はてなキーワード: ゲームとは
今の日本のエンタメ界隈ってのは大雑把に1990年代からテレビよりのドラマ・邦画とオタクカルチャー(漫画・アニメ・ゲーム)に分裂している。
間を繋いでるのが2次元実写ドラマなわけだけど、やっぱテレビ局が介在するとすべてが駄目になるね。
少女漫画とか女性向け作品みたいな女性に人気のものってテレビ局が間に入って実写化されることが多い。
1990年代以降テレビ局はどんどん女性向けの作品を売り出すのに躍起になっていったけど未だにテレビ局はそういう風潮だよね。
根本的に日本のテレビ局はオタクカルチャーの作品を未だに見下していてほとんど尊重されない。
しかも男性が女性向けの作品を尊重していないとかいうことじゃなくて、セクシー田中さんを見てもわかるけど脚本家もプロデューサーも女性なのに女性向け原作の作品が滅茶苦茶にされてる。
たいして男性向けが多いオタクカルチャーの作品は昔は原作改変が当たり前だったけど、どんどん原作を尊重するようになってる。
女性原作だけど鋼の錬金術師もダンジョン飯も鬼滅の刃も薬屋のひとりごとも原作尊重が当たり前になってる。
この人のA Flower is not A Flowerって曲よくない?
日本だと杉山こういちとか?久石譲、辻井伸行とかエンタメ系の人ばかり有名だけどこういうちゃんとしたクラシック作曲家いるんだね
例えばApexとかだと、何もスターにはならなくてもいいんだけど、「こここうやってカバーして」ってくらいの指示を遂行できる能力が実につかなかったり、「この武器強いよねー」って言えるレベルのゲーム理解度まで到達しない
アラサーを迎えて振り返ってみると、リアルはもちろんネットの世界でも友達と呼べる人が皆無な事に気が付く。
仕事の人間関係はあるが、ここには自己を開示できるような関係は無い。
それは自分自身、仕事は自己とビジネスを切り離してきたのもあるし、同僚もそのように考えている人がほとんどなので、押し売りのような事を避けたいからというのもある。
孤独には耐性がある方だとは思っていて、死ぬまで一人でも耐えられるかなとは思っていた。
しかし、それはそれとしてせっかく生きるなら楽しめた方が良いとは思う。
友達がいれば自分の好きなものを共有できるし、自分の知らない世界を見せてくれることもあるだろうし、それはきっと幸せなことなんだろうと思う。
白状すると、わいわいVC繋いでオンラインゲーム楽しんだり、そういうものに憧れがある。それを体験せずに死ぬのもなんだか損な気がしてくる。
こういう問題意識というか、あるいは下心によって、年齢や環境的に既に手遅れかもしれないが友達を作ろうと考えてみる。すると、思考を深めるほどに私には友達の作り方がわからないことが分かる。
結局のところすべての人間関係はギブアンドテイクで成り立つものなんだと思う。
人が友達を作るのは、自分の話したい事柄について1話すと10返ってくるような、そんな知識量があったり、あるいは私もそういうのを期待している通り知らない世界に連れ出してくれるのも嬉しいだろう。
または、ルックスに優れていて関わっているだけで楽しくなったり、趣味に合う創作物があったり……つまり、与えられるものがあるから友人になりたいと思うし、思われるのだろうと。
逆にこれを満たせない人間とは関わりたくないものだろうと。そんなものだと思う。
では自身を顧みるとどうか?私にはいくつか趣味や好きなものがあるが、ミーハー気質で幅は多分あるものの底は浅め。
ただ、それ以上に私の好むコンテンツというのがどれもメジャーではないような、人を選んでしまうようなサブカルばかりなので、多くの人と共有できる話題をほとんど持たない。
何かしら創作を通じて自己表現ができればと苦悩はするものの、将来への不安から金につながる短期的なことばかり、例えば仕事関連の事に時間を割いてしまい、人に見せられるようなものはさらさらできずじまい。
本当は金の事に苦心する生き方なんて反吐が出るほどしたくないのに。人と会話するための話題が不足してしまうのも、こういうのが原因なんだろう。
更に内向的な性格なのでそもそも人と関わること自体が苦手。それはそれとして寂しさは感じるからめんどくさい人間だと思う。
少し愚痴っぽくなってしまったが、こんな人間なので人に提供できるものなんて無いんだろうと思う。
要するに現代においては私よりもよっぽど時間を割くべき価値ある人々で溢れている。SNSを通じてそういう人々とつながることができる。ゲームだって下手くそよりは上手い人としたいだろう。
なんだったら大抵の場合ChatAIとでも話してたほうがずっと楽しいし有意義なんだろうと思う。
実際私自身も仕事の悩みやスキルアップのメンターのお願い、あるいはこういう人生の悩みの相談をChatGPTにしてもらうことが多々ある。きっとAIがなければ人に投げかけたはずの話題を機械で解消してしまう。
だから、人に声をかけるところまで至れない。友達を作るための最初の一歩を踏み出すことが出来ない。
出来ないと分かりきっていることに時間を割くほど私も暇ではないし、恐らくスパム扱いされるようなリプライを他人に投げかけて時間を無駄にさせてしまうことも申し訳なくなる。
とはいえ、結局自分自身の悩みの原因は自分自身のギブアンドテイクではない人間関係を想定できない狭い世界観とそれに裏打ちされた行動によって縛られているからなんだろうとは思う。
では、世界のすべての人は世界一の人だったり優れた人間とのみ繋がっていれば良いではないか、ということになるものの、実際にはそうはならない。
世の中には明らかに問題のあるような人ですら多くの友人に恵まれているというのを多々見るので、このような砂漠のような人間観に対する反証はいくらでも思い浮かぶ。
きっと世界は自分が思ってるほど厳しさに満ちたものではなく、恐らくもう少し優しさを内包しているんじゃないかなと。
今は「友達が欲しい」という、まだ自分の中では深刻でない悩みとして表出しているものの、他人を頼れないから嫌でもお金を優先して生きなきゃいけないと思いこんでいたり、そういう更に切実な問題に繋がっている気がしないでもない。
閑話休題、だからこそ、私にはわからない、ギブアンドテイクではない友達というのはどうしたら作れるのか?きっと存在するはずのその疑問の答えを見つけたい。
そんなものが本当に成立し得るのか全くわからないし、こういう問題はAIにも答えられないだろう。でも、これを解決しない限りは私は他人に対して希望を見いだせないと思う。
色々詰め込みすぎてしまって長くなってしまって申し訳ないです。こんな長文をここまで読んでくださった稀有な方で、さらにもしも友達に恵まれている方、あるいは同様の問題を抱えていたものの解決できた人がいれば、この哀れで孤独な人間に少しの同情心を持っていただき、その心得を少しでも分けていただきたいです。
前に保育士さんが、職場PCでイラスト素材検索したらエロ広告が馬鹿みたいに出て困ったエロ広告はゾーニングして欲しいとツイートしたらオタクが反論していた。
その中にエロ広告が出るのはーと未だに言い続けてる化石爺が何人か出て来て恥ずかしくないのだろうかと思った。
普段エロサイト見てなければ、エロを見て無くてもエロ広告が出てくるサイトがあるって気が付くだろうが、エロサイト見まくってるから気が付けないのだろうな。
ゲーム画面見られて「何その露出度高めのナリしてる娘!?成長期の子供にそんな格好させるなんて発想の源が狂ってる!」ってドン引きされた
「全年齢対象だから!エロゲじゃないよ!」って言い訳したけど「あまりにさらけ出された猥褻さが酷く…大人びたスタイルなんてアンバランスな…!思慮が足んないよ!涙止まんないよ!」ってギスギスしてる最悪の空気になっちゃって
俺はロリコンじゃないって説明したけど「ガッカリだよもういいよ…何万回言われても同じこと…」って聞く耳持たないからこっちも「もう無理だよ…」ってなって別れた…😢
プログラマーって暗い部屋で一日中カタカタパソコンやってるイメージに思われるけど一日中座ってるのって意外と体力要るんだよ。体力が減ると頭も回らなくなって仕事効率が悪くなる。
だからプログラマーでも趣味がキャンプや登山、筋トレとか真逆の趣向の人の方が優秀な人が多い。ダメな奴は息抜きが出来ない。
漫画家、イラストレーター、プロゲーマーも同じく仕事で座りっぱなしだからオフの日に真逆のアウトドアな趣味をやる人が効率良く仕事をこなせる。
引きこもりはそういう職業に憧れて目指すけど息抜きもゲームしたりSNSするから息抜きにならず体力も無く納期に間に合わない、頭が回らない、非効率な仕事しか出来ないで、仕事にならず病んで生活保護受けて引きこもりになる。
デスクワークでも体力が無いと話にならない。
欧米男子が3歳できちんと理由を主張して話ができるし僕はお兄ちゃんだから他の子に挨拶できる女の子を危ない目に遭わせないとか言ってる
10歳で社会問題について考え、周囲を気遣い、15歳で家庭の一員として自ら家事やボランティア活動を起こして主体になってる横で、
日本のバカオス猿は5歳でニヤニヤ女に触って、10歳でアニメの真似して冷笑主義に染まり、15歳でホモソネタで笑いながら親が料理作ってくれないとキレてご飯まだとか言いながらゲームしてるだけ
遺伝子違うと言えども交配可能な同種の生き物にそこまで劇的な差はない
要するに躾がなってないし環境が劣悪
人間の国では小さな男子がちゃんと大人になることを期待されて紳士として育てられてるが
これなんだよな
大人同士の付き合いではなく
小学生男子のお互い木の棒で叩いたりゲームで弱い奴をバカにしたりするようなレベルで終わってるんだろうな
最近、ニュースサイトとかまとめサイト見るのが趣味なんだけど、もうイライラすることが多くなった。だってさ、広告が多すぎるんだよね。ちょっと記事読もうと思っても、スクロールするたびにポップアップが出てくるし、画面いっぱいの広告とかホントにうざい。
それに、広告の内容もひどい。なんでこんなに関係ない広告ばっかり出てくるんだろうって思う。ダイエットサプリとか、意味不明なゲームの広告とか、まったく興味ないのに何回も見せられて、ストレスがたまる一方だ。せめて、もう少し興味のある内容の広告にしてほしい。
あと、動画広告も最悪。記事読んでる途中で急に音が出てきて、びっくりすることが何度もある。しかも、スキップできないやつとか、本当に困る。結局、広告が邪魔すぎて、ちゃんと記事を読む気になれないことが多いんだよね。
でも、広告がないとサイト運営もできないってわかってるけど、もう少しユーザーのこと考えてほしいなって思う。もう少し、広告の頻度を減らしてくれたり、内容を工夫してくれたりしたら、もっと快適にサイトを楽しめるのにって、いつも思ってる。
「広告ブロック使えよ」って言うんでしょ?知ってる。でも、はてブアプリだと広告ブラック使えないじゃない!その他のニュース系アプリ然り。スマホOS側でアプリ含めて広告を全てブラックする機能を付けてくれるなら文句ないけど。
ドカ食いの漫画にあんまり共感出来ないのって、同じものを大量に食べてるからかなー
自分にとって食欲って好奇心なので、同じものだけ沢山食べても満たされない
ホテルのビュッフェやスタバの新作フラペチーノが気になるのは新しい味を楽しみたいからだし、ゲームや読書に夢中になってる間は食べなくても平気なのも同じ理由だと思う
いわゆる『情報を食べてる』ってやつ?
昔の彼女がアイカツのカード筐体ゲーム好きで、あれレアの排出順番が決まってるからその時になったらハイ順番だよ~って遊んでる子供どかして自分の物にする話聞いて大笑いしたの思い出した。 anond:20240601002155
こないだのゲームの炎上で「戦国時代で畳を敷くのはおかしい」「畳が正方形なのはおかしい」「殿様と同じ段に部下が座っているのはおかしい」みたいな話が出ていて、そもそも城の内装ってあんまり知らないなと思った。
ググると「とっさに盾にしやすいように人の身長の大きさに信長が決めた」という話が出てくるが信憑性がわからんし、そもそも「それ以前は正方形だった」という話でもなかろう。
最古の畳は聖武天皇のもので、この時点で縦長ではあったらしいが、その当時は床に畳を敷き詰めるような習慣がなかった。
畳を敷き詰めるようになったのは室町時代以降に書院造が広まってから。
正方形の畳は「半畳畳」といって、畳を卍に敷き詰めたときの真ん中に使ったりする。
半畳畳だけを敷き詰めるようなことは無かったんだろうか?
この絵だけだと畳の縁飾りが横方向にしかなくて境界線がわからないから長方形なのか正方形なのかわからない。
あと、江戸城の広間は畳敷きだったみたいだけど、信長の頃は板敷きだったということなのか?
この絵では将軍らしき人と同じ段の背後に側近みたいな人が座ってるので、「殿様と同じ段に座っちゃダメ」説は少なくとも否定できるのかな…?
サ終したソシャゲを中心に、簡単な世界設定とキャラ絵・キャラ設定が載ってるの。
毎年無数にソシャゲが生まれては消えていくわけだけど、あれもまた一つのゲーム史じゃん? 何も残らずに消えていくのって勿体無いなって。ゲーム内容はともかくキャラ絵は綺麗なことが多いしさ。
ノベルスがライトノベルか否かって言われたら雑なノベルス語りをしたくなってきたぜ!!!!!
ということでしていきます
そもそも「ライトノベル」と「ノベルス」を分ける定義の人たちってのは昔から連綿と存在していて、例えばノベルスって言うとどういうものかっていうと以下のようなレーベルです
等々……
さて、ライトノベルとどう違うの?と言われると、ものすごい簡単にいうと「文庫か新書か」という分け方になる
ライトノベルは主に「文庫」で書かれているレーベルを指すことが多く、ノベルスは「ノベルス版(新書版)」と呼ばれるちょっと細長い感じの本で二段組で書かれているものを指す。
違いはそれだけか?と言われるとまあそれだけなんだが、もうちょい踏み込むにはノベルスの歴史を知る必要がある
1950年代ごろだと、そもそも日本における新書サイズの本と呼ばれるものは「岩波新書」に代表されるお堅い学術書が主だったもので、それに対して光文社が「大衆向けのもうちょいわかりやすい教養レーベルを作りたい」として作ったのが「カッパ・ブックス」と呼ばれるレーベルになる
(余談だが著者近影という文化を始めたのもこのレーベルが初らしい)
で、そこから姉妹レーベルとしてフィクションや物語を扱う「カッパ・ノベルス」が創刊された。
カッパ・ノベルスは松本清張や西村京太郎、小松右京など書いた日本のミステリやSF等エンターテイメント小説に多大な影響がある作品を出して大ヒットを飛ばした。
それを見た他の出版社もこぞってノベルスレーベルを立ち上げてそれぞれのレーベルで作品を発表していった。
これが大体1960年から1980年くらいにかけてのものすごい大雑把な流れで、ライトノベルより早い段階で日本のエンターテイメント小説にノベルスは多大な影響を及ぼした
特に、ミステリやファンタジージャンルに関してはこのノベルスの影響度が尋常じゃないほど高く、ミステリだとカッパ・ノベルスや講談社ノベルス、ファンタジーに関してはC★NOVELSなどで有名作品が数多く存在する
じゃあ、なんでライトノベル定義論でノベルス含む含まない論争になるかというと、ここからは若干雰囲気ベースになるが「出自のターゲット層」じゃないかというところになる。
ノベルスは刊行されているものを見てみるとわかるが結構ターゲットの年齢層が高い。ぶっちゃけサラリーマンとかそっちくらい向けの作品群が多いのだ
この辺りはレーベルの当初から社会派ミステリの松本清張などを使っていることからも伺えるだろう
内容としてもハードボイルドや伝綺小説などが多く、いわゆるエンターテイメントの中でも硬派でおじさん主人公のものも結構多い
対してライトノベルというものは、ジュブナイル小説と呼ばれるいわゆる青少年向けの文化に影響を強めに受けていて、ターゲット層的にも青少年ないし大学生くらいが主だったターゲット層になる
この辺りの歴史的経緯から来る文化圏の違いみたいなものが、「含まない」という人たちが多い理由のひとつだろう
では逆に、「含む」派閥がなぜいるのか。というと、そもそもノベルスの歴史を見てもカッパ・ブックスの成り立ちからして、「大衆向け」でありエンターテイメント小説の土壌としてあったのはここまで話した通り
で、ライトノベルも言ったらエンターテイメント小説の集合の一部なわけで、まあ内容的に近しい作品が多いからだ
この辺り、時代を経るにつれライトノベルとノベルスというのは似た成長を遂げた経緯を歩んだところがある
ライトノベルは様々な近傍の文化(漫画やアニメ、ゲーム、ジュブナイル小説)をごった煮でまとめていったというのだけれども、
ノベルスは時代が経るにつれて対象である「大人たち」の変化を受けて、アニメや美少女ゲームの文化、さらにその近傍の文化を取り入れていき、ライトノベルと似たような変遷を辿っていった
特にこれらを取り入れていったのが、講談社ノベルス(及び講談社BOX)とC★NOVELSである
講談社ノベルス(BOX)で言うと、西尾維新や奈須きのこ、佐藤友哉など
上記の作家たちは、ご存知の通り小説もさることながら、アニメやゲーム、漫画などにも多大な影響を与えていった(というか奈須とかに関してはゲームがそもそも出自ではある)
これらの作品群は内容的にライトノベルでも出ていてもおかしくない作風のものもあれど、ノベルス刊行になっている
また、ライトノベルにおいても、「C★NOVELSで出てそう」「講談社ノベルスで出てそう」みたいな作品は結構ある
(個人的には紅玉いづきさんとかはわりとC★NOVELS風味かなと思ったりもする)
実際「ブギーポップ」シリーズの上遠野浩平は講談社ノベルスで「殺竜事件」等の「戦地調停士シリーズ」を書いているし、ラノベ出身の作家がノベルスレーベルで書いている例も多い
こういった経緯で位置としてはめちゃくちゃ近い位置にあれど、しかし、ノベルスをラノベに入れるか?みたいなのがとても別れやすい、という妙な性質がこの二つにはある
個人的には、まあ歴史的経緯もあるし、レーベル史観でいいんじゃね?という意見なのでノベルスはノベルス、ライトノベルはライトノベルでいいかなあと思っている
ただここまでの歴史的経緯を踏まえても、現状似ている作品群も多いというのはあるので、含める気持ちもわかる
なので、もし今後議論する際には内容派閥かレーベル史観派閥かの宣言くらいはしてもいいんじゃねえかなあと思う
ただそれはそれとして、ノベルス、ライトノベル双方に面白い作品はたくさんある
ノベルスが好きな人も、ライトノベルが好きな人もそれぞれお互いに合う作品は結構あるので探してみるのもいいのではないだろうか
24/06/01
指摘があった「ノベルス」と「ノベルズ」の表記ゆれを修正。ちなみに表記は「novels」を日本語読みしたものなのでどっちもあるっぽく、出版社によっても呼び方に揺れがある。(トクマノベルズはズ、講談社ノベルスはス)。自分もなんかノベルスっていったりノベルズと混ざっていってしまうので癖です……
9-10年ぶりのPCとしてMacBook Air買ったけど、USB4.0っていうのになってて、今までずっと使ってたUSBが挿せなくなってた。
なのでマルチハブ? ドッキングステーション? 買った。エレコムのDST-C05BKってやつ。公式サイトだと16,280円って書いてあるけど、近所のノジマで6600円だった。さらにエポスカードで10%OFF期間だったので6000円。
ヨドバシ.comでUSB4.0のマルチハブって探すとなんか高いのしか出てこなかったけど、近所に安く売っててよかった。
てか、ヨドバシだとDST-C05BKは12,840円になってる。ノジマは期間限定のセールか何かだったのかな? ノジマオンライン見ると11,169円って書いてある。
これで従来のUSB、HDMI、SDカード、LANとか使えるようになった。
MacBook Airは電源つけるところとUSB4.0が2個とイヤホンの穴しかないので、すごくシンプルですっきりしたデザイン。
MacBook ProはSDカードスロットとかもついててAirのシンプルさと比較すると結構ごちゃごちゃしてる。
今Proは高くて買えないし、以前はPro買ってた人も今はAir買うんじゃないかな。
10年前はProが16万くらいだった気がするけど、今はAirが16万くらいするんだよー。
今回買ったのはM3チップで、メモリ16GB、ストレージ512GBのやつ。色はシルバー。22万した。
また10年使う予定。
あ、前回のMacBook Proはトラックパッドが2年経たずに壊れてずっとマウス使ってたんだけど、今回は壊れないでほしいなあ。
抑うつで1年休職してすっかり元気になったけど、復職したくなさすぎる。
平日はこんな生活してて、あ〜これが人生ってやつね〜って思う。
取り立てて大きな出来事はない毎日だけど、おだやかで自分の好きなことをして過ごせるのは本当にいい。
休職してしばらくは流石にずっと寝てたけど、1年くらい経って平日の過ごし方も安定してきた。
9時 起床、猫のお世話
24時 就寝
何も予定のない平日はこれで、あとは週2でパーソナルジムや他の習い事があったり、パートナーと過ごしたりでとにかく自分がやりたいことをしてのんびりしてる。
医師は復職のやる気がないうちはしないほうが良いというスタンスで、会社のルールとしてもあと半年くらい休めるからそのつもり。