はてなキーワード: テスト勉強とは
自宅の風呂場で立ちくらみを起こして、壁に頭をぶつけた。
当時は、大学に入って間もなく、自分にしては柄にもなく意気込んでいて
丸1日集中して講義を受け、テストで高得点取ろうと帰宅してからも躍起になって勉強していた。
今から思うと結構ストレスを溜め込んでいたんだと思う。
その疲れが出たのか、自宅の風呂場で立ちくらみを起こして、壁に頭をぶつけた。
痛かったのも痛かったが、頭をぶつけた直後から凄く吐き気がした。
頭をぶつけて吐き気を催したのは、初めてのことだった。
自分は、軽い脳震盪だと思い、その日は病院にも行かず普通に就寝した。
そして、次の日、朝起きるとまっすぐ歩けなくなっていた。
客観的にはまっすぐ歩けているんだろうが、自分では足元がふらふらしているような気がした。
次に、集中ができなくなった。
テスト勉強をしようと思って、机に向かい集中しようとすると吐き気がした。
次に、本が読めなくなった。
自分がどこまで本を読み進めていたのか忘れる。
既読箇所を20ページ近く読んで、やっと自分が同じページを読んでいたことに気づく。
次に、言葉が出なくなった。
「あれ!そうあれだよ!」と物の名前がすぐに出てこなくなった。
思考してから目的の単語を頭から引っ張り出すのに時間がかかる。
出てこないことも多くなった。
その段になって、ようやく何か重大な問題が自分に起こっているのではないか?と思い立った。
そして頭をぶつけてから1週間後に病院で受診し、頭部CTスキャンを撮ったのだが
診断で特に異常は見つからなかった。
その後も不定愁訴のような下記のような症状が出たり消えたりした
・偏頭痛
・光が眩しい
・顎が鳴る
・立ちくらみを起こす
・下痢が続く
・集中力低下
・記憶力低下
・感受性が希薄になる
・肩こり
5年経って、社会人になった今でも症状が入れ替わり立ち代り出ている。
正直、仕事が上手くできているとは思えない。
1度病院にかかって正常診断を受けているためか、今の自分が駄目なのは
何か別の病気が原因なのか、それとも自分自身が堕落したのか、自分でも分からない。
ただ、昔は理路整然と何事も出来ていた自分を知っているだけに
今の自分の低スペックさを嫌でも自覚してしまい、事あるごとに死にたくなる。
自分の症状をキーにネットで色々調べてみるものの、難病や誤診が多い病気、はては鬱病まで
誰にも相談できないし、病院に行くのも怖い。
このまま、ゆるゆると昔の自分を回想して年をとっていくしかないのだろうか。
何のために生きているのだろうか。
どこへ行くのだろうか。
分からない。
本エントリは
http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733/
に対するコメントとして書いたら非常識な長さになってしまったため,
仕方なく日記にしてしまったものです.今更推敲するのも面倒だし.修論締切やばいし.
以下コメント.
私,ちょうど現在修士論文の提出用最終稿を書いている真っ最中です.
卒業を諦めかけ,それでも卒業できることになりそうな身の上の者が,修士までの研究や卒業について書きます.
あなたのエントリを読ませていただいて,一番強く感じた疑問は,「卒業は誰のためのものか?」です.
私は卒業とは自分と保護者のためのものではないかと感じています.
「日本的お優しい環境なので(学部)卒業できた~」とありますが,研究室の先生は研究者.純粋な教育者ではありません.
あなたの保護者ではないのであなたが卒業研究から何か得ようが得まいが関係はありません.
たとえば博士課程後期にでもなれば自分の研究に利益をもたらす可能性が多少高まるので積極的に構うでしょうが,
学部生レベルじゃ「留年すると担当教諭として面倒だから単位やっちまえ」くらいに思っているかもしれません.
(特に東大ではその傾向を感じるのですが,ここでは言及しません.根拠となるデータなんてないので.)
だから卒業できた,いやさせられたのではないかと感じました.
何しろ卒業生の優秀さはその先生の研究者としての評価に直接は関係ないのですから,ある意味当然の振る舞いかもしれません.
あ,念のために注釈すると,それでもやる気のない生徒を卒業させようと頑張ってる先生は大勢います.
理由は研究者を育てるという教育者の責務に駆られたとか単純に甘いとかはそれぞれなんでしょうが.
結局,卒業にこだわるのは本人とお金出してくれてる人だけ.あと内定先の採用担当もいれましょうか.
そして,本人以外は卒業の事実だけで充分.学校生活の内容にこだわるのは本人だけ.
卒業までの短い期間で自分が満足いくまで研究するのも,就職予備校と割り切って卒業に必要なだけの研究をするのも,
こんな短い期間じゃ研究なんてできっこないと決めて何もしないのも本人次第.
大学ってある程度自由な選択肢があるところなんですよ.授業出席やテスト勉強に限らず,卒研さえも.
勿論明言はされませんが.
それに気づけるかどうかも本人次第.
そこに18歳だから気づけないとか22歳だから気づけるなんて因果関係はないと思います.
私は齢22にして卒研の意義が分からず,とりあえずやってみて,そんなもんかとがっかりしたクチです.単純ですね.
あなたは,同じ状況で頭を働かせ,とりあえずやらなかった.それだけのことでしょう.
そこに新卒採用制度が絡んであなたの問題を複雑化させているのはわかりますが,
就職先で卒業研究の内容を駆使することが求められるわけでもありませんしね.
そうそう,私がなぜ卒業を諦めかけたかの話が抜けてました.
(どうでもいいなら一段落すっ飛ばしてください)
すごくありがちな話で,ビョーキです.
学校に行きたくても行けない期間は辛かったでした.
なぜって,内定をもらってるのに卒業できないかも,という恐怖が常に襲ってきたので・・・
その時に再び思ったのですよ.
あー,やっぱり卒業研究は成果じゃなくて,本人が頑張ったらOKの世界なんだな,って.
この曖昧な文章に無理矢理結論づけるとすれば,
あなたが「学問」できなかった,しなかったのは,他でもない,あなた(のせい)だということ.
そしてそれにうちひしがれて自分から退学を願い出たということ.
担当の先生でもなく,就職予備校でもなく,学の府でもなく,あなたがね.
あなたは学問したいのであれば,きっと研究者を目指せばよかった.
でも,卒業研究ができなくて就職,という(逃げ)道を選んだから,あなたの中で大学で学問する意義がわからなくなってしまった.
大学院に行くということは,就職のために行くのではないという,オトナ達からの刷り込みによる思い込みのためだけにね.
大学院での研究生活は就職だろうと研究だろうと,人生の糧になりうるものですのに.
そして私がこれを書きたいと思った動機は,あなたが研究室に入ってくる生徒達にとてもよく似た考えをしているから.
研究室に入りたてだった頃の彼らに.
毎年,あなたみたいな考えの人が研究室にきて,無駄なことはいやだと最短ルートの入口を探し,
それが正しいのか,抗うべきなのかはわかりません.
でも,私は毎年こう声をかけてきちゃいました.
「とりあえず,研究っぽいことやってみなよ.
頭で考えられる範囲で研究になるかどうかわかるようなテーマは研究ではないから.単なる演習だから.
卒業研究は成果よりもやってみることが大事だから.
やってもみいくちゃ無駄かどうかわからないことにチャレンジするのも,長い人生,たまにはいいんじゃない」と.
私は今でもそう思っていますから,うっかり言ってみたくなったんです.
卒業研究や大学の意義について悩んだ挙句,私とは別の選択肢をとったあなたに,私の考えを.
所詮は終わってしまった選択肢,戯言ですがね.
なにはともあれ,就職おめでとうございます.
あなたなりに納得のいく人生が送れることを切に願いつつ.
テスト勉強しようと思って夜中にマクドナルド来て、ガリガリやってたら気づいたらこんな時間。ごめんよと思いながら朝マックまで食べたんだ。で、ぼんやりしてる。
夜中の同じような時間に若いカップルが来て、僕がガリガリやってる隣で、二人でずっと楽しげにとりとめのないお喋りをして、ついさっき帰っていったんだけど、なんかそういうのが懐かしくて一人でちょっとしんみりした。
何がそんなに喋ることがあるんだろう?って後になって思ったりするんだけど、あっと言う間に時間が過ぎていくようなお喋り、久しくしてない気がする。
だからその二人が正直ちょっとうらやましかったんだけど、それよりなによりしんみりした理由は他にもあるんだ。何が一番ぐっと来たかってその女の子がずっと昔に付き合ってた子とおんなじ匂いがしてたこと。
おんなじ香水だったんだろうかな。匂いって一気に記憶を呼び覚ますんだね、って思った。だからどうしたって話なんだけど、ふっと記憶が引きずり出された感じ。
もうずっと昔の話だから、未練だとかそういうのじゃないんだけどな。なんだろうこの微妙な感じ。
英会話学校や特別な教育を受けた経験はない。文部省の敷いた流れどおりに英語を勉強してきた。大学在学中はTOEICなんて聞いたこともなかった。会社に入って初受験、740だった。以後テスト慣れしていくうちに800を超えた。昨年12月に受けたら900だった。点数はあてにならないと思っている。パタン解析能力だろこんなの。俺よりはるかに低い点の奴が国際会議で活発に発言していたりする。
テスト勉強は特に何もしていない。TOEIC問題集の類は買ったことがない。仕事ではほとんど日本語のみの環境だが、趣味の領域では海外とやりとりする必要があって、英語で論文や手紙を読んだり書いたりを頻繁にやっている。
別にテスト勉強じゃあるまいし。
京大の工学部の専門科目の試験に出される問題っていうのは、その分野の基礎を取り扱ったものばっかり。これがわからなきゃモグリ、みたいな。
まあ、大学受験でいえばセンター試験みたいなもの。しかも毎年傾向が一緒。内容を理解するために高いIQや学力が必要なわけじゃない。
むしろボトルネックとなるのは、教材が充実していないこと。
ほとんどの授業は教官が自己流で教えていく。教科書に沿って授業を進めていくなんてのは非常に珍しい。
だから、試験勉強をする時に、体系的に学習するための資料を用意できるかどうかが肝となる。
てなわけで、以下に思いついた理由を並べてみた。
まあそんなわけで、来年になればまた例年の水準に戻るんじゃないかな。
テスト勉強もほとんど一人でなんとかしてきて、社会人になってから
コミュニケーションスキルが足らないことは
と最近になってようやく激しく自覚してきた自分が
今日得た教訓を記す。誰かの役に立つといいな。
みんな忙しそうだったらメーリングリストに流す。
(期限ギリギリになって直前に泣きを入れるよりはマシ。・・・少なくともウチの職場は。)
(こういう時にコミュニケーションスキルが重要になってくる。相手が誰であれ一意に伝わるのが理想。)
・・・また教訓を得たら続く。
ホットエントリのこれ。
新入社員がやってくる──専門知識を教える技術:第1回 “分かりやすく説明”しては、いけないんですか?
http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0802/26/news006.html
実はこれって塾講師のノウハウなんだよね。で、これが通用するということを逆に言えば、受験勉強が得意な奴ほど、いろんな分野の専門知識に対応できることになる。
だから、教育に時間をかけるよりは高学歴の奴を採用した方がよいってことになる。
で、そんな単純な理解でいいのかよと思いつつ、この記事を書いた「開米瑞浩」って人の名前をぐぐってみると、トップに出たのがこれ。
開米瑞浩の公式Webサイト
プロフィールはこれ。
開米瑞浩 (かいまい みずひろ)
東京大学理科一類中退。IT技術者の業務経験を通して「読み解き、考え、説明する」スキルの再教育の必要性を認識し、2003年からその著述・教育業務を開始。(以下略)
やっぱり東大か。ドラゴン桜みたいに正攻法を主張して、それで教育に一石投じようっていう狙いなんだろうね。
ただ、その方法論が通用してしまいそうなのがIT業界なのがまた辛いところ。だって、業務独占資格でもない資格試験をこんなに重視してる業界がどこにある?結局、テスト勉強得意な奴を重視する業界なんだろ。だったら結局東大様を筆頭に学歴で序列をつけるのが正解ってことになってしまうよなあ。
ええー
俺は全然逆
俺は塾なんていったことないし部活も割りとお気楽な奴はいってたし、宿題とかも学校でちゃっちゃと終わらせて、幸いアタマの出来がいい方だったからテスト勉強もしなかったから、学校行って、4時か5時に帰ってきて、それから遊んだり家で趣味やったり、土日は家族で遊びに行ったり(レジャー好きな家族だった)、友達と街行ったり、ってのが当然だったから。小中高と。
ていうかすげえな。子供の頃からよくそんな生活で耐えられるな。
いや、逆に羨ましい。そんな厳しい(俺的には監獄的な)生活が小さい頃から当然のものだったなら、社会人になってもするっと受け入れられるもんな。厭味とかじゃなくマジで羨ましいわ。
ああ、部活とかやっとくといいって教師とか言ってたけど、そういうことだったのかな。
休日は部活の試合や練習で潰れて、毎日毎日練習があってさ。そんなん、俺はまっぴらゴメンだと思ってたけど、子供のうちからそういうのに耐えておけば社会人になって休日がなくても耐えられる、みたいな意味だったんだろうか。苦労を苦労と感じなくなるために、みたいな。俺はちっと楽しすぎちまったなー。若い頃は苦労を買ってでもしろ、というのは、苦労を苦労と感じなくするためだったのかな。俺なんて歯磨きとか風呂とか、毎日いちいち入るのすら面倒くさいってレベルだから。毎日そういうのきっちりして、毎日部活きっちり行くやつって何なんだ?怪人か?とか思ってたけど、そういうのを小さい頃からやることで苦労を苦労と感じなくなる、ある種、嫌ないい方をすると雇う側から見たら超便利な奴隷労働人間にしたてあげる為のものだったのか。あーでも日本で生きてくならそれっていいスキルだよなあ。俺はもう楽する楽しさとか遊ぶ楽しさを知ってしまったからなかなかその域に達する事ができん。
まあ、仕事が好きな事、やっていたいこと、あるいは仕事以外に特にやりたいことがない、とかなら確かに休みはいらんかも。
休みが欲しいってのは、(少なくとも俺は)要するに他の趣味とかしたいってことだからさ。
それがないなら、別にいらんわな。
俺は学生時代はずっと上の段落のような調子で過ごしてきたから(てか今もだが)、これから社会人になって休みが少なくなると思うと正直やっていけん。仕事とか、学校で言う授業がいやなわけじゃないけどそればっかとか耐え切れん。同じ割合で遊びがなきゃ俺無理。死ぬ。だから何とかして作り出してやろうと思ってる。それこそ海外へ行ってでも。
そこで、X国語を通訳してくれる人をさがさなくちゃいけなくなったのだ。
それもかなりたくさんの人を定期的に雇う必要があるのだ。ともかくたくさんという点が大事だ。仮に毎年100人くらいということにする。100人は多い。
きちんと通訳のできる人であれば、報酬は弾むつもりなので、この仕事を希望するひとはX国にはたくさんいる。
問題は、一人ひとりたっぷり時間をとって面接することができないのだ。
応募者の中には、かなり高い通訳の能力を身に着けているひともいれば、片言の日本語しかしゃべれないのに応募してくるひともいる。
そこで、あなたは、テストを課すことにしたのだ。
応募者には、採用専用の番号に電話してもらう。そこで、自動でテスト問題が出るので、そこに答えを吹き込んでもらうのだ。
問題は、XXXXXを日本語で言ってください、といった簡単なものだ。
これで、限られた人数と限られた時間で、能力のある人を選別できる。
しかしそのテスト問題が流出してしまった。
1問目の答えはwatashino namae ha ?? desuと答えよ、といった具合のアンチョコが出回ってしまったのだ。
その後はいたちごっこだった。
問題をランダムに出してみたり、定期的に更新したり、難しくしたり、と色々な工夫をした。
それでもX国の人はそのたびに、そのテストを丸暗記して、通訳の能力がないのに、その試験をくぐりぬけてしまうのだった。
あなたは毎回違うテストを出すようになったし、カンニングがわかったときには今後試験を受けれなくする、といった工夫をほどこした。
そのうち、あなたの会社の出す問題はかなり洗練されたものとなり、通り一遍の丸暗記は不可能なものとなった。
では、いたちごっこはおわったのだろうか?
しかし、それでも通訳の仕事はX国の人にはあまりにも魅力的なものだった。
そして、とうとうあなたの会社の試験問題に合格するための学校ができたのだ。
以前は、必要に迫られて日本語を独学で勉強してきて日本語をみにつけたという人を簡単な質問ですぐに選別できたのに、
今はその試験専門学校で勉強してきた通訳まがいばかりになってしまった。
文法の勉強もしてるし、語彙の暗記もしているのだが、彼らの通訳はあまりにも使えない。
それは、彼らの勉強のゴールが「聞いたことを理解できること、自分の言いたいことが表現できること」ではなく「試験へ合格すること」になってしまっているからだ。
以前、会社の試験に応募してくる人は、市場で実際に日本の観光客を相手にしたり、辞書を引きながら日本語の本を読んだりしてきた人々だった。
しかしそういった人は、現在の洗練された試験では逆に落ちてしまうこともある。
受かるのは、テスト勉強を繰り返してきた人の方だったりする。
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