゃあ、またね」
私は車から降り、発車する姿を見送った。
友人の人生は友人しか背負えない。私の人生は私でしか成り立たないように。
故に、同じ世界で生きている人々を尊敬し、時には助け合い、自分の人生を生きていくのだと、私は思っている。
私は友人に生きて欲しいけれど、友人の人生を生きられない。友人しか生きられない。無責任に「生きてくれ」なんておこがましいにもほどがある。嘔吐と戦う彼女に、精神が病み薬なしでは生きられない彼女に、苦痛ばかり味わっている彼女に、生きろというのはあまりにも身勝手だ。
それでも生きていてほしい。ほしいんだ。
もしその人が死んだら、あなたはその後少しの間寝覚めが悪いかもしれない。 けれど自分が相手の「新しい生きる意味」になってあげられない程度の気持ちなら 気安く生きてほしいなど...