2008-11-18

大荒れもいいところだ。恥ずかしい。

寛解できなくてもかまわないと思っている。一生憎んでいこうと思ってる。自分はそれでいいんだ。許せないならそれはそれでいい。許すのが怖いのかもしれない。

昨日も一日からだが冷たくていつまでたっても寝付けなかった。体中が凝って緊張しているのがわかった。何とか明け方頃に寝入ったけれどもすぐ起きてしまい、今日は一日頭が冴えなかった。元々胃腸が弱いが、飲み物だけで吐けるほど弱っている。別に多分風邪ではない。気から来るってやつだ。

街中で小さな子供を見かけるたびに考える。自分はどういう子育てをするんだろう。いずれちゃんと考えなければならないことはわかっているけれども、いつも怖くて途中で苦しくなってやめてしまう。子供は多分好きだ。いやでもわからない。毎日夜泣きされたら、わがままを言われたら、どうするだろう。どう思うだろう。自分はなにをするだろう。時々止まらない感情があることはわかっているのに、それをどうにかしないうちに親になってしまったらどうしよう。どうなるのだろう。怖すぎる。だから許してはいけないのだ。あれにはならないという意志を強固にもって些細な自分の制御できない部分に触れるたびにあれを思い出してそして自分自身を止めねばならない。あれになってはいけない。だから私は許してはいけないのだ。絶対に許してはならないのだ。

あるひとにじっくりと話し合えば寛解できる、できないわけがないといわれたことがある。そうかもしれないと思った。一時は少しましな関係になったかのようにも思えた。だがそういった彼自身が私を裏切り傷つけ、ずたずたにしたとき自分で築いた幾重ものバリケードの向こうにかわらないあれがいた。きけばきくほど吐き気がした。理解しようと思えば思うほど理解できなかった。もしかしたら彼の影がさしているだけかもしれないと判断を保留して数年たったがあれはあれのままだった。理解できなくてもいい、今はまだ許さなくてもいい、そう自分で思ったときもあれはあれのままだった。変わることはないのだと思った。

寛解できる人もいるだろう、よく話し合って理解できる人もいるだろう。でもあれは無理だった。理解は、した。多分したと思う。でも許すことはできないと思った。過去を水に流すことはできないと思った。大切なひとだということはできなかった。

何気ない言葉に傷ついている。言ってる人たちは悪くないし、普通はそういうものだろうと黙って笑っていることにしている。勝手に傷つくのが悪い。黙っていればそれでいい。誰にでも言わなくてもいい。弱いところを突かれるだけだから自分のために黙っておいた方がいい。

あれは自分の心の安寧を保つためだけに周囲に人間がいると思っていた。あれにとってはすべてが自分を満足させるために存在しているものでそれ以外は排除すべきものだった。愛情はあれを都合よく根拠なく肯定することによってしかありえなかった。あれはいつも言っていた。勝手に生まれてきたくせに育ててもらってる感謝をしろと言った。おまえを養わなきゃいけない理由なんてどこにあるんだろうと心底不思議そうに言った。その言葉通りいとも簡単に存在をけそうとし、大量の血が流れたが病院にかかったことはない。言葉で何度殺されたかわからない。何度も何度も死んでついに何も感じないようになり、すべての人にとって都合のいい人間になった。誰にも逆らわなかった。誰からも存在を認められなかった。

私が苦しかったかつらかったかどうか人と比べるのは無意味だ。恵まれているかどうか不幸か否か人と比べることは無意味だ。私がそうだと思う事実だけが過去には存在していてそれでかまわないのだ。私は言ってもよかったのだ。反発をしてよかったのだ。相手のせいだと一方的に言ってもよかたのだ。今となってはできないが、そうすべき時があったのだ。そうすべき時を経て、自分は悪くないという感情とだがそうとは限らない自分にも非があるという冷静な思考を養わねばならなかったのだ。でも私にはそれができない。まずすべて自分が悪いのだと思い、それから苦労して自分が悪くないという屁理屈をこね上げなければならない。でもそれでもいいのだ。それでも自分がどういう人間かわかっているならそれでいいのだ。自分がまずすべて悪いと思い込んでしまうと言うことを理解してくれる相手がいるなら、それでかまわないのだ。理解した上で立ち止まってくれる相手がいるならそれでいいのだ。私が悪いと思い込んでいるのをいいことにすべて私にかぶせてしまう人でないなら、ちゃんと対話することができる。立ち止まって思い込みをただしお互いに冷静なまま話をしていくことが可能であるのならば、それでかまわないのだ。そういう信頼を置ける人がいるなら、それで十分なのだ。

こうして一つ一つ文字にして自分に言い聞かせることでしかまだやっていけない。無意識の思考の中ではまだ自分自身の思考を整理できない。それでも一歩を踏み出したのならいつか幸せになれると信じている。恐れないで自分とは何かを表現して傷つくことを恐れずに進んでいけば、いつか普通が何かがわかると信じている。もしかするとそれは青い鳥かもしれないが、実際に探し回る過程こそが必要なのだからそれでいいのだろう。

私はあれを許さないしあれにまつわるすべては捨てようと思う。罵られても非難されても、それで弱気になっても、それでも行くしかないのだろうと思う。次の世代に渡さないために。連鎖を一つずつ断ち切っていくために捨てなければならないのだ。すり込まれた恐怖も何もかも。

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