2011-06-14

許容すること

3歳男児餓死。15キロ程あるはずの体重が5キロ母親から聴取…千葉

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110608-00000009-mai-soci

こうゆうネグレクト虐待ニュースがあると

”産んだなら最後まで責任もって育てるべき!”

ってゆう意見が多いと思うんだよねぇ・・・・

や、実際にそれは正論やし、それが理想なんだろうけど

親には親の事情もあると思うのさ。

(てか、あって欲しいとゆうか・・・)

出産に関しては望まなくても産まないといけなくなったケースって

色々思いつくよね。

金銭的な問題や、精神的な問題・・・・旦那さんの虐待ってのも。

誰もが選択できる環境で生きている訳じゃないし、

そもそも産んでしまってるんやから、そこを責めたってなんにもならないでしょ。

問題は育てられなかった場合

日本って国は倫理観が強いというか、型にはめたがるというか・・・

「こうでなくてはいけない!」ってルール結構多くって

それに外れた人達を排除する(いわゆる村八分)傾向にあるような気がします。

産んだら責任もって育てろ・・・そりゃそうだ。それが正しい。

でも、それができない人が育てようとするから

こうゆう事件が起こっちゃうんやないかなぁ・・・

育てられない理由が、金銭的にせよ、若さにせよ、性格にせよ、

「できない」ものは「できない」んでしょ?

そこを無理しようとするから歪みが起きちゃう。

人には得手不得手、向き不向きがかならずあって

どうがんばってもできない事ってのが十人十色にあると思うんですよね・・・・

この人達には「子育て」ができなかった。

要はそれだけの事。

でも、それは周りの人には受け入れられない。

「できない」って言ってしまった時点でどんな目にあうか・・・・

田舎なら尚更)

で、進むも戻るもできなくなった結果がネグレクト。って事かもしれませんよね。

努力は必要です。でも努力した結果「できない」と思った時は

素直に諦める勇気も必要なんじゃないのかな?

子育てができない!ってのが努力した結果なら

それはそれで仕方ないでしょ。

でも、自分ダメでも子供にはチャンスを与えてあげないと。

親が居なければ可哀そうかもしれない。

捨てられた傷は一生消えないかもしれない。

でも、自分が恥を忍んで手放し、誰かに託せば

少なくとも子供は生きられる。

非行に走るかもしれないし、

対人関係を築けずに引きこもりになるかもしれない。

でも生きてる。

生きてさえいれば、どうにでもなる。

産んだら育てなければいけない。そんな事ない。


私は子供を育てています

でも産んだ責任として育てている訳じゃない。

私は子供を育てたいと思っているから育てている。

この子達と一緒に生きていきたい。

成長をこの目で見ていたいと心の底から願っているから。

そうでないなら育てなくていい。

無責任だがやめてしまえばいい。

ただし、勘違いしてはいけない。

子供の命や人生まで奪ってはいけない。

子育てをやめるのは勝手だが、児童福祉施設でも他人の玄関の前でも

とにかく、子供を他の大人に託す。

それが、子供を産んだ事の責任であり、親として最低限の義務でしょう。

そして、子育てができなかった親を受け入れる。

そんな社会を作れれば、不幸な子供達が少しでも減るのではないでしょうか。

努力していきたいですよね。

育てられない親の為でなく、

生まれてきた小さな命の為に。

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