はてなキーワード: 主人公とは
ついに11を始めて驚いた。
4コマ漫画劇場の頃は壺やタンス漁るのはネタとして擦られてたのに、
平気で壺を投げ割るわ、カボチャを蹴り割るわ。
壊さなくてもいいだろうよ。昔は壺の中を漁る程度だったのに。
宝を盗まれるのを恐れてる住人の家に、煙突から侵入して宝箱開けて中身を奪ってくのとか、弁解の余地がない悪党ぶりなんだが。
虎に翼で、裕福な父親の元で暮らしてた時は何でも言えた主人公が
父も兄も夫も死んで自分が稼がないと家族が食えない状況になった途端に何も言えなくなるの、
・胃が痛くなるような映画だった
・「主人公」として入れ込めるか入れ込めないかの天秤がずっと揺れ続けて本編のストレス(否定ではない)と相まって彼氏いるなら〜までネタバレしてて観てるのに頭がずっと忙しかった
倫理的には「よくない」けど他の人がウルフオブウォールストリート主人公アイドル版と書いていたような法律的にアウトな事はやってないし社会人になったらこの行動力とか人を巻き込む力は間違いなく武器になるしもうストレスフル(否定ではない)すぎて途中から「これは社会人になってアイドルの夢は叶わなかったけどその後倫理感あかなりアレだが超敏腕レジェンドアイドルマネージャーになった主人公ちゃんの学生時代回想映画なんじゃ…」と自分に言い聞かせながら視聴してた 最後アイドルとしてやっていける所は少しご都合に感じた 主人公ちゃんは他の人の感想で見たような「カスの蛭魔妖一」的な魅力はあるけどアイドルとしての華とかわかりやすいキャッチーさは少し他のアイドルと比べると欠けるから裏方として異常な行動力とバイタリティで名を轟かせる方が将来解釈としてしっくりきた
いや夢が叶えられた「10年後」だからこそ振り返って「トラペジウム」というラストだからそんな事言っても公式のラストがそうならそうなんじゃろ!なんだけど
・理系女子はあのメガネ写真男子が好きだったということでおk? あのプールの笑顔→主人公ちゃん出てきてのムスーとかラストの写真展の感じ(久々に会ってあの手を振ってツーカー感は出んやろ)とか
理系男子空間にあんなに可愛い子がいたら100%好きに…なっちゃうだろうが!!!
・あのメガネ写真男子初見の「なんか受けっぺえ男子出てきたいや逆に攻めか?」感と「主人公ちゃんにぬいペニすんなよ…いや主人公ちゃんの自我の強さに押しつぶされそうだけど」という相反する気持ち あ、赤いドレス??!口紅???エッッッ こちとらギャグとして受け取る感性じゃねえんだわ
・偶然でも流れでもないんだ…全て主人公ちゃんに仕組まれたものなんだ…
・最初の「こっからアイドルグループメンバー集めるの…?覚えられるかな…?」からあまりに手際よく集められ頭にいれさせて頂いてほんまこの手際の良さ天才の所業すぎるだろ あの隠れてやる指の「〇人目確保」が特に天才全ての「示唆」的すぎる
・田舎でアイドルものあるある「田舎にこんな美少女が集まるかよ」
・これは観終わったあと感想書きたくなる作品 賛にしろ否にしろ
・元アイドルグループの人が書いただけあってアイドルグループの闇描写のエッセンスが的確なんやろなあ…→的確すぎて胃が痛くなりそう(否定ではない)です
特にエグすぎてかなり薄めてあったけど「一人だけ歌う→私だけ〜」とかがなんか色々生々しかった 口パクというかなんかそういう運営の機微的に対する感情の鬱憤蓄積 オタクが泣き出さない程度にかな〜〜〜り薄めてくれてるけど目茶苦茶色々あるんやろなあと思いました
・ラスト10年後の彼氏いた子が妊娠(2人目)してるのもよかった あの絵柄とか流される他映画予告から察されるメインターゲット層は男性のアイドル映画で女性の人生の選択肢の1つとして「結婚して妊娠する」っていうのをドン!って提示するのはかなり度胸がある選択をしてスゲェ〜!ってなった バービーのラストみたいな感動があった
しかし女萌え豚の自分が逆やられたらあたまがおかしくなりそう…
でも初見で「男好きそう」とか「彼氏いるなら〜」とか微妙に平成モテ意識女子みたいな制服着こなしとかこの子は相手いますを存分に知らせてもらってたから今回は心の受け身を取れた 己の中の矛盾…所詮処女厨
・上記の描写とか「君は…女の子が好きなの?」とか令和の映画だ…
みんなスーツとか大人っぽい服きて「顔老けてねえ!服以外変わってねえ!」じゃなくて時間の経過とライフステージの変遷を感じさせてくれる
適応しようとする心つよい 必要な時に他人をフォローしたりすき
・おじいさん×2の声は無理があるだろ!!
・カナダで〜英語話者〜とかは原作者?のアイドルの人からなのかな
・アイドルになれるけどならないなりたくないという強者の余裕 しかもロボコンで銀賞…?才色兼備すぎるだろ…
・予定が後に入ってる状態だとそこに若干意識取られてクソ〜ってなった 完全フリーの時に観たかった けど今日しか見れる日なかったんじゃ
・男性向けの恋愛ものは、ヒロイン候補全員が主人公に大なり小なり好意を抱いてる前提の作品がウケやすく
好意を向けられていることを疑問に思わないそう。
・女性向けの恋愛ものは逆で、好かれるのに理由が必ず必要になる。
理由はそれぞれでたとえば目標に向けて頑張っている・アイドル設定だから等を、丁寧に描写しないと納得しないそう。
以上理由でした。
こういった性差があるのだから、漠然と好かれてる事にストレスを感じる人が居るのは仕方ないと思おう。
どこがどう好きと理由を表明する事で成功率は上がりやすくなる。
ただし人によって好意の動機付けに納得するポイントは様々。的外れだと避けられ等が生まれる。
これなら好きな人とのコミュニケーションや観察をするポイントが明確になるよね。
喜ばれる好意の表明をしよう。
世の中には自分はサイコーだと思っていても、何故か、全く評価されず、あれは重版でこれは重版でないのはなんで?ということがたまにある。
なんでだろーとほわわんと思っているうちに、打ち切りになって、なんとなく胸にぽっかり穴が空いたような気持ちになる。
これまでは、それを受け入れて来たけれども、今どき、とりあえず狂気的な熱量でその魅力を発信すれば、一定の評価までいけるんじゃねと思い至った。思いついたら試してみたくなる性分で、自分の知るあらゆる場所で喚き散らそうと皆様のお目汚しさせて頂いております。
その漫画やら小説やらが、おもしろーと思う前提が大きく2つあると思ってる。
一つは、いかにうわぁーそれわかるわぁって深いところで思わされるかどうかである。
以下の人は、手に取ってもらえれば少なからず思うところがあるのではないかと思う。
●「馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない」を日常的にひしひしと感じている人
●自分に対して卑屈になって、大した事ない人間だと思っている人
他者はコントロールできず、自分自身のことしか、自分でコントロールできることはないという事実はは、人が幸せな人生を歩むうえで一番大切な考え方であると思う。
隣の芝は青く見える、アドラーの言う「他者と競争しない」ということ、古今東西誰かに嫉妬し凋落するという話は絶えない。
自分ではどうしようもないこと、他者との比較を駆り立てられるような仕組みが、今この世の中は多すぎる。そしてなぜだか、人の性質の一つとして自分が持っていない他人の何かに痛烈な魅力を感じてしまう。本来であれば、それは危機察知や、欲望等自分自身に向けることができれば、とてつもない力を発揮するはずであるのに、間違った使い方を推奨させるような、情報が蔓延ってしまっている。
自分の人生は自分のもので、他人と比較しようとどうしようと、結局自分が何を考えどう行動するかでしか、自分の人生は動かないという事を痛烈に感じさせてくれる。
主人公がその事を少しずつでも確実的に自覚するに連れて、心臓をえぐり取られるような衝撃が体を走り、一旦目を閉じ深呼吸することを強いられる。
嫌われる勇気読んだ人とかも、読んでないけど興味がある人も、この作品を足がかりにしてから、解像度が上がるかもしれん。
自分の人生を幸福にするためのヒントがわかりやすく散りばめられているこの本を読まん奴は本当に損だと思う。
弱いと思ってたやつが実は強い、正体不明の助けてくれた相手は、実はめちゃくちゃ権力者でひょんなことからコネが出来る等々。
葬送のフリーレンも、勇者が死んだあとのストーリーがエモいと言う部分にフォーカスされがちで、言うまでもなく、それがあれの根幹の面白さではあるのだけれど、これでもかというほどに、「あいつ実はめっちゃ強いやん」、が詰め込まれている。それなのに、ブリーチのようにあーはいはい、またそのパターンねとならない。消費されない。十分なタメを作ったうえでのどんでん返しなので、読む方は毎回純粋に重く気持ちよさを感じ取れるのである。
ただ、この紹介したい作品は、その要素を表に出さずに既に7巻まで進んでいる。ずっーと匂わせて、明らかなシーンとして強者を表立てない。それが読者に考えさせる余白を与える。
答えを早々に矢継ぎ早に、気持ちよくわかりやすい正義を振りかざし、相手に考えさせないことで、我々をコントロールしがちな様々なコンテンツとは毛色が違う。私自身もどちらも面白いと思うのだが、あとに引き、心の奥に残り、他の人と共有をしたいと思うのは圧倒的にこの作品である。
月刊だからさ、ゆっくりなのよ進み方が、でもさ絶対終わってほしくなくて、ずーっとゆっくーり1年とか半年とかに1回これが読めるだけでもうLOQバク上がりでさ、打ち切りなんてなったらショックもとてつもないからさ、応援したいわけ。
6月8日に最新刊だから、それに伴って、3巻無料キャンペーンがなされるかもしれん。私は、ユーチューバーの誰かが書評しているのをみて何かの記念で3巻無料でそこから入った口です。
ここのコメントが、そんな王道で面白いの知っとるわであふれることを祈る。
本のタイトルは
「図書館の大魔術士」
https://anond.hatelabo.jp/20230303222812
作者の名前は、当時の大学の同級生が村上春樹の話題をしていたので知った、というところである。
当時自分はほとんど読書をしなかったので、その名前と後年目にした有名なネットミームとしてのコピペだけを知っていた。
最近徐々に読書をするようになって、そういえばとその名前を思い出して読んでみたというのがきっかけである。
最初に読んだ作品は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』次に「ノルウェイの森」だった。
自分は割とミーハーな方なので、奇をてらうことはせず、ネット上で名作とされているっぽい作品と大ヒットした作品を読んでみたというわけである。
すごく不思議な話だったという感想である。前半で語られていた世界観や設定が、物語後半ではほぼ伏線として働いていないと思った。
ただ、自分の読み方が浅いかもしれないという点はある。一方ですごく読みやすくフェティッシュな描写や何気ない心理描写が単純に面白かった。
特に、主人公の住んでいる部屋の細かい描写、物語終盤で主人公がレストランで食事をするシーン、女性のために簡単な料理をする描写はどれもシンプルで色彩豊かに感じられた。
物語前半から中盤くらいにかけてはとにかく暗くじめじめした陰湿な描写が続いていて、まさに後半の描写との対比で描かれており、カタルシスを得られるような構成になっていると思った。
主要キャラである博士の娘は、あまりにも都合の良すぎるキャラではないかと思った。
ある意味こちらの方が世界の終り〜よりも辛く陰湿な話であり、ただ時折差し込まれる季節感豊かな風景描写が美しいと思った。
色んな人物が出てくるのだが、そのどれもから刹那的な儚さめいたものやある種の危うさのようなものを感じさせた。特に伏線を張ったり回収したりするような構成でないのもそう思わせる要素なのだろうか。
主人公が贔屓目に見てもクズなのに謎なほど女性にモテており頻繁に性行為に及ぶので、この作品こそが下品なコピペで描写されている元ネタなのかなと思った。
もし大学生の頃にこの作品を読んでいたら色々な意味で影響を受けたかもしれないが、今となっては色々と枯れ果てているので、まあこんなものかな、といった感じだった。若いうちの激烈さを伴う読書体験の貴重さというのは、こういった点にあるのかもしれない。
危機感センサーがバグるから、全てが自分の命に直接関わると思ってるんだよ
セカイ系主人公が自分の心が世界の崩壊に直結してるからやたら大仰に振る舞うだろ?
あれと一緒
中世以前
人間の住む世界以外に生命が生息する世界が数多く存在するという考え方(多宇宙論)は古代からあり、地動説よりも古く、世界各地の神話に共通している[要出典]。2世紀の風刺作家ルキアノスが書いた『本当の話』には、船に乗っていたルキアノスが竜巻に巻き上げられて月まで行った話が描かれている。月には人が住んでおり、太陽の住民と明けの明星の植民地化をめぐって戦争をしていたとしている。
東晋の干宝が著した『捜神記』には火星が登場し、『捜神記』の現代日本語訳では「火星人」と訳した本もあるが、原漢文の少年のセリフ「我非人也,乃熒惑星也。」を直訳すると「私は人間ではない。実は火星である」となるためいわゆる「火星人」ではなく、「火星」という惑星そのものの化身、というほうが原文に近い。
また、日本では10世紀半ばまでに成立したと考えられている『竹取物語』は主人公のかぐや姫が月の住民であるという話であり、中世アラビアの『千夜一夜物語』の「ブルキヤの冒険」も異世界譚の一種である[8]。
サイコーと答えることにしたが、それがベストな回答というかしっくりくる回答だと未だに思えずにいる。
私は周りよりも比較的早く結婚したお陰で、そんな質問を話のとっかかりとしてされる。
オープン過ぎる質問は罪だなと思いつつ、これに対して、ほぇーと思われるような回答をしらっとしたいがために、一旦ここに自分の考えとか思いとかを書き殴って整理させていただきたい。
この質問する相手は、もちろん未婚の方々である。結婚をすでにしてる人は自分が経験しているわけだから、結婚ってどいうものなのかは、わかっているので質問はしないわけである。
そしてこれは結構自信があるが、結婚した人間はかなりの高確率で拍子抜けすると思う。なぜなら、婚約の紙をだして、氏名が変わる場合は各所のカード手続きを行い、ありとあらゆるところで新しい性を名乗る。言ってしまえば、ただそれだけのことだからだ。
何か新しい能力が備わり、社会から圧倒的に優遇されるわけでもなければ、パートナーと一緒にあるとき時のみ幸福度が20%アップ!とかがあるわけでもない。
そして当たり前のことではあるが、結婚なんて、その人その人によって変わってくるわけで、結婚してみたら相手がものすごく家庭的で、毎日が色鮮やかになることもあるだろうし、高圧的な態度で日々の生活に鬱憤が溜まることもあるだろう。ただ、どうなるかはしてみないとわからない。
質問者も結婚しようかなということを一度でも考えたことがあったから、結婚について質問をしてきているわけで。
とどのつまり、結婚なんてその時点で見えている情報で、相手と一緒にいたいかどうかにかかってくるわけで。やってみて見えてくるものがたくさんあるだろうにと思う。
そんなこと言ってしまったら、相手はほぇ~ともならんだろうし、一番の特効薬は、相手がどう思ってるか、を聞くことなのであるのは重々承知の上で話を進めて行きたい。
その次の段階として、一緒にいたいだけならば、別に結婚しなくても一緒に居れますよね理論への対策が必要になってくる。
そらそうだと返してしまえば、もうそこで試験終了QEDになってしまうので、ここでも会話を楽しむためにも他の言葉を紡ぐ可能性を探っていきたい。
そんな小生意気なことを言っちゃうやつらには、ずっと一緒に居たいと思っているのに、結婚しないのはなぜですかと問いたい。
うまいもんもまずいもんも、怖いことも楽しいことも、悲しいことも嬉しいことも、一緒に体験してやるよって赤の他人が誓いを立ててやるよって言ってるのを、嬉しいと思わない人間がどこにいますかってはなし。
漫画でいう、僕だけはあなたの味方だからを書面で実現しちゃおうぜ、が結婚なわけよ。
結婚を相手と想像した時に心のそこから力が湧き出てくるような、感覚が生まれないのであれば、そら結婚じゃないかもねと思うわけ。
つまり、結婚ってどうなんですかの回答は、人生の主人公は自分だよって思わせてくれて、生きているということが、いかに感情の揺れ動くものであるかをより色鮮やかにさせてくれるものだよねってことだ。
ああ、じゃあ、端的に言ってサイコーで合ってるのかもしれないな。
ドカメンの荒鬼狂介(https://x.com/ride_kamens/status/1790290954500317598)を見て
あんスタの鬼龍紅郎(https://x.com/ensemble_stars/status/1618262541393690633)に似てる…意識しすぎじゃん…という意見をみてしまったジオ~
申し訳ないけど荒鬼狂介の元ネタは仮面ライダー電王(2007放送)のモモタロスなんだジオ~
名前に鬼が入ってるのは仮面ライダー響鬼(2005年放送)要素も入ってるんだジオ~
鬼が入ってるのはモモタロスが桃太郎に出てくる鬼をモチーフにしてるキャラだからなんだジオ~
メッシュがあるのは原作仮面ライダー電王でモモタロスが主人公の良太郎に憑依した姿がメッシュのビジュアルだからジオ~
劇団四季の方は見てないが
かつてやってた映画は怪人役がイケメンだったので恋愛関係に解釈されがちなのはそのせいもあると思うわ
原作では制服なんかで進路を決める「アホな女」ではない偏差値高めの女性を主人公にしてて、
そこがOLの女社会に溶け込めない辛さ(転じて田中さんへの憧れ)にも繋がるので物語の根幹にあたる部分なのに
ドラマ化にあたってステレオタイプの「アホな女」に改変させられたんだから、
横だけど、主人公って何歳の設定だったっけ?