はてなキーワード: 祖国とは
空理空論もいいところだな。
全員じゃなけりゃいいのか。2割3割ならそういう人間が地元で選挙権を行使できてもいいのか。
その永住者の滞在費は、誰がどう負担してるわけ?
永住者ってのは現地に住み着いて生活してる者が大半だよ。祖国からの仕送りで暮らしてる奴なんて少数派。
意味分からん。中国共産党が具体的な指示出さない限り彼らが何も行動起こさないとでも?
自己負担で日本にやってきてる在日韓国人とか、半世紀経ってるのに未だに祖国に忠誠誓ってるようなのがまだまだいるんだが。
首長選挙でキャスティングボートを握ったところで、肝心の首長に言うことを聞かせられなければ意味なし。
「キャスティングボートを握る」を理解してるのか?
「言う事を聞かせられる」もそれに含んでるんだよ。
何をそこまで国家だの統治機構だのと自分自身の間に対立構図を描きたがるんだろう。
個人がどんだけ吠えようが国家は気にも留めないよ。
逃げられる状況ならいつでも好きに逃げればいいじゃん。
要するに、住んでる国がヤバいと感じたらケツまくってさっさと逃げるってだけの話だろ?
その代わり、二度と戻ってこれない覚悟はしといた方がいいよ?一度国籍離脱したら、再取得は他の外国人同様に面倒だから。
あと、逃げた先で「祖国の危機から逃げた臆病者」扱いされない保証もないし、逃げた先の国で現地の国民並の扱いされる保証もないよ?
ああ、国籍要らないんだっけ?じゃあボートピープルみたいな生活を送る覚悟もしといた方がいいね。
このツリーでさんざん突っ込まれてるのは、元増田にそういうリスクを負う覚悟が全然見えてこないからでしょ。
「覚悟してるし、仮にそうなっても自分で選んだ事だから文句は言わない」と一言言えば「ああ、そう」で終わるよ。そんだけの話。
「国を捨てる」という事の意味をもう少し考えた方がいいと思う。
それでいて「自分は産まれた時から日本国民だし、郷土は愛している。」とか言っちゃうわけか。それってほんとに「自分は日本国民」とか「愛してる」とか言えるの?
それと、「新国家」がどこまで自分を信用してくれるか、誰も保証してくれないよな。
「新国家」の立場になって考えてみりゃ分かるが、祖国ですら裏切るような奴が、縁もゆかりもない自分たちを絶対に裏切らないとどうやって確認すればいいんだ。
ましてやそいつは国籍はいつまでも日本のまま。日本から離れようともしない。そのくせ「国と命運を共にしない」とか平気で言うんだろ。そんなのをどうやって信用しろと。
逆真かぁ、
外国籍の人ひとりひとりには、私たちを脅かす力はないけど
祖国の国々となると、そんなことはないから
脅威を感じる。
よって、そこに力を与えるようなことはできないから、大きな力を一人一人に与えられない。
空理空論はもうたくさんだ。
それを言ったら、日本人だって離脱できるだろ。
永住権を取得するに至るまで根付いているのに、帰国を余儀なくされること自体が困ることだろうに。
なら、その「売国者」を利用すれば選挙権を認めずとも日本の地方や国政に影響を与える事も可能なのだから、あえて権利を付与する必要は無いね。
小選挙区制ならともかく、地方議員は大選挙区制か中選挙区制だよ。
その話は、外国の利益を優先するような人間に選挙権を与えるべきか、という問題を通過しないと成り立たない。普通であれば与えるべきではないという結論に落ち着く。
なんで?
「外国の利益を優先するような人間に選挙権を認めるべきか」という点では違いない。
与えるべきでないといっても、実際に行使するまでは国益に合致してることになってる。
いや無い。日本のどこに住もうが、永住者は日本からいつでも離脱できる。
よって必ずしも困るとは限らない。日本人が日本から外国へ移住するよりもはるかに低いコストで祖国に帰国できるのだから。
“売国者”って存在が実在するのであれば。
なら、その「売国者」を利用すれば選挙権を認めずとも日本の地方や国政に影響を与える事も可能なのだから、あえて権利を付与する必要は無いね。
その話は、外国の利益を優先するような人間に選挙権を与えるべきか、という問題を通過しないと成り立たない。普通であれば与えるべきではないという結論に落ち着く。
日本国籍を持ってる者とそうでない人間とでは、日本という国に対する責任の度合いが全く違う。
日本国籍を持っている者は日本が繁栄するために選挙権を行使する担保がある。日本が傾けば困るのは自分たちだから。しかし外国人は当てはまらない。
重国籍を認めない場合の、永住外国人地方参政権付与した場合でも、日本の国政に関する選挙権の行使はそもそもできないよな。
永住権者は、自分の住んでる地域が繁栄するために選挙権を行使する担保がある。
地域が傾けば困るのは自分たちだよな。最悪、他の地域なり母国へ移住する決断へとつながるわけだから。
重国籍を容認した場合は、日本国籍を取得した時点で外国人でなくなる。
一国の利益が他国の利益を害するという状況が珍しくない現代において、もし日本の繁栄と祖国の繁栄が競合する事態となった場合、日本の政治に口を出せる立場でありながら後者を優先する事が可能になる。
たとえば有事法制なんかでも、県知事が果たす役割は非常に大きい。そんな県知事を、日本の利益から独立している外国人が選べるというのは日本人にはリスクでしかない。
“売国者”って存在が実在するのであれば。
単に外国の利益を優先するというだけで、犯罪に該当しないのであっても、参政権を奪うという話になるか?
リスクの質が全く違う。
日本国籍を持ってる者とそうでない人間とでは、日本という国に対する責任の度合いが全く違う。
日本国籍を持っている者は日本が繁栄するために選挙権を行使する担保がある。日本が傾けば困るのは自分たちだから。しかし外国人は当てはまらない。
一国の利益が他国の利益を害するという状況が珍しくない現代において、もし日本の繁栄と祖国の繁栄が競合する事態となった場合、日本の政治に口を出せる立場でありながら後者を優先する事が可能になる。
たとえば有事法制なんかでも、県知事が果たす役割は非常に大きい。そんな県知事を、日本の利益から独立している外国人が選べるというのは日本人にはリスクでしかない。
じゃあ、「この国に永住してる外国人ってのが、日本がどれだけガタガタになって住みにくくなっても祖国に戻らず日本に留まり続ける」って前提も追加な。
そりゃそうだろ。
当たり前の話だが、永住者だろうがそうでなかろうが犯罪者でもない限り外国人は祖国にいつでも帰国できるんだよ。日本に住むメリットが薄くなった時の選択肢が日本人より一つ多いわけ。一昨年末の派遣切りでうだうだやってた頃、職を失って帰国を考えてる静岡在住のブラジル人の特集とかテレビでやってたろ。同じ条件に陥ってる日本在住の日本人に「そんなに生活苦しいなら祖国に帰れば?」というアドバイスが成立するか?
で、それと重国籍容認や永住外国人地方参政権付与とどう関係するの?
国内での住みやすい、住みにくいって話なんだし。
日本が豊かになれば、周り巡って住む人も豊かになるんだから、関心を持つのが自然なんじゃないの。
よその国から労働力や人材を奪って「日本が豊かになるんだからそれでいいじゃん」的なロジックを平気で振りかざす姿に反吐が出る。日本から奪われた側がその分だけ貧しくなるかもって発想が全然ない。どこの国の人間であれ、祖国の発展のために生きるのがもっとも自然だと思わないんかねえ。
だから、日本人として祖国の発展のために、重国籍容認なり、永住外国人地方参政権付与をすべきと考えてるんだけど。
日本からだって、アメリカとかに人材流出してるんだし、他から呼び込むだけじゃなくて、流出させない努力も当然やるべきだろうけどな。
じゃあ、「この国に永住してる外国人ってのが、日本がどれだけガタガタになって住みにくくなっても祖国に戻らず日本に留まり続ける」って前提も追加な。
当たり前の話だが、永住者だろうがそうでなかろうが犯罪者でもない限り外国人は祖国にいつでも帰国できるんだよ。日本に住むメリットが薄くなった時の選択肢が日本人より一つ多いわけ。一昨年末の派遣切りでうだうだやってた頃、職を失って帰国を考えてる静岡在住のブラジル人の特集とかテレビでやってたろ。同じ条件に陥ってる日本在住の日本人に「そんなに生活苦しいなら祖国に帰れば?」というアドバイスが成立するか?
この件の賛成派、とことん「日本が豊かになる」って事にしか関心持ってない差別主義的感情の持ち主が多い事にいらいらする。よその国から労働力や人材を奪って「日本が豊かになるんだからそれでいいじゃん」的なロジックを平気で振りかざす姿に反吐が出る。日本から奪われた側がその分だけ貧しくなるかもって発想が全然ない。どこの国の人間であれ、祖国の発展のために生きるのがもっとも自然だと思わないんかねえ。
正直、奪われた側が貧しくなろうが知ったことではない。これは国と国との生存競争であって、他国が負けないように気づかってやる義理はないと思う。
日本にやってくる外国人も同じ事考えてると思うけどな。日本が負けないように気遣いながら日本の選挙権を行使してくれる保証などどこにもない。
そりゃそうだろ。
そんな前提を満たす外国人ばかり都合良く日本にやってくる保証がどこにあるんだ?というのが俺の言いたいこと。
トラバ元読め。この辺とか。
http://anond.hatelabo.jp/20100114145530
だから、有能な外国人を招いてつなぎ止めるために、それなりのインセンティブが必要なんでしょ。
その一つが、地方参政権なわけで。
やっぱり出たかそういう思想が。「後々お前らも得するんだから今は我慢してまずは俺たちを豊かにしろ」と相手に押しつける発想。アメリカ的独善だね。移民を奴隷扱いする事を社会全体が暗黙に受け入れてるアメリカのやり方。はっきり言って日本には馴染まないよ。
その過程で他国の発展を阻害する可能性について、メリット強調してる奴らがちゃんと考えてるようには思えん。「よその国の事など知ったことか」と開き直る奴すら現れるし。
もっとも、「有能な外国人」ばかりが日本にやってくるとは限らないけどな。相手側からしてみれば、人材を日本に吸い取られる形になるわけだし。
自分にとって住みにくくなったのであれば、住みやすそうな地域に移ればいいというのは、日本国民だろうが外国人だろうが同じこと。
明らかに同じじゃないだろ。
永住資格持ってる外国人はその時点ですでに色々な手続きや審査をパスしてる状態。その後日本のどこに移動するのもコスト的に日本人と大差ない。
つまり住む場所としては「祖国」+「日本」が選択肢。しかし日本に住んでる日本人は大半が「日本」しか選択肢はない。隣町に引っ越す感覚でグリーンカードが取得できるなら話は別だが。
特に在日外国人の中でも最多をしめるのは中国人だが、中国は外国人の永住資格を認めていない。当然だが、外国人参政権も完全NGの国。
2番目に多いのは在日韓国人で、彼らの祖国である韓国は外国人参政権を認めてはいるものの、納税額やその他条件があってまともに該当するのはほんのわずか。在韓日本人でも100人といない。
やっぱり「坂の上の雲」はドラマ化しないで欲しかったなーと思っています。司馬さん本人が誤解を招きやすいから映像化は止めて欲しいって言ってたのに無理矢理ドラマ化したものだから、案の定いろんな批判が沸いています。
私の狭い観測範囲のなかで一番代表的にみえる批判は、司馬さんは日露戦争を祖国防衛戦争だと表現しているけれど、ロシア側に侵略の意図はなかった。避けられた戦争なのに防衛戦争とかありえないという意見です。
加藤陽子さんの「それでも日本人は『戦争』を選んだ」を読むと、日露戦争直前に権力を掌握した極東総督のなんちゃらさんが、韓国取っちゃった方が安上がりですよとか皇帝に言ってたらしいのでロシア側に侵略の意図なしとはいえないんじゃないかなーと思うし、当時のロシアがトルコや満州にしていた仕打ちを考えたら、次は日本かもって当時の人達が恐怖するのも当然だと思うのだけど、まあそこらへんは歴史をきちんと学んでいるプロの方たちが論争しても中々決着がつかないわけだから素人には分からない事柄が色々があるんだろうから置いておきます。
私はたとえ司馬さんが間違ってたとしてもさほど問題ではないように思っているんです。
司馬さんは「坂の上の雲」をなるべくフィクションを抜きにして事実に即して書こうとしてますし、そう宣言もしていますが、それはあくまで司馬さんの中で事実だと思える内容を書くというだけのことで、読んでる方はそれを完全な史実だと思って読んでるわけじゃありません。
ただ司馬さんの歴史観を誤りだと批判している有識者さんたちは、その批判の理由を小説を史実だと勘違いされちゃ困る。国民の歴史観に影響を
与えかねないと言っています。
私は読み手はそれほど馬鹿じゃないし、盲信もしていないと思うんです。司馬さんはこういう風に日露戦争や当時の日本を捉えてたんだなー、凄いなー、面白いなーって読んでいるだけです。司馬さんは小説家ですから、エンターテイメントとして最低限の盛り上がりも必要だと思っていたでしょうしね。読み手はそれほど馬鹿じゃない。小説だと分かって読んでいる。私や私の友人はそれほど優秀な人間でもないけれど、司馬さんは無謬だとか思っていないし、思っている人を見たこともないです。
逆に批判している有識者さんたちにちょっとした思い上がりを感じるんですよねー。私たちは優秀で知識も豊富だから騙されないけど、お馬鹿な読者はころりと騙されて変な方向に突っ走っちゃうかもしれないから、司馬さんの小説を批判して目を覚ましてあげましょう。啓蒙してあげましょうって。大きなお世話ですよね。ちょっと悪く書きすぎかもしれませんが。
子供達が影響受けちゃうから犯罪小説禁止とかと同じ流れな気がして嫌なんです。そういう批判をする人が現れるから、誤解を招きにくいように誤解を招きにくいようにとびくびくした無味乾燥な物語ばかりになってもつまらないじゃないですか。
同じ小説を読んでも、こういう犯罪の手法があるのか気をつけようって読む人もいれば、単純に物語として楽しむ人もいるし、この手法で犯罪を起こせるかもって思う人もまれにいるかもしれない。でもそれは書き手の罪ではないし、それを恐れてつまらない物語が増えていってもしょうがないと思うんですよね。
ただまあ、司馬さんの影響力っていうのは確かに大きいです。司馬さんの小説を読んでいる人数は、その関連の歴史書を読んでる人数の何倍もいるでしょうから、そのうちのいくらかは勘違いしちゃう人が出てくるかも知れません。だからその人たちの為に批判をするんだっていうのだとしても、やっぱり言い方ってものがあるんですよね。
もうちょっと司馬さんを立てた表現ってのを出来ないものでしょうかねえと。司馬さんの小説には何の罪もないはずなのに、司馬遼太郎の歴史観をぶった切るみたいな批判の仕方をする人が少なくないでしょう?別にぶった切らなくても、司馬さんの小説は面白いけれど、現在の研究ではこういう論もあるのです。こういう視点もありますよでいいじゃないですか。なぜ叩かずに別の価値観を提示出来ないのかなーと残念に思います。
1着から3着までを着順を含めて当てる3連単で、絶対にこないであろうというはずれ馬を除外した残りの組み合わせを全て購入した場合、取りガミにならない確率はという問題に対して、仮に、14頭立ての場合、3連単の組み合わせは全部で2184通りとなる(14*13*12)。このうち、絶対にこないからという目論見で仮に5頭を外すと、残り9頭の3連単の組み合わせは全部で504通り(9*8*7)となる。
この場合、504倍以上の配当の組み合わせがこなければ、たとえ当たっても取りガミである。
このやり方では、504倍以上の高配当でない限り、損になるということから、逆に考えると、絶対にこない馬を外した組み合わせを、配当の高い順に並べ、取りガミにならない範囲で順番に買っていけば、利益が出る可能性が出てくるということになる。
配当の高い順に並べて上から何枚までを買うと決めて、その一番下の買い目の配当が買った枚数以上であれば、そのうちのどれかがくれば確実にプラスになる。
こういった買い方は、穴場で馬券を一枚ずつ買うやり方では時間と手間がかかりすぎる、それをやる人を大穴狙いの馬券ばかりを買う為に穴場の窓口を占領する事から、穴師と呼ぶ。暴力団が仕切っているノミ屋で買うというやり方は、ノミ屋は100倍以上の配当は100倍で打ち切るから、本命や低倍率の馬券を買うのにしか使えないので不可能である。こういった買い方が一般の人にも可能になったのは、パソコンから馬券を買えるようになってからである。さらに、それなりの金額の購入資金が流入してもオッズが動かない程度に規模の大きなレース、つまり、日本の中央競馬のような場所でなければ、やれない。いくら馬券がパソコンで買えるからといって、総売上がたかだか数千万円程度の地方競馬やボートや競輪やオートレースでは、買いが入ればがくんと配当が下がってしまい、取りガミの可能性が高くなってしまうのだ。
もっとも、パソコンで公営競技の投票券を購入すると、当たり券の履歴が残ってしまう。公営競技の配当金は、基礎控除と当たり券の購入資金だけしか経費控除できず、外れ券分の費用は控除されない事になっている為に、申告しないと、莫大な追徴課税をかけられる事になるのであった。
パソコンからの購入で高配当券を総買いという手法は、必勝法として有効であるが、本気でやると税務署から目をつけられるという罠であり、まともに申告したら、利益は無くなるという結果が待っている。
多少なりとも税務署の恐ろしさを知っている人ならば、絶対に手を出さない手法なのだが、やってしまう人がいたようである。まぁ、外人ならば仕方が無いのかもしれないねぇ。祖国で食い詰めて日本に逃げてきた不良品だろうし。
もし自分が戦争にいったら、怖くて何も出来ないだろう。みっともない自分をさらけ出してしまう。自分の弱さをさらけ出してしまう。それだけは絶対さけなければいけない。ディベートではこの pro & con システムがよく使われる。
そうだ、戦争に行くということ自体をなくせばいいんだ。その可能性をなくするのがが一番だ。
自衛隊海外派遣はけしから! ゆくゆく自分が徴兵されるようになったらどうなるんだ! 惨めな自分をさらけだしてしまう。
靖国問題、そんなには自衛隊海外派遣につながる可能性がある。自分が徴兵されたらどうするだ! 惨めな自分をさらけだしてしまう。
さあ、反対する理由をさがそう、宗教から引用しようか、それもと国連憲章か、いやいや小学校の時の◯◯先生の言葉あった、
いや、それよりもさらに弱者をさがそう。戦争になって被害をつけるのはつねに弱者である。かれらを守るために戦争はすべきではない。
おお、なんだか調子がでてきたぞ。そうか、たしかにこれは良い考えだ、自分より弱いものを見つけてそれを守る言い訳にすれば、
自分の弱ささえも認識しないですむ。自分のほうが役立つ強者でいられる。自分の臆病さを忘れられる。
おお、なんとすばらしい、一石二鳥とはこのことだ。
でも、反対理由だけ言ってたら、臆病者の自分がばれてしまう、ここはひとつ賛成する理由も出しておいて公平性をアピールしておこう。
そうだ、pro & con 議論だ。それで自分のプライドをなんとか整えて、それから反対すればいい!!
もし自分が戦争にいったら、怖くて何も出来ないだろう。みっともない自分をさらけ出してしまう。自分の弱さをさらけ出してしまう。それだけは絶対さけなければいけない。<注意>私はなんでもかんでも派兵賛成といっているのではない。取り返しの出来る範囲で何度も何度も失敗を繰り返しながら、失敗しない自分をすこ少しずつ築き上げていくため、にどれくらいがライン適切なのかを判断することが大切‥‥と思っている 。
そうか、簡単だ。自分が弱いのだから、強くなればいいんだ。
強くなるにはどうすればいいのだろう? 簡単だ! トレーニングだ。
取り返しの出来る範囲で何度も何度も失敗を繰り返しながら、失敗しない自分をすこ少しずつ築き上げていけばいい。
そのためのトレーニングの舞台はどこにしよう‥‥。
敵との対比(実際の敵であることもあれば空想上の敵であることもある)において自己を定義しようとする様々なイデオロギーである。>
このようなイデオロギーでは敵(すなわち自分が無力である原因)が悪の元凶扱いされ、反対に、道徳的に優れているのは自分だとされる。
彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ、というわけである。
あるいはまた、世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがってわれわれのほうが世界より優れている、ともなる。
その辺の問題はまだ残ってるだろうけど、そもそも年金がもらえなくなるという事態が時間の経過で発生する事は分かりきっていた事なんだよね。誰だって一年経てば一歳トシを食う訳だし。
で、それを回避するために在日は何をしてきたか?というと、実はなーんにもしてこなかった。1950年代か1960年代に厚生省から「年金払ったら?」と打診があった時は「ていうか日本に骨を埋める気はないんで。そのうち韓国に帰るし。」と拒否してきたわけだし。
じゃあその間韓国の年金を払ってきたのかというと、どうやら払ってないらしい、というか、韓国政府は今日に至るまで一貫して在日の年金加入を認めてないっぽい。当時の韓国側からしてみたら在日は棄民扱いなので、「日本に面倒見て貰えばええやん?」的なスタンス。そして在日達の大半はなんだかんだで祖国に帰らず日本に居続けた。まあ、殆どが最初から日本に定住する気で来てる訳だけどね。で、年金が欲しいお年頃になって尻に火が付いてすったもんだやってるわけ。
その際、年金受給は当然だ!支払え!日本政府は我々を救済する義務がある!みたいなスタンスで言っちゃうから(特に右派や保守層から)反発を買う。おまけにそれを煽る進歩的(笑)な日本人もいたりするからたちが悪い。
それを実現するための土台としても愛国心教育は必要だろうなー。
http://anond.hatelabo.jp/20090902010709
「民族的な純潔性」は、まあ維持できればいいな、位には思ってるけど、経済成長とのバランス次第かね。ただ、そんな絶妙なバランスを維持できるとは思えんから、0か100かの二者択一以外は現実的には無理だと思うよ。今でさえ毎年10万人以上不法入国者が入り込んでる状況なんだもん。仮に移民推進したら、10年で100万人じゃきかない規模の異文化圏の人間が都市部にあふれる事になるのは確実だろう。その過半が日本よりも祖国の利益を優先するようになったら国難もいいところだわ。
「あなたたちの先祖は日本国のために戦いかくかくしかじか・・・」
と教えても
「いや、その頃うちの一族は祖国・・・」
ってなる。
仮にそのような発言があった場合は日本人としての価値観より血による民族的な(しいてはその民族の属していた国の)価値観を
より上位に置いているってことになると思うんだが。
自分が思うに移民を受け入れ日本人として同化(その過程によりその日本人像が現在と異なりはするだろうが)させるには
「あなたたちの先祖は日本国のために戦いかくかくしかじか・・・」
と教えても
「いや、その頃うちの一族は祖国・・・」
ってなる。
具体的には、移民受け入れて何とかなってるアメリカを見習って、毎朝日の丸に向かって忠誠の誓いを唱和させりゃいい。あと、卒業式で起立しないとかガタガタ騒ぐ教師はデフォで懲戒免職、特例でも減俸三ヶ月くらいにするとかね(現在はせいぜい訓告処分が関の山だったはず)。
でも、ただ単に日本国を維持したいだけならばそうでもない。
今移民政策を行い、移民の2世、3世の時代になったとき、例え中国・韓国並みの歴史(愛国)教育を行っいたとする。
「あなたたちの先祖は日本国のために戦いかくかくしかじか・・・」
と教えても
「いや、その頃うちの一族は祖国・・・」
ってなる。
仮に、2世3世が帰化していてもそれは同じ。日本国に忠誠を誓ってくれるだろうし、それはそれで愛国的なのではあろうが。
経済的な側面から移民を受け入れたいのか、国家存続のために移民を受け入れたいのか、主目的によって議論の方向性は大きく変わる。