2013-08-08

ずっとずっと夢にみていました。

幼稚園児の頃から変態だったとおもう。

オナニーみたいなことは、「いけない」って知っていながらやっていたし、

父親の隠してた官能小説や、エロ本を見つけ出して陵辱される場面で興奮していた。

小学生の高学年になると女のひとの身体の機能は大体把握してた。

親はわたしのそんな癖を見抜いていて、兄弟の中で唯一1人部屋を与えられるのが遅れていた。

小学高学年から中学生にかけて、1人部屋を与えられたあとには、

毎夜レイプされる妄想オナニーしていたし、ダイヤルQ2に掛けまくって怒られた。

中学生になってネット環境が与えられると、官能小説をよみふけり、

ツーショットチャットに手を出して、喘ぎ方やセックスの手順を学んだ。

親のマッサージ機をローターがわりにしていたし、

そのころにはホモについてもビデオをみたりして理解していた。

そんなわたしは、地味すぎる見た目と、奥手すぎて「恋に恋して」おわる青春をすごした。

しかし、時が経つに連れて理想はどんどんたかくなり、「そんな人はいないよ」と周りにいわれるほど

偏った嗜好になっていた。

わたしはマゾだった。理想男性はわたしを飼って、犯してくれる、ある血液型の、天才肌。

すこし肉付きがよくて、やさしくて、でもものすごくサディスティックな、

一緒にやらしいことをたくさんしてくれる男性

一緒にいたら殺されてしまうほど、愛が深く、束縛してくれる男性

そんな人が現れない限り、わたしの処女はそのままだ、と思っていた。

しかし、ある日突然その人は現れた。

わたしの趣味や嗜好、嗜虐的で、でもものすごく奥手で臆病なわたしのことを理解して、

処女を捧げることに敬意をはらってくれた。

すごく怖がりで、人間不信だったわたしをほぐしてくれた。

その人に出会い恋人になり、肉体関係を結ぶまでに6ヶ月かかった。

処女を失った日は、服の下にM用のレザーボンテージと、いくつかのおもちゃをみにつけて、

知らぬ顔で街をあるき、彼に会ってすぐ、生まれて初めてフェラをした。

彼の男性器はとても美しい。人生で一番幸福だと思った。

わたしが処女を失ったのは25の冬だった。

それまで、わたしの恋愛観はずっと、「理想の人に出会い、一度きりの処女理想男性器に奪われ、犯されたい」

それだけだった。

まわりがどんどん恋人を作り、デートをして、セックスをする間も、

何一つ羨ましくなかった。だってわたしの理想はそんなものじゃなかったから。

処女は、自分を愛してくれるひとの愛と引き換えに失うものだと思った。

いまは、ものすごく愛が深く、やさしく縛ってくれる恋人出会って、

ほんとうに幸せ

からありがとうと言いたい。愛しています

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