2015-04-01

子供の声は騒音ではないとはいうけどさ

東京都は「子供の声を騒音から外す」ということを決定した。どうやら保育園新設の邪魔になるかららしい。

そして「寛容性があれば子供の声は騒音に思わないはずだ」という理由で、この決定を支持する人は多い。

確かに保育園の園庭で子供が伸び伸びと遊べるのは大事なことだと思うし、そこは否定しない。

しかしそれが「子供の声を騒音から外す。対策は寛容性を持つこと。」となるのは理解できない。

 

1.音の感じ方は人によって違い、寛容性は処方箋たりえない 

親戚で一人、犬の鳴き声の所為精神を病んだ人がいる。

自分は何とも思わなかったが、その親戚はそれこそ地獄のような苦しみを味わい続けたという。

実際騒音問題に関しては、ある人は何とも思わなくとも別の人は苦しみを味わうということがよくある。

騒音に対し「寛容性を持て」という向きもあるだろう。しかし「寛容性を持て」と言われたところで、騒音の苦しみから解放されるわけではない。

2.どのような音も騒音になりうる

また、閾値を超えればどのような音も騒音になりうる。クラシック名曲だろうがジェットエンジンの音だろうが騒音になりうる。

そして閾値を超えれば、子供の声ですら騒音になりうるのである

加えて「子供は元気に、大きな声で遊ぶのがいい」という価値観が浸透している。

その価値観内面化した子供は大きな声で遊ぶことで、結果閾値を超えてしま騒音に成り果ててしまうことも起こりうる。

 

子供たちが伸び伸びと遊べる環境必要である。そしてそういう場所必要であると思う。

しか閾値を超えた子供の音は騒音になりうる。そしてその音によって苦しめられても「寛容性を持て」で片づけられては、苦しめられている方もたまらないだろう。

個人的には子供か近隣住民どちらかだけに負担を強いる方法ではなく、双方の負担が最小限に住む方法をとる方が望ましいと思う。

この場合子供をのびのびと遊ばせる環境を整備しつつ、その音が近隣住民生活空間にまで侵入しないよう対策をとるということである

具体例としては、音を和らげるために植樹するとか、あるいは近隣世帯に二重サッシ設置の費用補助をするといったことがあげられる。

都の決定を見ているとどうも子ども権利だけを擁護して、近隣住民権利を完全に無視しているように思えてならない。

双方の権利を最大限に尊重しつつ調停するのが行政役割だと思っていたばかりに、都の決定には不可解さだけが残る。

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  • つかその条例がある事で、保育園側からしたらわざわざ金と手間暇を掛けて騒音を出さないようにする理由が無くなり、より騒音が酷くなるだろうし 住民側からしたら「一度保育園を作...

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