はてなキーワード: バリケードとは
気のせいじゃないね 俺もそれを感じる
そうしたドロッドロの感情ともいえないものが ドーン と爆発する時が日本にも来る。
たぶん、その時には、秋葉原のあの事件みたいな
突発的で利己的でどうしようもなく馬鹿馬鹿しい残虐な事件が日本の各地で見られるようになるだろう。
勝ち組やら、企業やら、政治家は、そういう”危険人物”を差別、隔離、拒絶して遠ざけようとするだろうけど
彼らはそのバリケードを破壊して入り込み自ら諸共 突発的な犯罪を行うだろうな
ま、そんなこと誰でもわかってる事だろう?
世界では珍しい事じゃない
それも溶けて 勝ち負けとやらもハッキリしてきたんだからね。
下層階級の恨みはすごいぞ
他人の痛みを想像せず、めちゃくちゃやってきたツケが日本にもくる。
いいざまだなあ
なぜ、国籍法改定案反対派の議員は、バリケード封鎖で委員長が委員会室に入るのを阻止したり、
委員長室を占拠したりマイクを奪ったりといった行動に出たり、乱闘騒ぎや議事妨害を起こしたりといった
実力行使をしなかったんですかね…
これだけの大騒ぎを起こせば、さすがのマスコミも耳目を集めざるをえないのではないかと思いますし、
「強行採決」の横暴性をアピールすることもできるのではないかと思うのですが…
私は信じませんが、厚生事務次官2人の家が襲撃されたのも、国籍法改定案から目をそらすための陰謀だと
誰かが言っているに違いありませんね…
法案に反対する時には右でも左でもたいてい「アイデア=事実」とみなされますので、十分にありえます。
さて、反対派の皆さんはまだあきらめてはいないと思います。
会期延長が確実視される中、これからどう動いていくかは非常に気になるところです。
さて私は、今後の動向を見守っていくことにします…
ひとまず、反対派の皆さん、頑張ってください…
大荒れもいいところだ。恥ずかしい。
寛解できなくてもかまわないと思っている。一生憎んでいこうと思ってる。自分はそれでいいんだ。許せないならそれはそれでいい。許すのが怖いのかもしれない。
昨日も一日からだが冷たくていつまでたっても寝付けなかった。体中が凝って緊張しているのがわかった。何とか明け方頃に寝入ったけれどもすぐ起きてしまい、今日は一日頭が冴えなかった。元々胃腸が弱いが、飲み物だけで吐けるほど弱っている。別に多分風邪ではない。気から来るってやつだ。
街中で小さな子供を見かけるたびに考える。自分はどういう子育てをするんだろう。いずれちゃんと考えなければならないことはわかっているけれども、いつも怖くて途中で苦しくなってやめてしまう。子供は多分好きだ。いやでもわからない。毎日夜泣きされたら、わがままを言われたら、どうするだろう。どう思うだろう。自分はなにをするだろう。時々止まらない感情があることはわかっているのに、それをどうにかしないうちに親になってしまったらどうしよう。どうなるのだろう。怖すぎる。だから許してはいけないのだ。あれにはならないという意志を強固にもって些細な自分の制御できない部分に触れるたびにあれを思い出してそして自分自身を止めねばならない。あれになってはいけない。だから私は許してはいけないのだ。絶対に許してはならないのだ。
あるひとにじっくりと話し合えば寛解できる、できないわけがないといわれたことがある。そうかもしれないと思った。一時は少しましな関係になったかのようにも思えた。だがそういった彼自身が私を裏切り傷つけ、ずたずたにしたとき自分で築いた幾重ものバリケードの向こうにかわらないあれがいた。きけばきくほど吐き気がした。理解しようと思えば思うほど理解できなかった。もしかしたら彼の影がさしているだけかもしれないと判断を保留して数年たったがあれはあれのままだった。理解できなくてもいい、今はまだ許さなくてもいい、そう自分で思ったときもあれはあれのままだった。変わることはないのだと思った。
寛解できる人もいるだろう、よく話し合って理解できる人もいるだろう。でもあれは無理だった。理解は、した。多分したと思う。でも許すことはできないと思った。過去を水に流すことはできないと思った。大切なひとだということはできなかった。
何気ない言葉に傷ついている。言ってる人たちは悪くないし、普通はそういうものだろうと黙って笑っていることにしている。勝手に傷つくのが悪い。黙っていればそれでいい。誰にでも言わなくてもいい。弱いところを突かれるだけだから自分のために黙っておいた方がいい。
あれは自分の心の安寧を保つためだけに周囲に人間がいると思っていた。あれにとってはすべてが自分を満足させるために存在しているものでそれ以外は排除すべきものだった。愛情はあれを都合よく根拠なく肯定することによってしかありえなかった。あれはいつも言っていた。勝手に生まれてきたくせに育ててもらってる感謝をしろと言った。おまえを養わなきゃいけない理由なんてどこにあるんだろうと心底不思議そうに言った。その言葉通りいとも簡単に存在をけそうとし、大量の血が流れたが病院にかかったことはない。言葉で何度殺されたかわからない。何度も何度も死んでついに何も感じないようになり、すべての人にとって都合のいい人間になった。誰にも逆らわなかった。誰からも存在を認められなかった。
私が苦しかったかつらかったかどうか人と比べるのは無意味だ。恵まれているかどうか不幸か否か人と比べることは無意味だ。私がそうだと思う事実だけが過去には存在していてそれでかまわないのだ。私は言ってもよかったのだ。反発をしてよかったのだ。相手のせいだと一方的に言ってもよかたのだ。今となってはできないが、そうすべき時があったのだ。そうすべき時を経て、自分は悪くないという感情とだがそうとは限らない自分にも非があるという冷静な思考を養わねばならなかったのだ。でも私にはそれができない。まずすべて自分が悪いのだと思い、それから苦労して自分が悪くないという屁理屈をこね上げなければならない。でもそれでもいいのだ。それでも自分がどういう人間かわかっているならそれでいいのだ。自分がまずすべて悪いと思い込んでしまうと言うことを理解してくれる相手がいるなら、それでかまわないのだ。理解した上で立ち止まってくれる相手がいるならそれでいいのだ。私が悪いと思い込んでいるのをいいことにすべて私にかぶせてしまう人でないなら、ちゃんと対話することができる。立ち止まって思い込みをただしお互いに冷静なまま話をしていくことが可能であるのならば、それでかまわないのだ。そういう信頼を置ける人がいるなら、それで十分なのだ。
こうして一つ一つ文字にして自分に言い聞かせることでしかまだやっていけない。無意識の思考の中ではまだ自分自身の思考を整理できない。それでも一歩を踏み出したのならいつか幸せになれると信じている。恐れないで自分とは何かを表現して傷つくことを恐れずに進んでいけば、いつか普通が何かがわかると信じている。もしかするとそれは青い鳥かもしれないが、実際に探し回る過程こそが必要なのだからそれでいいのだろう。
私はあれを許さないしあれにまつわるすべては捨てようと思う。罵られても非難されても、それで弱気になっても、それでも行くしかないのだろうと思う。次の世代に渡さないために。連鎖を一つずつ断ち切っていくために捨てなければならないのだ。すり込まれた恐怖も何もかも。
答えた後、それでその人は目的地へと行くのかと思いきや、なぜか去らず、その人は「こういう本好きなんですか」「理系の大学生?」みたいな話をし始めた。
へっ?会話?会話スタート?とキョドりながら、「はぁ、まぁ」とか煮え切らない返事をしつつ「まだ高校です」とか言いつつ。
いつ目的地へ行くんだう?と私が思う中、大学生の話は微妙に続く。
「こういう本読むなんて珍しいね」「はぁ」「ていうか高校生でこういうの読むなんてすごいね」「いや、凄くないですよ、好きだってだけで、あんまり理解はしてないですよたぶん」とか、そんな話が続く。
「やっぱり高校では理系なの?」「ええまぁ」「どういうジャンルっていうか、どういう本が好きなの?」「結構なんでも興味ありますけど最近は恐竜本とか……数学本とかも好きですし」とか何故か私の趣味語りと化す本屋の一コーナー。ブルーバックスとかも好きですみたいな話まで何故かする私。男子と話すってことがほとんどないから相当キョドっている。話し方が我ながらキモいよ……なんか早口だよ……
で、この会話の終着点ってどこなんだ?と思いつつ、ところどころ沈黙と気まずさもはさみつつ、なんとなく続く会話……
そのうちなぜか、唐突に、「彼氏とかいるの?」という質問。
「いや…いませんけど」
「いたことある?」
「いや別に……」
何!?何!?なんか……やめろよそういうの!正直話しかけられたときから微妙に心の底で期待してたものが出てくるじゃんか!喪女スレとか読めよ!喪女にそんなことすると期待しちまうんだ系スレ読めよ!とか叫びながら、「ちょ……これメアドとか聞かれるんじゃね?聞かれたらどうすんべ?」といらん心配までしだす自分……
ところがそこでまた話は切れ、沈黙と気まずさが漂う。
……。
気まずすぎる……
かといって相手が去る様子もない。この状態って何なんだろう……不思議だ……
相手が振る話題が無いのならば私がなんとか緩和せねば!とよくわからない使命感に燃え、私は
「さっきからね、足音がすると、ドキっとするんですよ、実は母と一緒に来てるので」
と言った(これはマジだったのだが)。実際さっきから足音がするたび「こんなとこ母に見られたらなんか恥ずかしいお…」と微妙にチラチラ気になっていたので、その様子を「何こいつなんかめっちゃチラチラしてる落ち着き無い」とか勘違いされたら嫌だと思いそれへの弁明も兼ねていたのだが(つくづく自意識過剰だ)、それを言った後その大学生は
「えっ!そうなんだ……あ、ごめん。なんか、ひきとめちゃって」
「え。いや、いえ……」
「あっ、じゃあ、あの、ありがとう。道……その、いきなり聞いて、ごめん」
え?何この切り上げっぷり!?と唐突な終着駅に驚きつつ、その「なんかじゃあこれで終わりってことで」モードに押され私は別コーナーへ移動した。な……なんだったんだ……。もしかして「母が」とかいったのを遠回しな「あのーもう話やめたいんですけど」に取られたんだろーか!!なんか、微妙にガッカリした。こういう本について語れる人いなかったしメル友(人生で初めて使ったよこの言葉)くらいになれたら……とかちょっとホワワーンと想像していたのに……まあこんなものか。現実。
それよりも自分の微妙な浮かれっぷりにちょびっと情けなくなった。なんかこんな事くらいでちょっとニヤニヤな自分が情けないよ。こんなん多分東京の女子とかは相当され慣れてて、慣れすぎるがゆえに、話しかけてくる前に既にバリケード張って話させないくらいのレベルなんだろうなぁーと思うと自分の小物ぶり、というか喪女ぶりに泣けた。これじゃ何か簡単にホストにハマりそう。あんなんハマるわけないよーとか笑ってたけど、いや、多分、私のようなタイプは危ないんだろうな。ホストっぽい出で立ちの人がキャバ嬢勧誘みたいなのしてくるのも必死こいて早歩きしてるし。街の女子のようにさわやかに颯爽と歩いて無視とか出来てないし。いっぱいいっぱいの無視だし。心の中では気をつけてるつもりでもちょいと優しい(?)言葉をかけられるとこれだよ。やっぱり男子慣れしてないからかなぁ。あー本当気をつけよう。気をつけよう。化粧品の勧誘とか、大学生になって引っかからないように。ほんと気をつけよう。
増田にいる女性ってさ、一般女性の平均値より、かなり貞操観念強いよな。そんで気持ち悪いほどクソ真面目。道徳観とか滅茶苦茶強い。
あとなにかというと「妊娠のリスクが」を持ち出してきたり、性犯罪がどうこうを持ち出してきたり。
男が大嫌いなんだろうな。という感じ。もう男が何言っても「ああ、全然あなたたちわかってない。私達にはこんなリスクが(以下略)」って感じだもん。話合う気もなくすわこりゃ。なんかもうさ。男は性犯罪予備軍としか捉えていない感じっつーの?そういうバリケードが文章の端々からビシバシ伝わってくる。こういうエントリが来るともうダメなんだ。何言っても無理。何を言おうが伝家の宝刀「妊娠のリスク」等で私達は苦労している、で終わりだもん。そういう主旨の話じゃないのに、話は何も進まない。
色々嫌な目にあってきたのかもしれないけど、正直こっちだって嫌になるよ。
何かを小馬鹿にしたいときに、「興味ないけど」とか「どうでもいいけど」などのフレーズでバリケード張ったつもりになる論法はそろそろ名前を付けるべき。
「『死ぬ・死ぬ』という人は本当は自殺しない」っていうのはウソ。っていうのも正しいと思うけど、
ほんとに自殺するときは、どうしようもないくらい自殺したいときなんじゃないかな。
どうしょもない状態を数日待つことなんてできないし、うつ傾向の人も分裂症傾向の人も気分の上下は激しいわけで、ちょうど予告日に絶望的状態になるって予告することはできないと思う。
予告自殺が成立するとしたら、死に対する意識が変わってきたということだと思う。近代は「生」を絶対善として「死」を遠ざけてきた時代だったけど、この状態が変わったんだとしたら、予告自殺が成立しうると思う。今の中学生の気持ちはわからないけど、たぶん変わってないと思う。
おそらく全ての予告は本人に意図があろうがなかろうが「政治的なもの」なんじゃないのかな。
ボードリヤールが言ってたことを思い出した。
ちょっと難しいけど引用します。
社会や個人は、こんな事態を終わらせるためには、自分自身を破壊するまでつきすすむだろう。それが唯一の絶対的武器であり、それによって集団的脅威を与えるだけで権力を崩壊させることができる。この象徴的「脅迫」(六八年のバリケード、人質作戦)に直面するだけで、権力は解体する。権力は私の緩慢なる死で生きているのだから、私は権力に対して私の暴力的な死を対置するのだ。われわれは緩慢なる死を生きているがゆえにこそ、われわれは暴力的な死を夢見る。この夢こそ権力にとっては耐え難いものなのだ。