http://tocana.jp/2014/03/post_3808.html
これ、増田の記事見て書いたんちゃうか、っていうレベルの低次元なんだが。。。
(しらんけど、このサイト、最近無駄にはてブに乗りまくってる。低レベルすぎるのでぜひとも皆様には自制してもらいたい)
ソーカルがやったことは、ポストモダニストの論文誌に対して論文を投げたこと。
それらの業界では、数式や物理学を、さも理解しているかのように持ち出し、それを用いて事象を説明していたりしていた。
それを、実際に数学者や物理学者から見ると意味不明なことが多く(ただ、哲学的な「思想」の部分はそちらの専門なので、単に否定はできるものではなかった)
では、実際どこまで数式や物理学を理解しているか、ということでデタラメな論文を送った。
この「でたらめな論文」というものは、決して「捏造」ではなく、見ればすぐに間違いが分かるもの。
きちんと読めばおかしい、と誰もが(少なくとも数式やその物理理論を理解していれば)気づけるもの。
ただし、この雑誌はそもそも査読をきちんと外部の有識者が行っていたわけではないので、100%その業界を否定できるものではない。
(もしかしたらポストモダニストの中には本当に理解していた人も少なからず居たかもしれない)
ただ、評価されている雑誌、において、その雑誌に載る意味はないのだ、ということは示せた。
一方、実験の世界での捏造ははっきり言って査読したからといって見抜けるものではない。
提出されたデータがそのように示してあれば、それを信じるしか無い。
勿論、査読する側は、それまで自分が得た経験を元に、その実験から得られるデータとして余りにおかしいと感じれば拒絶することもあろうが、
基本的に、実験手法、結果の導き方、に矛盾が無ければ否定しようが無い。否定するには自分で同じ実験を行わなければならない。
勿論、そのような最先端の結果、と言うのは、一回誰かが出来た!と発表したからといってそれを全員が全員信じる、なんてことはなく、
必ず同じような実験が他で行われ、それらが無矛盾だった場合に初めて全体として認められる。
同様の実験が不可能な様な巨大実験では、かならず独立した二つのチームが別々に実験、測定を行い、結果を出す、ということも行われる。
そこで初めて論文の正確性を見ることが出来る。