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2022-08-11

anond:20220808230724

コロナ?コロナの一症状であるところの精神不安定?

でも夫に「離婚しよう」と言わしめるほど積み重なったアレがあるということだよね

夫を愛していて一緒に居たいのなら真摯謝罪して別人格に生まれ変わるしかない

謝罪は出来るだろうから、「どうやって生まれ変わるか」について考えてみると

医者さんに行ってお薬を貰ったり、認知行動療法を行ったり

など。ですかね

自力のみで生まれ変わるのは至難の業というか基本的に無理です。凡人には

(絶対他力=宗教みたいなのはやめましょうね。自分を救えるのは自分だけですので。病院行くのも他力だろって?否。医療の力を借りて治すのは自分です)

瞑想なんかも精神には良いと思いますが、すっごく上手じゃないとドラスティックな変化なんて得られないでしょうね

(そもそも時間かかるし。夫が出て行ってしまうわ)

夫婦関係は兎も角、とりあえず良いメンクリ探して行った方がいいですね

これから人生の為に

2010-01-17

俺に何か秀でた才能なんてあるの?

っていうのはずっと不安を抱きながら思っていた事で

それでもやる事をするしか他に出来る事がないからしていた。

「最後の親鸞」は何回も読んでいて、自分なりに解釈して実践していたつもりだったんだけど、

絶対他力っていうものが何なのか本当の意味ではまだよくわかっていない気もする。

でも、社会に参加するっていうのは良い意味でも悪い意味でも自分の意思でなんとかするって事なのね。

そういう事にこないだやっと気付いて、諦めの境地だけじゃどうにもならないなって思ったわけです。

2008-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20081001001643

キリスト教の救済
イエス・キリストアダム以来延々と続く人類の罪を一身に背負って十字架にかけられたことで、人類の罪は贖罪されたのだと考える。イエス・キリストを信じる、というのは、要するにイエス人類の罪を贖罪したのだということを信じるということ。イエスを信じることによって、その人の罪もイエスによって贖われることになるので、死して後、最後の審判のときが来ても、地獄に落とされずに済むかもしれない。
阿弥陀浄土教)の救済
昔現世にいた王様が誓願を立てて修行したのちにブッダ如来)となったのが阿弥陀如来。で、阿弥陀如来はその誓願において自分に帰依する者は残らず西方浄土に導いて成仏の道を歩ませよう、と誓った。この阿弥陀如来への帰依を表すのが「南無阿弥陀仏」という念仏で、法然の場合はとにかく念仏を唱えれば浄土へ行けるのだ、という手軽さが衆生にウケた。親鸞はそこからさらに先に進んで、阿弥陀仏による絶対他力への信仰という形をとる。いたずらな・中途半端な自力本願は阿弥陀仏への帰依の邪魔となるだけなので、戒律すらも構うことなく、阿弥陀仏へのひたすらの帰依を行うことこそが救いなのだとした。さかしらな善人面をした修行者よりも、自らの性根が悪であることを自覚した「悪人」のほうが、かえって浄土への道は近い、としたのが浄土真宗の「悪人正機」。

こうやってまとめてみると、キリスト教=罪と贖罪思想仏教=苦(一切皆苦)と涅槃思想、というように分けられるかもしれない。

付記:

 悪いことをする→「それはあなたの罪になるよ」というのがキリスト教

 悪いことをする→「だからあなたは苦しい(苦しむ)んだよ」というのが仏教

 良いことをする→「神の意志に沿った行いをしているよ」というのがキリスト教

 良いことをする→「だからあなたは嬉しい(楽しい)気持ちなんだよ」というのが仏教

 
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