はてなキーワード: 欧米人とは
http://anond.hatelabo.jp/20071017233438
「高級外車を乗り回し・・」って言うのは「金持ちざまーみろ」って精神だよな。外車乗り回しちゃだめなのかよ。
詐欺で儲けた金でってことならわからなくもないが、殺人犯がどんな車乗っていようが関係ないもん。
児童買春だって、被害者がかわいそうというよりは、うらやましいことしやがってけしからんって感じだし。
あと日本人はまじめで良心的ってのも嘘だよ。
社会心理学の実験で、不正をした人間が儲かるようなシステム(つーか簡単なゲーム)を作ると、日本人は欧米人に比べ不正が圧倒的に多いらしい。
その代わり、不正をした奴の名前を公表するようにしようとか、お互いに不正を監視できるようなルールをすぐ生み出すらしい。
(欧米人は個人主義だからか協力してルール作りなんて面倒なことはしない)
結局日本人は回りを気にすることでしか正しいことができない。
「誰も見てなくとも、神様は監視している」。逆に「誰も良い行いに気づかなくても、神様はわかってくださる」という
「神の目」がないからな日本には、人に見てもらうしかない
追記: ゲームの内容。
4人集まって100円玉10枚づつ渡される。その千円をみんな一つの封筒に入れて、銀行に渡しましょうと言う。(誰がいくら入れたかはわからないように)
銀行は総額を2倍にして返す。返されたら4人で平等に分ける。
全員が1000円を渡せば、全員が2000円もらえる。
だが一人がケチって500円しか出さなければ、分け前は1750円づつになる。ケチった奴はさらに500円持っているので、2250円となり
一人だけより多く儲けることが出来る。
(ゲームの意図は明かされないまま、銀行の仕組みだけ教える。こうすれば儲かりますよなんてヒントも与えない。4人は面識させない、終わったらそのまま帰れる。
ゲーム中に本質を見抜き、なおかつズルい奴だけが不正をするように。テレビでも再現したが、そのときは爆笑問題の太田がずるこいた。)
一人で悩んでいると大抵悲観的な方向に向かってしまうものだ。
だからあまりに堂々巡りな悩みは、人に相談したいところ
しかし、悩みを、あけっぴろげに、全てを筒抜けにし、話すというのは、とても勇気のいることだ。……自分にとっては少なくともそうだ。悩みというのは大抵自分の恥ずかしい性格やいいたくないことが関わっている。いいたくないといっても客観的に見れば大それたことでもなく、ただ単に「こんなことにいちいちこだわってるなんて、神経質だと思われるかも」など、そのていどの「恥ずかしさ」なのだが、実際に自分が誰かに相談する時はその程度の「恥ずかしさ」がものすごいプレッシャーとなって襲い掛かる。……少なくとも自分は。
もともと自分を全部出すというのが恥ずかしいのである。
匿名ならほとんど出せるものの、それでも全てをあけっぴろげに書くというのは恥ずかしい。
自分は仙人じゃない。滅茶苦茶俗っぽい部分や、恥ずかしい虚栄心、自惚れ、そういったものが多分に含まれている。それはよく考えてみればどんな人間であろうと多少はそうであろうし、だから人間なのだろうが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのである。もしかしたら欧米人は感覚が異なるのかもしれないが。
であるから、相談する時、わざと、一段抽象的な話にしてしまうのである。具体的な悩みを、一般化させて尋ねてしまう。しかしそうすると、相手には当然、うまく伝わらない。結局相手がとんちんかんな答えを返してきたりして、それにイラっとして「そうじゃなくて」と言い返し、相手も「でもそれじゃよくわからない」と当然の正論を返し……と泥沼化しやすい。
具体的な事を言えば、話は早い。だがそれができない。しかし相談はしたい。その上での苦肉の折衷案なのだが、大抵、結局うまくいかない。
やはり「素直になる」事を避けられないのである。
他人に対し、それを避け続ければ、結局、「他人とは基本的にうわべの付き合い、悩みや何やらは全て自分の中だけで鬱々と考え込む」という自分のような人間になってしまうのであろう。
それが悪いとかいいたいわけじゃないが、少なくとも自分は嫌なのである。そうした自分が。
大体、親兄弟に対してすら、素直になれないのである。
子供の頃からそうだった。
素直になれないが、本当は素直になりたいのだ。でも恥ずかしさがそれを押し留めている。この性格はちっとも変わってはいない。
子供の頃は、ただ、母が察してくれるのを待っていた。自分の恥ずかしさを隠した抽象的な相談から始まり、母が何がいいたいのかわからないと、いくつも質問をぶつけてくる。そうするうちに、母が察して、自分の素直な気持ちを当ててくれるのを待っていた。それに頷くことでやっと真の相談が始まる、といった具合だ。
しかしこの相談法は当然ながらあまりに拙い相談法である。
母も、母だからといって当然自分の全てを知っているわけではない。母の「察し」がまるで当たらず、自分が癇癪を起こしたこともある。そうした場合は大抵母も怒り(当然だ)、自分も怒りで、結局「お母さんに相談してもだめだ」という結論に終わり、相談は失敗する。そんなことも多い。
そしてなにより、あまりに遠回りであるし、そもそもこれすら「出来ない」こともあった。自分の素直な気持ちに頷く事すら怖いほど、相談が「自分的恥ずかしさ」に引っかかっている場合(大抵虚栄心などである)、「抽象的な相談」すら、それをきっかけに母が自分の素直な気持ちを察してしまうのではないか、そうしたら頷かないといけない、でもそれは怖い…と考え、出来ない事もあったのだ。
そして大人になった今、ますます「素直」になることは難しくなった。母親にさえあんな調子だった自分が、一体どうして他人に素直になれるのか。もう、母親に子供の時の手法を使うこともできない。ネット上なら?いやいや、ネット上の相談場というのは、ほとんど相談者のアラを叩くために存在しているようなものなのだ。相談という場には適していないと個人的には思う(そうでない場合もあるが)。文字だけではなかなか心情が伝わり難いというのもある。そもそも素直以前に、身元バレの問題で深く書き込めないこともある。
素直になれば楽だろう。
そう分かりつつ、素直になれない。
自分をさらけ出すのが、恥ずかしい。自分をさらけ出すのが、怖い。
素直に、なれない。
面白い娯楽を作ることではないかと。
・・・というところまで行かないでも、面白いコメントを書くとか、面白い記事をブックマークするとかでも世界は変わるのではないだろうか。
面白い娯楽があると、人が集まる。人が集まれば、自然に知恵も集まる。知恵が集まれば、実際に行動する人も集まる。テレビにしても、稼ぎ頭はバラエティな訳であって、報道の特権にせよ、稼ぎ頭としてのバラエティが機能しなくなれば、・・・もし、娯楽の中心がネットに移れば、日本の政治も(経済も)かなり変わるのではないだろうか。
やはり、人を集める面白さがないメディアは弱い気がする。特に日本人は、と言うと怒られそうだが、欧米人が政治的メッセージ込みで活動しているのに対して、日本人の場合、政治的メッセージを入れるのは野暮だ、気持ち悪い、みたいな風潮はあると思うが(もちろん、裏にいろいろな事情があるんだろうが)。
よって、ネット企業は、ネット特有の娯楽を作り出すことにもっと注力すべきではないだろうか(ところで、Googleの20%ルールは機能しているんだろうか?面白そうなサービスを自前で生み出さずに買収ばかりしているが)。それが結果的に、人を集め、ネットの力を増幅し、世界を変えていくんだと思う。なんかまとまらないけど、そんなことを思った。
そもそも誰が自分たちは欧米人に似ているなんてこと言ってるんだよ。そこから始めようぜ。
宗教とは普段気付かない形で、いわゆる異教徒の習慣が日常生活に取り込まれているのでは?
たとえば、くしゃみをした人に"Bless you"と言ったり、乾杯の時にグラスの音を立てたりといった、魔除けの風習とか。
魔除けのお守りを持っている欧米人も多いけれど、これは元々はキリスト教の風習ではなくていわゆる異教徒の風習から来たもの。
確かに祭壇を作って拝む事はしてないにしろ、こういう風習は、いわゆる異教徒の神々を無意識のうちに畏れている証拠だと思う。
じゃあその欧米人が家にギリシャの神の祭壇作って毎日祈ったり、
年に数回、その神殿にお参りしたり、
太陽を見ながら「太陽の神アポロンよ」と真面目に言ってみたり、
そんなことはまったくない。
ギリシャ神話を知り、それを使うことはあっても、
つまりギリシャの神々は神として扱われてはいない。
それは多分直接的にギリシャ神話やそれをインポートしたローマ神話の神々を持ち出すより、更にそいつらをキリスト教がインポートした「聖人信仰」で説明する方が通じやすいんじゃないかなー。ああプロテスタントはダメなんだろうが。
おまえらだって職業やイベントや感情や街に守護聖人つけてるだろ? 俺らはそいつらを「神」って呼んでるだけさ、とかね。
そもそも欧米人にだって「神社に行ったら手は合わせますよ」程度の信仰しか持ち合わせてない人もいるようだし。あまり連中の宗教心にビビるこたーないと思う。思想や文化の根底としての宗教には十分注意を払っておいたほうがいいけどね。
あと、ヨーロッパ人の信仰心はところに寄ってまちまちって事情もあるし、宗教というよりは伝統文化として崇敬してるってパターンもある。日本でも三社で神輿担ぐ人がみんな神道の敬虔な信者ってわけでもないでしょ? 鳥居は足蹴にしませんよぐらいの意識+文化への愛だけでも十分「熱狂的な」宗教イベントは実行されるわけですよ(もちろん「し得る」というだけで、純粋な信仰心の塊みたいな宗教イベントも残っているが)。
だからどっちかっつーと純粋な信仰心で駆動してる度合いはアメリカ人の方が強かったりする。欧州にとっちゃキリスト教は文化だが、アメリカにとっちゃキリスト教は勝ち得た自由だとかなんとか。ただ、この辺は身の回りレベルでは結構納得できるんだけど本当に国民全体にそういう傾向があるかは良く分からんな。まあ「進化論反対!」とかいう連中はあまり欧州からは出てこないってのは覚えといて良いかも。
http://anond.hatelabo.jp/20070514225158
「欧米人は一神教のキリスト教徒が多いから、多神教の概念は理解しにくい」とはよく言われる事だけど、
実際にはギリシャ神話の神々も広く愛されているように思うのは私だけ?
たとえば、月ロケットに、事もあろうに異教徒の神の名前「アポロ」を付けたのは、キリスト教国家のはずのあのアメリカ合衆国。
ナイキだって、勝利の女神のニケに由来するし、スターバックスのロゴは人魚のセイレーン。
ローズ・オニールの描いた「キューピー」も、愛の神「キューピッド」が元ネタ。エルメス(ヘルメス)も有名な神様。
他にも、星座の名前とか心理学用語とか商品名とか、とにかくいろんなところでギリシャ神話が欧米社会で活躍している。
本当は欧米人の大半も隠れ多神教信奉者なのだと私は思う。だけど、他の神様に嫉妬深い一神教のキリスト教の神様を信奉している建前上、
それは言わないお約束になっているのだろう、きっと。
ネットだからこそなんだろうか?
ネット上では何かとカテゴライズし、レッテル貼りし…という動きに余念が無い
リアルじゃ出来ないからこそ、ネットでステレオタイプな物の見方をしたり
(でも偏見に満ちた言葉をはけないというのはそんなにストレスがたまることか?)
やれ男がどうの女がどうの、欧米人がどうの、日本人はどうの、若者がどうの、
○○県の人間はどうの、もっと細かくいくと○○オタはどうの、
○○が好きな人間は、ともう鬱陶しい。
あまりにそれだけで語りすぎてはいないだろうか…
結局は、最終的には個人がそれぞれ存在するのみなのに
大袈裟でなく真面目に言ってるような人が多すぎる。
始めは大袈裟に、わかっていて言ってたんだろうけど
それをあまりに多くの人がするたびに麻痺して
段々大真面目に「○○人は××」「○○県は××」とかとんでも無い事を言い出してきた
それが「当たり前」になってきてるのが、ちょっと怖い。
男女の件となると、「一部の男女」をさも「全体」のようにとりあげて
語る人の何と多い事か。漫画のキャラクターのように、異性には数種類
あるいは一種類のタイプがある、みたいに捉えてる人最近いないか?
なんかもううぜえ
なんで最初から、自分から、積極的にフィルター通そうとすんだよ。
もっと個人個人で見ようや
自分がそういう目で見られたら、嫌だろうに…
http://anond.hatelabo.jp/20070405135942
「共通の見解を求める」というのは、むしろコミュニケーションや政治的決着といった談合的な作法のように思えるね。
議論ならその段階におけるそれなりの決着がついてほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20070405135544
簡単なコツだけど、アメリカンジョークを交えるといいらしいよ。
気温を下げるオヤジギャグとちがって、欧米人がいうジョークは「私の話も所詮仮説だよ」というシグナルの役目を果たしているから、それがわからない相手なら議論のなんたるかをわかっていない相手としてあしらえばいいし、議論を見守る第3者もわかるひとならそれを暗黙の内に理解する。
(追記)
恥ずかしい勘違いしてた。議論の終わらせ方についてなのね。
議論の何たるかおを心得たもの同士なら話してるうちに互いに欠けているもの・理解のありよう・立ち位置や問題意識の焦点などが見えてきて、それなりの到達点があるように思う。
あちゃ。上の書き込みもこっちの勘違いか。談合的な作法とかいってもうしわけない。
英米メディアによる従軍慰安婦問題取り上げで、以前騒然とさせたイルカ虐殺を思い出した
オーストラリアでは、このイルカ虐殺のショッキングさと、日本に対する捕鯨反対が直結し、NGOによる捕鯨船の海賊行為にまでつながった。
心の中では、正直このイルカ漁は残虐だと思うし、一方で経済的側面や文化的側面からの継続もやむをえないとも思う。
とくにこういう集団での漁だと、村社会である以上、その中の個人にはどうしようもない面もある。
個別妨害や当事者非難といった直接行動による反対方法には反吐も出る。
そもそも自分はクジラもイルカも食わないのだが、それでも日本の問題として、外国から混同や誤解に増幅から非難されると腹が立つ。
慰安婦問題でも、同様な「外国から混同や誤解に増幅から非難される」点に苛立ちを覚える。
だが、所詮内からの主張に過ぎず、外国では通用しないどころか、より問題を拡散させるだけなんだろうなと思ったしだいである。