数日前にホッテントリに入ってた増田記事にレスしようとしてたら消えてったっぽいので改めて記事を書く。ついでに今議論になっている幾つかの考え方についても、僕が思うことを言う。
大きないじめが報道があるとこの話題が必ず大きくフィーチャーされる。今もTVをつければその話題で持ちきりで、くだらん話ばかりを延々と・・・TVにかぎらずSNSも増田もだいたいそんなもんだ。で、いじめ問題で誰が悪いのか、だいたい4つくらいの類型で語られるように思う。(1)被害者、(2)加害者、(3)傍観者、(4)大人 とこんな感じ。
さすがにコレを主張する人は今日TVでは見かけられないし、ネットでも相手にされてないことが多いんだけど。
ただ1つ述べておきたいことがある。事実として、いじめられっ子が転校して別の学校に行って解決する場合もあるが、引き続きいじめられる例というのは実際にある。しかも、「いじめがない」と思われていた学校に転校して、いじめが起こらないように大人たちが配慮した上で生活していて、再びいじめられることがある。
このとき、確かに「いじめられる原因」はこの子にあるかもしれない。全部の原因がその子にあるとは言わないが、ちょっとくらい、その子に原因があることも考えられるかもしれない。
しかし、「原因」があると認めたからといって、果たしてその子が「悪い」と言えるのか。
もしその原因があることで、いじめられることが正当化されるなら、同じ原因を持っていたら同じいじめを受けなければならなくなる。しかしながら、同じ原因、同じ人でも環境によっていじめられないこともある。
であるとするならば、「いじめられる原因」をその子が100%持っていたとしても、その子のせいとして「いじめの正当化」はできない。
ここら辺まで書いたら疲れたので省略されました。結論まで一気に飛ぶ。内容は気合で察してください。
これまで、いじめ自体が発生するのは自然であること、「いじめの過程」自体は悪ではないこと、しかしいじめ自体は止めなければならないことを述べた。また、いじめ議論の主眼が、教育者からは加害者側に、親や世論からは被害者に置かれやすくなることを指摘した。
総合して、僕達は自分の子どもたちが加害者である視点をもつことが大切だと言いたい。多くの場合、自分の子どもがいじめに関わるとすれば残念ながら加害者の側だ。当然被害者となった我が子を救ってあげることは大切なのだが、加害者となっているときに親に言い出せず陰湿ないじめが悪化するケースも多い。
「愛しい我が子がいじめなどするわけない」という感情を我慢して、ひょっとしたら自分の子どもが加害者になっていないか、そういった視点で子供を見てあげて欲しい。
「いじめ」を犯罪と呼び直したとところで何がかわるのか。 逆に犯罪行為をいじめと称する事で、行為の悪質性が隠蔽されているだろ。そんな事も分からないのかバカ。 仮に呼び直...