はてなキーワード: 初孫とは
祖母が亡くなって数年たった中学生の時、母親から「お前のばあちゃんはビッチだった」と言われた。
実際はビッチとは言わなかったけど。
母は祖母の不貞の相手との間にできた子だという。
祖父の出征の時期と誕生日を照らし合わせるとそう考えるほかないらしい。
実際、祖父と母とは全く似ているところが無い。
そしてそれは母が育った地方の農村で、村の暗黙の了解だったそうだ。
どんな気持ちで母親が育っていったのか、祖父母が育てていったのか、想像もつかない。
ただ、夫婦の子である叔母とはかなり差をつけられて育てられたらしい。
私は家族に溺愛された。特に祖母に。
母は仕事をしていたため、祖母に私を預けていた。
母と祖母は、私の関心を互いに引きたがった。
今思うと、実の親子でありながらあれは異様なかけひきだったと思う。
実の母に「おばあちゃんとママとどっちが好きなの?」と問われる。
祖母には父母の悪口をさんざん聞かされる。
父はそんな家族から逃れるように長期にわたって単身赴任を繰り返した。
私は次第に異様な行動をするようになっていった。
耳や鼻に綿をつめる。机の中に潜って固まる。
さんざんいじめられたっけ。
今ならわかる。
子はかすがいと言ったりするけれど、
私は家族としての、形をなんとかつなぎとめた糊のようなものだったんだ。
私というこどもを糊のように使って、私の家族は家族として形をとどめていたんだと。
ずっとずっと、わたしがわるい子だとおもっていたよ。
異様な私のせいで、家族をくるしめていたとおもっていたよ。
えっ何で?私の姪っこ保育園に入ってから急に凄くしっかりしたよ。
人形とかも振り回すだけだったのが保母さんのまねして布団掛けてなでなでしたり、人形同士で遊ばせたりするようになったり。
家に居たら身につかないような子供同士の人間関係の作り方とか、身につけて行ってるし、親が働きに出てるのも2歳児なりに自慢みたいだしよく嬉しげに「ママ仕事パパ仕事爺仕事」とか言ってるよ。悲壮感はない。
祖父母と同居の初孫で家でたくさんの大人に甘やかされてる状態だから、世間と交流もてるのはいい事だと思う。愛情は家に帰ってから十分に注がれてるしな。
なんか外の人と交流した方がいいコミュ力の基本が作られる年齢ってのがあるらしいし、保母さんもしっかり者で姪はよくなついてるし、保育園にどんな悪いイメージ持ってるのかしらないけど、実際はそう悪いもんじゃないよ。
運動会とか夏祭りとか子供が大喜びする行事もしょっちゅうやってくれるし。
いや、釣りだとは思うけど。
母が死んでしばらくたった。
書類の整理をしていたら、僕と弟宛の小さな手紙が見つかった。
おそらく病床で書いたのか、小さな便せんに弱々しい字で書かれていた。
「○○、△△へ
私は今まで生きてきて、何も成し遂げられませんでした。
勉強もできませんでしたし、大きな会社で働くこともありませんでした。
私はあなたたちを授かり、一生懸命育ててきました。
悩むこともありました。腹立たしいときもありました。
でもあなたたちは、私の生きた証です。
あなたたちが生きてさえいれば、私はこの世に生きた意味があったんだと嬉しくなります。
どうか私に代わって、いろいろな経験をしてください。
母親として、あなたたちに最後の小言を書きます。
お金は不幸から自分を守るものだから、必要な物以外に使わないこと。
言葉は相手の気持ちを変えるものだから、口から出すときは相手の気持ちをよく考えること。
人は会話をすると情を持つものだから、怖れずにいろんな人と話をすること。
初孫見せてあげたかったなぁ。結婚しにくい世の中だけど、親からもらった遺伝子はやっぱり
引き継いでいきたい・・・とぼんやり思ったのでした。
正確な年月は伏せてる。
1988年5月に俺の両親は結婚した。学生結婚だったとか。父は22歳(大学4年)、母は21歳(大学3年)
で、俺が生まれたのが同じ年の11月
20も過ぎて色々祖父母達から俺の親(両祖父母からは息子、娘)の話を聞くようになった。
特に父方の両親には
「女の子の体は大事にせなあかんよ!」とか「ちゃんとゴムを付けろよ!」とか
っていつもあう度に言われる。それも彼女が出来たという話しをし始めてから。この時点でちょっと違和感を感じてたりした。
話は前後するけど、そういう事を聞かされてある日、両親の結婚式の話題で盛り上がったときに結婚した月日が俺の生まれた年の5月だと言うことが判明した。
ちなみに、自分は優良児だったらしく、10ヶ月を母の体の中で過ごし、頭から出てきたし、体重も3564グラム(ちょいデブ)だった。
あと、内臓に疾患を抱えてたけど、それはまた別の話。それのせいで俺は「初孫のくせに」とか「もっとましな(ry」とか色々と祖父母にゴミクズ扱いされたりしたけど、それもまた別の話
んでまぁ、計算すれば良いんだけど、
俺の生まれが11月で10ヶ月前となると同年の1月か2月にセックスしてるんだよね。
んで、妊娠が判明するのって1ヶ月とか2ヶ月ぐらいかかるんだっけ?ってことは、妊娠が発覚してから結婚式を挙げてることになるよね。
つまり「出来ちゃった結婚」とか言われるんじゃないかなぁ。
母の妊娠が発覚したときには母は大学3年生で、大学を中退し卒業せずに俺を生んだこと。
結局、母はそのまま大卒の資格がなく、なかなか就職も出来なかったこと。
父は卒業はしたけど、就職していきなり育児費用がかかってたこと。
父と母の二人きりのラヴラヴチュッチュな生活がなかったこと。
母に対する父方の両親の態度が全然違うこと。
母が何を思って俺を生んだのかが気になる。
多分、もっと勉強したかっただろう。大学生活を満喫したかっただろう。
大学終わって速攻でめんどくさい育児をしなきゃいけなかっただろう。OLとして働きたかっただろう。
俺という存在が母の人生を狂わせてしまったんじゃないかと思うと、どうしても申し訳なくなる。
きっと、俺が生まれたことで、両親に幸福が訪れたかもしれないけれど、俺が奪った両親の幸福も少なくともあるんだろう。
俺を今日まで生きていられる状態にしてくれている親には感謝している。逆に俺は親になにかしてあげられたのだろうか。
雑になったけど、大前提として、俺は親に感謝してる。だけども、俺が生まれてきた事で親への感謝が嫌味になってるのでは無いかという疑問。
「子が生まれたことに感謝しない親はいない」ってのは建前だろとか思う。それも俺が疾患を持って生まれて小学校にあがるまで「病弱な子供はうちにはいらないね」とか「もし、あんたが死んだら弟が長男になったりするのかね?」とかそういう事を間近に(もちろん両親がいないところで)言われていたのもあるんだろう。
感情が萎縮してひね曲がってるが故に上に書いたようなことを思うんだろうね。
移民をご希望の方ですね。ようこそ、ユートピア移民管理センターへ!ここユートピアはトマス・モア生誕600年に建国された世界で唯一の真の自由国家でございます。
当センターは完全無人となっておりますが、オンラインで国の中心地と直結しており、審査やお手続きにかかる煩わしさやお時間をとらせず、迅速かつ丁寧なご対応をさせていただきます。
これよりこの音声案内により、移民に際しての数点の質問と説明をいたしますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
さて、あなた方はどちらの国からいらっしゃったのですか?・・・そうですか、ご苦労をされたのですね。でもご安心ください。ここユートピアには貧富の差も権力の集中も無く、すべての国民が等しく富と自由と権利とを所有しております。
今回、お二人がご夫婦で移民を希望された動機はなんでしょうか?・・・なるほど、ご主人が71歳に奥さまが69歳で、今までお住まいの国では老後に不安があると・・・いえいえまだまだお若いですよ。移民を決意されるのに遅すぎるなんてことは少しもありません。お見受けしたところ足腰もしっかりされてらっしゃいますし、お歳よりもずっとお若く見えます。
・・・ええ、みなさんそう仰います。最近はどこも不景気ですからね、大抵の国家では福祉にまわす予算なんて無いのでしょう。その点もどうぞご安心ください、ユートピアは世界でもっとも福祉に力を入れている国家であると自負しております。国民は高度な医療を無償で受けることができますし、流行のファッションも、美味しい料理も、素敵なマンションも、お子様には高度な教育も、すべて無償で国家より提供されます。
我が国は他国との経済的な交流がございませんので世界的な不況とも全く無縁ですし、全国民の権利として恒久的な手厚い福祉を生涯にわたって受けることができます。
ユートピアに王や奴隷はいるのか、ですって?あなた、大変失礼ではございますがトマス・モアの読みすぎではありませんか?王だの奴隷だのというナンセンスな旧時代の骨董品のような階級など、我が国のような先進的な国家には建国以来一切存在しておりません。ユートピアでは全ての国民がまったく同じ権力を有しておりまして、どんなに些細な事柄でも全てオンラインで行われる国民投票で決められます。先人たちが建国時にこのシステムを導入したことにより、常にスムースかつ適切な行政が行われるのです。
ただひとつだけご理解頂きたい点が、ユートピア国民となられた後の出国については一定の制限がなされる、と言うことです。これは福祉を優先させた結果限られた軍事予算で国防を行わなければならないため、防衛戦略上どうしてもやむを得ない処置なのです。
ですがこのおかげで、ユートピアの夢のような手厚い福祉が、全ての国民に等しく平等に行き渡るのです。
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ユートピアへの移民をご決断頂きありがとうございます。あなたのこの素晴らしい選択を、心よりお慶び申し上げます。それでは、目の前のタッチパネルを使用して必要事項をご入力ください・・・
おめでとうございます!以上で移民のお手続きは全て終了です。これであなたも立派なユートピア国民です。改めまして、ユートピアへようこそ!
え、私ですか?いや、これは申し遅れました、私は2160週目の胎児です。名前はまだございません。ここでは私たち胎児の人権も等しく認められており、選挙権はもちろん、親を選ぶ権利、生まれ出ない権利も有しております。保育カプセルから出られない事と、栄養補給はへその緒から行う事になっているほかは、至って快適な生活なんですよ。
私事ですが先日初孫ができまして、同じ週齢の友人たちの中でも一番早いのが自慢なんです。おかげさまで妻も娘夫婦も孫も、みな生まれ出ない権利を行使して保育カプセルの中で元気に育っております。
近年では私たちのように生まれることを選択しない胎児が国民の8割を超え、慢性的な労働力不足が一種の社会問題となっておりますが、最近提出された『胎児出生選択法』の改正案も国民の圧倒的多数によって否決されたばかりで問題の解決には至っておりません。ははは、もちろん私たち一家も反対票を投じましたよ。
ですから我が国ではあなたのような方を貴重な肉体労働者として、常に心から歓迎しているのです。あなた方も入国された後は、すぐに工事現場や鉱山での労働義務が割り当てられるはずです。
それでは、どうぞユートピアでの素晴らしい暮らしをお楽しみください!
母は一時アルコール依存症になったが克服、仕事をしながら実家の敷地内で店を経営している。
19歳の長女は高校卒業時に上京、父が亡くなった後地元に戻り就職、転勤の後結婚。
17歳の次女は父が亡くなった時高校を中退、通信制高校を2度中退、アルバイトを転々としている。
父が亡くなって7年
初孫を楽しみにしている母親には、彼氏と呼ぶ男性が毎日家に来ていて 店はその男性が営んでいた。
長女はそのことを聞かされていなかった。
長女が作る夕飯を母は一緒に食べず、その男性の分を分け店で2人で食べていた。
母は『入籍するつもりはないし認めてもらおうとも思っていない。この土地を一緒に守ってもらう人だ』と長女に告げたが、長女の夫と外食に出かけるとき、母は男性を連れて行きたいと長女に申し入れた。
長女はそれを断固拒否、その男性の話を今後一切しないでほしい、夕飯は家族で食べてほしい、その男性の分まで自分に夕飯を作らせないでほしいと母に告げた。
次女はその男性について母から言われていなかったものの、うすうす感付いており最近は店に近づこうとしていなかった。
生前の父は厳しくも優しく、仕事熱心で、しかし休日になれば家族みんなで過ごすことを第一に考える人間だった。
父が亡くなったこの家は庭も荒れ、家の中も掃除がろくにされず、荒れ放題乱れていた。
母も次女も会話が少なく、次女はぶくぶく太りだし、体脂肪率40%を超える巨漢になり
衝動買いを続け、服と化粧品がどんどん増え、お金がなくなったら母の財布からカードを盗み、銀行口座から金を盗っていた。
それに気付いた母は次女を叱った。
次女はクレジットカードを作り、キャッシングをし、買い物を続けた。
部屋は洋服とお菓子のくず、化粧品の粉や髪の毛、煙草の吸殻や灰が舞う 荒れた部屋だ。
掃除という行動を知らないのではないかと思わせる部屋。
その部屋を里帰りをした長女が見て、次女を怒りつけたが次女はそれを受け流し、掃除しようとはしない。
長女は次女のいない間に片付けを行い、ガラクタを黙って捨てた。
帰ってきた次女は、片付いた部屋を見て長女に対して何も言わず、買ってきたお菓子をベッドの上で横になりながら食べていた。
片付いた部屋をまた汚しながら。妊婦のいる部屋で煙草をふかしながら。
長女はお腹の子に悪いと思いつつもイライラを抑えられない。
母に『次女の言動や行動に対して、どうして叱ったり注意をしないのか、次女をもっと怒ってほしい』と伝えると
母は『小さい頃からの育て方が悪かった。実家を出る気がない次女にはさんざん言ってきたが、改善が見られない。次女の面倒は私が一生みる。』と言った。
母はさらに『これ以上次女のことを怒らないでほしい。もしまた自殺未遂を起こしたらと思うと、私ももう次女を怒ることはできない』と言った。
長女は、里帰りしなければよかったと夫に泣いて電話で伝えた。
父はいつも本気で叱ってくれた。あのころは大嫌いな父だったが、今思えば本当にありがたいことだったのだ。
父は、今の現状をどう見ているのだろう。
父が、生きていたら何と叱ってくれるのだろう。
しかし父はもうこの世にはいない、それどころか、父がいればこの現状はない。
長女は臨月のお腹をさすりながらお腹の子供に謝っていた。イライラしてごめん、あなたには私がいるよと。
その頃、次女の部屋には食べ終わったアイスクリームの棒にアリが集り