2014-09-13

ばぁちゃん、ごめん

少し前、祖母が亡くなった。

祖母が亡くなる1年ほど前に、祖父が亡くなった。


祖父は10年ほど前に脳梗塞を患い、その後遺症から、物忘れが激しくなった。

俺は大学に在学中、そして社会人になってからも、可能な限り実家に帰り、祖父母に顔を見せていた。


俺の親は共働きだったので、小学生の頃は、学校が終われば、近所の祖父母の家に行って、親の仕事が終わるのを待つのが日課だった。

祖母の見よう見まねで料理を覚え、祖父の夕飯にも出した。

うまいうまい。これは将来料理人だな!」と言ってくれたことが今でも忘れられない。


病気で寝込んだとき、世話してくれるのも祖母だった。

病弱だった俺が熱を出すたび、祖母は車の免許が無いからタクシー飛ばし総合病院に連れて行き、

本当につきっきりで看病してくれた。


祖父母には、書き連ねることが出来ないくらい、沢山の恩がある。

大学生になって、離れて暮らすようになったけど、できる限り顔を見せに行こう。

それが、自分に出来る精一杯の恩返しだと思ったから。


盆と正月は必ず帰省するようにしていた。

祖父母に顔を見せ、他愛の無い話をする。

物忘れが激しくなった祖父の話は、同じ話を繰り返す。が、それでも聞いて受け答えする。

母親が言う。「あんた、よくずっとおじいさんの話聞いてられるねぇ。」

俺は特に苦痛は感じなかった。祖父の中の俺の記憶が薄れてきているのを感じてはいたが、それでも苦にならなかった。

何年かそんな状態が続いたが、祖父は入院し、そのまま天に召された、


少しは恩を返すことができただろうか? と、そんなことを思っている暇は無かった。

祖父が入院してから、祖母もおかしくなった。

アルツハイマーだそうだ。

から晩まで、居間でぼーっとしている。暗くなっても電気もつけずに。


祖父がいない初めての正月アルツハイマーが進行した祖母は、地元を離れて10年以上経っている俺のことを、ほとんど覚えていなかった。

あんなに明るく朗らかだった祖母は、もうそこにはいない。いるのは、小さく弱々しくなった、俺のことを覚えていない祖母。


俺はそれが辛くて耐えられなかった。

何かと用事をつけて、実家に帰らなくなった。

それが続いて1年、祖母も後を追うように天に召された。


生前どれだけ感謝しても足りないくらいの恩があるのに、

これ以上自分が傷つくのを恐れて、恩返しが出来なかった。


納棺前に亡骸の顔を拭く時、「長い間ありがとう。ごめんね。」

泣いてかすれた声で、そう言うのが精一杯だった。


こんなところで言っても届かないことは分かってる。けど、言わせてくれ。

「ばぁちゃん、ずっと世話してもらって、いっぱい迷惑かけたね。長い間ありがとう

 また、天国でじーじゃんと仲良く暮らしてくれ。

 いつになるかは分からないけど、俺がそっちに行ったときは、またあのときみたいに、

 ばーちゃんと晩飯作って、じーちゃんに食べてもらいたいな。」

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