はてなキーワード: いかとは
アラサーを迎えて振り返ってみると、リアルはもちろんネットの世界でも友達と呼べる人が皆無な事に気が付く。
仕事の人間関係はあるが、ここには自己を開示できるような関係は無い。
それは自分自身、仕事は自己とビジネスを切り離してきたのもあるし、同僚もそのように考えている人がほとんどなので、押し売りのような事を避けたいからというのもある。
孤独には耐性がある方だとは思っていて、死ぬまで一人でも耐えられるかなとは思っていた。
しかし、それはそれとしてせっかく生きるなら楽しめた方が良いとは思う。
友達がいれば自分の好きなものを共有できるし、自分の知らない世界を見せてくれることもあるだろうし、それはきっと幸せなことなんだろうと思う。
白状すると、わいわいVC繋いでオンラインゲーム楽しんだり、そういうものに憧れがある。それを体験せずに死ぬのもなんだか損な気がしてくる。
こういう問題意識というか、あるいは下心によって、年齢や環境的に既に手遅れかもしれないが友達を作ろうと考えてみる。すると、思考を深めるほどに私には友達の作り方がわからないことが分かる。
結局のところすべての人間関係はギブアンドテイクで成り立つものなんだと思う。
人が友達を作るのは、自分の話したい事柄について1話すと10返ってくるような、そんな知識量があったり、あるいは私もそういうのを期待している通り知らない世界に連れ出してくれるのも嬉しいだろう。
または、ルックスに優れていて関わっているだけで楽しくなったり、趣味に合う創作物があったり……つまり、与えられるものがあるから友人になりたいと思うし、思われるのだろうと。
逆にこれを満たせない人間とは関わりたくないものだろうと。そんなものだと思う。
では自身を顧みるとどうか?私にはいくつか趣味や好きなものがあるが、ミーハー気質で幅は多分あるものの底は浅め。
ただ、それ以上に私の好むコンテンツというのがどれもメジャーではないような、人を選んでしまうようなサブカルばかりなので、多くの人と共有できる話題をほとんど持たない。
何かしら創作を通じて自己表現ができればと苦悩はするものの、生来への不安から金につながる短期的なことばかり、例えば仕事関連の事に時間を割いてしまい、人に見せられるようなものはさらさらできずじまい。
本当は金の事に苦心する生き方なんて反吐が出るほどしたくないのに。人と会話するための話題が不足してしまうのも、こういうのが原因なんだろう。
更に内向的な性格なのでそもそも人と関わること自体が苦手。それはそれとして寂しさは感じるからめんどくさい人間だと思う。
少し愚痴っぽくなってしまったが、こんな人間なので人に提供できるものなんて無いんだろうと思う。
要するに現代においては私よりもよっぽど時間を割くべき価値ある人々で溢れている。SNSを通じてそういう人々とつながることができる。ゲームだって下手くそよりは上手い人としたいだろう。
なんだったら大抵の場合ChatAIとでも話してたほうがずっと楽しいし有意義なんだろうと思う。
実際私自身も仕事の悩みやスキルアップのメンターのお願い、あるいはこういう人生の悩みの相談をChatGPTにしてもらうことが多々ある。きっとAIがなければ人に投げかけたはずの話題を機械で解消してしまう。
だから、人に声をかけるところまで至れない。友達を作るための最初の一歩を踏み出すことが出来ない。
出来ないと分かりきっていることに時間を割くほど私も暇ではないし、恐らくスパム扱いされるようなリプライを他人に投げかけて時間を無駄にさせてしまうことも申し訳なくなる。
とはいえ、結局自分自身の悩みの原因は自分自身のギブアンドテイクではない人間関係を想定できない狭い世界観とそれに裏打ちされた行動によって縛られているからなんだろうとは思う。
では、世界のすべての人は世界一の人だったり優れた人間とのみ繋がっていれば良いではないか、ということになるものの、実際にはそうはならない。
世の中には明らかに問題のあるような人ですら多くの友人に恵まれているというのを多々見るので、このような砂漠のような人間観に対する反証はいくらでも思い浮かぶ。
きっと世界は自分が思ってるほど厳しさに満ちたものではなく、恐らくもう少し優しさを内包しているんじゃないかなと。
今は「友達が欲しい」という、まだ自分の中では深刻でない悩みとして表出しているものの、他人を頼れないから嫌でもお金を優先して生きなきゃいけないと思いこんでいたり、そういう更に切実な問題に繋がっている気がしないでもない。
閑話休題、だからこそ、私にはわからない、ギブアンドテイクではない友達というのはどうしたら作れるのか?きっと存在するはずのその疑問の答えを見つけたい。
そんなものが本当に成立し得るのか全くわからないし、こういう問題はAIにも答えられないだろう。でも、これを解決しない限りは私は他人に対して希望を見いだせないと思う。
色々詰め込みすぎてしまって長くなってしまって申し訳ないです。こんな長文をここまで読んでくださった稀有な方で、さらにもしも友達に恵まれている方、あるいは同様の問題を抱えていたものの解決できた人がいれば、この哀れで孤独な人間に少しの同情心を持っていただき、その心得を少しでも分けていただきたいです。
立場弱い奴の財産は奪うか破壊しろという信念をもった蛮族どもが、立場弱いと思ってた作家に楯突かれて腹立って面倒だからぶっ殺したんだろ
日テレは上海ヤクザ岩田愛之介の子分の田邊宗英の会社で、理想持った作家が耐えられるような、文明的な場所ではないことは確実なんじゃないかな
入江さんどうですか
・あっ(察し)
・イキスギィ!
・おかのした
・あのさぁ…
・ありがとナス!
・はっきりわかんだね
・ま、多少はね?
・いいゾ~これ
・そうだよ(便乗)
・お前初めてかここ(は)?力抜けよ
・自分、◯◯いいっすか?
・しゃぶれよ
・えぇ…(困惑)
・~だろ!いい加減にしろ!
・人間の鑑
・は?(威圧)
・ハーーーッ…(クソデカタメ息)
・やめてさしあげろ
※他多数
勉強になったね!
これらを使うと恥ずかしいらしいよ!そういう人は大変だね!
俺は語ってないからセーフ
正確に言うとプライベートモードにしたただけで、使うのはやめていない。
誰にも読まれることのないコメントを、いかにも☆が付くことを狙って書いてしまう自分に驚いているが、さすがに一時的な状態だと思う。
距離を置いてみるとブクマカたちの異常性が良く分かる。Twitterのようにクラスタ分けがされるわけでもない、表舞台しか存在しないプラットフォームが、よくぞこんな長い期間維持されてきたものだ。
普通にブレイクしたWebサービスなら、ユーザ数の桁が増えてクラスタリングなしでは使いものにならなくなっていただろう。といって閑古鳥というわけでもない、中途半端な状態を延々長引かせている。変なサービスだ。いくら計算機コストが低くともサポートコストで赤が出そうなものだが。
このまま卒業できると良いんだが……
A 氏は本件原作者がプロットに不満を持ったまま制作を進めると今後うまく進行しないと思い、C氏に対し本件原作者の懸念点を教えてほしいと依頼したところ、同年6月14日、4話のプロットについてのやりとりをしている中で、C氏からA氏に本件脚本家に読んでもらうには少々憚られる内容であるが、推敲するとわかりづらくなってしまいそうなので、というコメント付きで「脚本懸念点について」というタイトルで本件原作者の言葉通りそのまま Word文書にしたものをメールで送ってきた。
そのWord文書では、オリジナルのセリフやり取りが挟まっている点について、冗談とはいえ、ふつーに感じ悪いなと思ってしまう、一連のセリフの流れが意味不明、こんな短いシーンでも理論立てて説明できないキャラの言動の不一致が起こってしまう、他人をディスる言葉の扱い方と、文脈やキャラの言動の破綻が気になる、切り貼り挿入も前後の意味が繋がっていない等と指摘のうえ、「原作があるうちは、失礼だと思いつつ事細かに指摘して修正してもらうことも可能だけど・・、オリジナル展開の9話10話で、収拾つかなくなっちゃうんじゃないかと、不安に感じてます。」と記載されていた。この時、A氏は、C氏が今までは表現を柔らかく変えて本件原作者からの指摘を自分に送ってきていたことを認識した。このWord文書の各指摘点については既にプロットで修正済みであったこと、本件脚本家に対しかなり厳しい表現であったため、A氏はこの Word文書は本件脚本家には共有しなかった。しかし、コアメンバーに対し、本件原作者がキャラクターがブレることについてコアメンバーが思っているより、気にしているとの趣旨の話はしていた。
ここ面白かった
都市と田舎の文化資本の格差について話題になるとき、そこで一番問題とされているのは、要するに「何かの道に進もうとしたとき、それに対してどれだけ可能性が開かれているか」という点だと思う。
その点において、俺はやはり都市と田舎には大きな格差があると思うのだが、地域に根差したコミュニティに着目すると、その格差をうまく説明できる気がした。
まず、俺が育ったのは野山と田畑に囲まれた僻地の農村で、鉄道も通っておらず、産業といえば農業と林業ぐらいしかない、田舎の中でもさらに田舎の方だ。
その俺が上京して15年経つが、田舎と東京の違いは、何よりもコミュニティの多様性にあると思っている。
東京という括り全体でいえば、東京には本物の富豪が住むような豪邸エリアから、町工場が並ぶ下町エリアまで何でもある。
あらゆる社会階層の人が東京に暮らしていて、それぞれの階層ごとにコミュニティを形成している。
学校や職場も一種のコミュニティで、東大からFラン校まで、大企業から零細企業までなんでもありだ。
人口が圧倒的に多いので、マイナーな分野でもそこそこの人が集まり、その分野でのコミュニティの形成が可能になる。
人口流入はほとんどないのでコミュニティのメンバーは何十年もあまり変わらず、同じ小学校を出た人同士が50年経っても固まっている。
地元の名士や地方議員のような人もいるが、社会階層が明らかに違うような人はレアキャラだ。
大きな会社は存在せず、大学も存在せず、高校はあっても底辺校ぐらいしかない。
大学進学でも目指すとなると、必然的に田舎を離れることになり、多くの人はそのまま帰って来ない。
一言でいうと、東京には「上」から「下」まで何でもあるのに対し、田舎には「上」がない。
「上」を目指そうと思うなら、同じく「上」の人々が集まるコミュニティに所属しないのは不利だ。
受験勉強にしても、周囲の大人に受験経験者が少なく受験への理解がない、同年代の受験生仲間が少ない、といった形で田舎の受験生は不利を強いられる。
東京でも育った環境によっては似たような状況になるかもしれないが、そこから這い上がるための地理的制約の有無が、田舎との差だ。
もっとマイナーな分野、たとえば現代美術とかセパタクローとかで「上」を目指そうとしたら、田舎にはコミュニティどころかそれを教えられる人もほぼ存在しない。
なので、田舎に生まれた子供がそれを目指そうとすること自体が稀なことなのだが、何かのきっかけでそれを目指す子供が生まれた時に、格差に直面することになる。
田舎に美術館がないというのも、そういう人にとってこそ致命的な問題となる。
そういう点で、田舎で暮らすと何かの道に進もうとしたとき、その可能性が大きく限定されてしまい、それこそが都市と田舎の格差なのではないかと思う。
俺が想定したレベルの田舎ではない、もう少し大きな地方都市であっても、程度の大小はあれ、似たような傾向なのではないかと思う。
みたいな感じですがご堪忍ください。
皆様の力をお借りしたく。
https://jinsung.chronicle.wiki/d/%bf%e5%b7%d0%c3%ed%a1%a1%bf%cd%cc%be%ca%cc%ba%f7%b0%fa
編者が漢以前に弱く、精度がひどいことになっています。
(よみがなも、ひとまず機械的に入れたので
一部が壊滅的になっています)
まぁ指摘してやってもいいか…
という方、ここへの返信という形で
ご指摘いただけないでしょうか。
反映状況については
https://jinsung.chronicle.wiki/d/%bf%e5%b7%d0%c3%ed%20%bd%a4%c0%b5%cd%fa%ce%f2
にて、定期的に報告していこうかと。
ゲーム画面見られて「何その露出度高めのナリしてる娘!?成長期の子供にそんな格好させるなんて発想の源が狂ってる!」ってドン引きされた
「全年齢対象だから!エロゲじゃないよ!」って言い訳したけど「あまりにさらけ出された猥褻さが酷く…大人びたスタイルなんてアンバランスな…!思慮が足んないよ!涙止まんないよ!」ってギスギスしてる最悪の空気になっちゃって
俺はロリコンじゃないって説明したけど「ガッカリだよもういいよ…何万回言われても同じこと…」って聞く耳持たないからこっちも「もう無理だよ…」ってなって別れた…😢
目を覚ます。知らない部屋にいる。
部屋の壁には、「セックスしないと出られない部屋」と大きく書かれている。
もう一人、おそらくセックスの相手として想定されている人がいる。目を合わせる。会話をする。結果として、セックスはしないでおこうという話になる。
目を覚ます。ある程度馴染んできた部屋にいる。
部屋の壁に書かれた文言だけ馴染みがない。
その通りだな、と思う。
もう一人の住人と目が合う。その通りだね、と言い合う。まさしく、その通りだ。それでいいのだと思う。
目を覚ます。すっかり慣れた部屋にいる。
同居人と目が合う。お互い苦笑する。
この文字を書いた存在についての話題で少し盛り上がる。笑うたびに、すこし肺が痛む。
目を覚まさない。
プログラマーって暗い部屋で一日中カタカタパソコンやってるイメージに思われるけど一日中座ってるのって意外と体力要るんだよ。体力が減ると頭も回らなくなって仕事効率が悪くなる。
だからプログラマーでも趣味がキャンプや登山、筋トレとか真逆の趣向の人の方が優秀な人が多い。ダメな奴は息抜きが出来ない。
漫画家、イラストレーター、プロゲーマーも同じく仕事で座りっぱなしだからオフの日に真逆のアウトドアな趣味をやる人が効率良く仕事をこなせる。
引きこもりはそういう職業に憧れて目指すけど息抜きもゲームしたりSNSするから息抜きにならず体力も無く納期に間に合わない、頭が回らない、非効率な仕事しか出来ないで、仕事にならず病んで生活保護受けて引きこもりになる。
デスクワークでも体力が無いと話にならない。
例が雑ゥ!
社員全員がインド人のインドの会社に日本人を就労させても、インド主体でインドのやり方に日本人はあくまで従うだけになる
仮にインドの会社に日本人が就職したなら、インドの流儀に日本人が合わせて当たり前では???
となると、会社を日本とインドの両方を主体にしなければならないが、そのためには無理やり日本人を多く起用するしかないし、過去の評価も体制も破壊して日本向けに変化させる必要がある
何で??? インドの会社に就職したんだから、インドの流儀に合わせるのは当たり前でしょ???
中国人が大勢日本で就職してるから、従来の日本の会社組織を破壊する! ってなったらおかしいでしょ??? 中国人が日本の流儀に合わせるべきでしょ???
アファーマティヴ・アクションがある程度正当化されるのは、
場合に限られるべきだろう。
アメリカで黒人がアファーマティヴ・アクションの対象になるのはわかる。彼らは、望んでアメリカに来たのではなく、無理やりアメリカに連れてこられた(かつ、奴隷化された)人々の子孫であるからだ(逆に言えば、オバマのような、望んでアメリカに来たケニヤ移民の子供は、一切、そのような優遇措置の対象になるべきではない。彼らには「差別されない権利」があれば十分だ)。
仮に日本でやるとして、アイヌ民族へのアファーマティヴ・アクションは賛成できる。彼らは軍事力によって無理やり日本の一部にされた側なのだから、特別な配慮を享受する資格がある。
あるいは女性のアファーマティヴ・アクションもいいだろう。女性は元からこの社会にいるのだから、、特別な配慮を要求してもよいかもしれない。
しかし、例として挙げられた「インド系企業での日本人のアファーマティヴ・アクション」なんてありえない。インドにおいて日本人は先住民でも何でもないんだから、日本人がインドに合わせて当然だ。それは、日本に来たインド人が日本のやり方に合わせるべきなのと同じだ。
人生の全ての問題は面白くない事であり、それもまた更に辿っていけばやる気がない点に問題がある。
面白くないからやる気が出ないし、何か面白いことを探したり実行しようにも、そのやる気がない。そして更に面白くなくなるという悪循環に陥ってる。
この結論はもう大分前から出てるけど、メンクリ行ってもあんまりどうにもならんかった。
最近になって、取り敢えずジョギングでもしてみるかと思い立った。
といってもそれは事後的な意味付けで、シャワーを気持ちよく浴びるために乾いてしまった汗を再度かくために走ったのがきっかけだった。意識的な行動よりも案外偶然の方が強いのかもしれない。
習慣化しつつあるけど、体力ややる気が向上しているのかは分からない。はっきりと分かる変化はただジョギングが習慣化した事と、常にほんのりと脚に痛みを抱えている事だけだ。
ただ映画を観る本数は若干増えた気もする。恒常的な上下の範疇かもしれないけど。
精神の不健康は運動不足による気の迷いだなんて言う人もいるけど、つまんねーなら死んだ方がマシじゃね?という思いが頭の中から消える気配は今のところない。
もし今の夫と結婚してなかったら、最初に付き合った人と結婚してたと思う。
もしその彼と結婚してたら?……そうね、そのまま地元にいて、眉間にシワが入った意地悪オバちゃんになってたんじゃないかな(笑
彼、別に悪い人じゃなかったんだけどね。
今でも覚えてるのは、宮沢りえと貴乃花が婚約した時のこと。私、宮沢りえと同い歳なんだけどさ。ニュースを聞いて、彼が言ったの。
「あいつ(貴乃花)には宮沢りえで、俺にはこんな女か〜と思たわ」って。
え? 酷すぎる? ん〜、そうでもないのよ。関西は身内を下げる言い方をするからね、私にすっかり気を許してるんだなって感覚がまずあるのよ。
それにね、当時の貴乃花は20歳でね。彼は24だったかなあ、就職して自分の先行きも見えてしまって、自分より歳下の男が華々しく話題になってることがショックだったんだと思う。
それはともかく、とても素晴らしい人だった。
それだけに高嶺の花感がすさまじく、俺は気圧される一方。
正直、「なんでオメェは俺なんかと見合いしてんだよ!他に優良物件あるだろ!暇つぶしか嫌がらせか?」と卑屈な被害妄想・いいがかりを胸に抱く程だ。
お見合いをする度に思うが、まず俺に必要なのは小手先のテクニックではなく自己肯定感を高めるための自己啓発とかカウンセリングとかであるように思う。
終始アワアワしつつ、定刻を迎えたので解散。
別れ際に何か気の利く言葉をかけようと思っていたのに、やはり何も出てこない。アバババ
と思ったら、先方が今日の会話をいい感じに総括した上で「楽しかった!」みたいなことを宣うではないか。
それ、俺が言いたかったヤーツ!
胸いっぱいの敗北感を抱えて帰路に着く。
一応、また会いたい、と希望を伝えるけど、おそらく無理だ。高嶺の花は高身長の男が摘み取るのであろうな・・・
しかし、心折れてばかりもいられない。
やはり準備が足りんのはダメだな。当たり前だけど。
もっと具体的に言えば、統計を「平均」のことだと思い込んで、「分散」を考慮に入れて議論することができないから。
個々のデータと平均値の差の2乗の平均のこと。分散が大きいとデータのバラツキが大きい。
分散の平方根を「標準偏差」という。平均値を50とし、標準偏差を10とするようにスケールし直したデータをおなじみ「偏差値」と呼ぶ。
分布が正規分布に近い場合、凡そ68%が偏差値40〜60の間に収まる。また95%が30〜70の間に収まる。
もともとの日本の「一億総中流」のような、多様性を否定する信仰がさらに「平均以外に意味はない」というバイアスを強めている可能性がある。
日本人にはもともと「普通」を定義しその中に収まるという強い欲求があるために、たとえ義務教育で統計の基礎を学んでいても、その中から「平均」という普通の定義だけを学び、「分散」という多様性の定義を学ばない心理的取捨選択があるということだ。
増田自身、男女の能力差に関して「統計的に考えろ」とここに書いたら、「女は男より(平均で)下だと統計が言ってるんだ」と騒ぐやつばかりで話にならなかったことがある。
統計的に言えば、「普通」と言うのは、例えば偏差値40〜60のように平均以上以下に幅を持って定義しなければ意味がない。平均の周囲どれだけに何%が収まるのかという分散の発想なしに「普通」は本来定義できない。
「生活保護基準」と「相対的貧困ライン」は、それぞれ別の定義で、別の目的で作られた概念だが、結局は同じ層だよねってなることが学術的に知られている。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853651279758080
相対的貧困ラインは「可処分所得(手取り)」が中央値の半分を下回る水準であり、これは収入格差が大きいほど当然拡大する。
欧州などは10%程度に抑えられているが、日本のように16%もの相対的貧困層がいる場合、「生活保護の本当に必要な人」は1000万人〜2000万人は見積もる必要があると統計を理解していれば必ずわかるのだ。
少数派のマイノリティや障害者に是正措置をとるというなら話は分かるんだけど、政治家を男女同数にするために是正措置を取るのは意味が分からないんだよな
職場で「この業務ではこの処理が合っている」と説明しても、同僚や後輩になかなか信じてもらえなくて困っている。
「こうじゃないかな…?」みたいな自信なさげな言い方ではなく、ちゃんと根拠も提示してるのに…。
最悪、先輩や課長から全く同じことを言ってもらってどうにか納得してもらうこともあった。
が、先日同じ日に先輩と後輩から別々の案件で信じてもらえなかったときは本当ーーーーに困った。
後輩に至っては、「問い合わせ先に電話して(私のやり方が間違ってるって)確かめてやりますよ…!」(ドヤァ)だったのに、いざ電話したらやっぱり私のほうが合っていたので電話を切った後だんまりになってしまった。