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2010-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20100125200548

空理空論もいいところだな。

で、全員が中共の完全なコントロール下にあるという根拠は?

全員じゃなけりゃいいのか。2割3割ならそういう人間地元選挙権を行使できてもいいのか。

その永住者の滞在費は、誰がどう負担してるわけ?

永住者ってのは現地に住み着いて生活してる者が大半だよ。祖国からの仕送りで暮らしてる奴なんて少数派。

自己負担であれば、何で中共の指示に服さないといけないの?

意味分からん中国共産党が具体的な指示出さない限り彼らが何も行動起こさないとでも?

自己負担で日本にやってきてる在日韓国人とか、半世紀経ってるのに未だに祖国に忠誠誓ってるようなのがまだまだいるんだが。

首長選挙キャスティングボートを握ったところで、肝心の首長に言うことを聞かせられなければ意味なし。

キャスティングボートを握る」を理解してるのか?

「言う事を聞かせられる」もそれに含んでるんだよ。

社民党国民新党に振り回されてる現政権見れば分かるだろ。

2010-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20100121232454

何をそこまで国家だの統治機構だのと自分自身の間に対立構図を描きたがるんだろう。

個人がどんだけ吠えようが国家は気にも留めないよ。

逃げられる状況ならいつでも好きに逃げればいいじゃん。

要するに、住んでる国がヤバいと感じたらケツまくってさっさと逃げるってだけの話だろ?

その代わり、二度と戻ってこれない覚悟はしといた方がいいよ?一度国籍離脱したら、再取得は他の外国人同様に面倒だから。

あと、逃げた先で「祖国の危機から逃げた臆病者」扱いされない保証もないし、逃げた先の国で現地の国民並の扱いされる保証もないよ?

ああ、国籍要らないんだっけ?じゃあボートピープルみたいな生活を送る覚悟もしといた方がいいね。

このツリーでさんざん突っ込まれてるのは、元増田にそういうリスクを負う覚悟が全然見えてこないからでしょ。

「覚悟してるし、仮にそうなっても自分で選んだ事だから文句は言わない」と一言言えば「ああ、そう」で終わるよ。そんだけの話。

「国を捨てる」という事の意味をもう少し考えた方がいいと思う。

中東難民キャンプで生まれ育った人と話をした事があるけど、国を持たない不安と恐怖は筆舌に尽くしがたかったらしいし。

2010-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20100119191347

国家に協力してもいいし、面従腹背で従ってもいいんだし。

それでいて「自分は産まれた時から日本国民だし、郷土は愛している。」とか言っちゃうわけか。それってほんとに「自分日本国民」とか「愛してる」とか言えるの?

それと、「新国家」がどこまで自分を信用してくれるか、誰も保証してくれないよな。

「新国家」の立場になって考えてみりゃ分かるが、祖国ですら裏切るような奴が、縁もゆかりもない自分たちを絶対に裏切らないとどうやって確認すればいいんだ。

ましてやそいつは国籍いつまでも日本のまま。日本から離れようともしない。そのくせ「国と命運を共にしない」とか平気で言うんだろ。そんなのをどうやって信用しろと。

2010-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20100116113128

逆真かぁ、

外国籍の人ひとりひとりには、私たちを脅かす力はないけど

祖国の国々となると、そんなことはないから

脅威を感じる。

よって、そこに力を与えるようなことはできないから、大きな力を一人一人に与えられない。

したがって、外国籍の人は比較迫害されて、迫害から身を守るために団結せざるを得ず、振り出しに戻ると。

http://anond.hatelabo.jp/20100116105304

にもかかわらず、それが、団体となると、

というか、そっちが普通なんだよ。

自分たちを最終的に庇護してくれるのは日本ではなくて自分たちの祖国。それを自覚しているからこそ、集団となって自己防衛してるわけ。

個人単位のつきあいでそれが現れないのは、個人単位日本人自分たちを脅かす力が無い事を知っているから。

2010-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20100115190522

可能性があるという程度じゃ、外国人日本人も違いないということになる。

空理空論はもうたくさんだ。

聖火リレーのとき長野に集まった中国人たちの様子見た?中国人世界中どこに住もうとも決して祖国を忘れない。

民団の綱領の第1条は「大韓民国の国是を遵守する在日韓国国民として大韓民国憲法法律を遵守します」だぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20100115183156

いや無い。日本のどこに住もうが、永住者は日本からいつでも離脱できる。

それを言ったら、日本人だって離脱できるだろ。

よって必ずしも困るとは限らない。日本人日本から外国へ移住するよりもはるかに低いコスト祖国に帰国できるのだから。

永住権を取得するに至るまで根付いているのに、帰国を余儀なくされること自体が困ることだろうに。

なら、その「売国者」を利用すれば選挙権を認めずとも日本地方や国政に影響を与える事も可能なのだから、あえて権利を付与する必要は無いね。

必ずしも、その売国者と意見が一致するとは限らんだろうに。

小選挙区制ならともかく、地方議員大選挙区制か中選挙区制だよ。

その話は、外国利益を優先するような人間選挙権を与えるべきか、という問題を通過しないと成り立たない。普通であれば与えるべきではないという結論に落ち着く。

なんで?

外国利益を優先するような人間選挙権を認めるべきか」という点では違いない。

与えるべきでないといっても、実際に行使するまでは国益に合致してることになってる。

なら、生来日本国民と同様に考えるべきだろ。

外国人は常に母国の利益を優先するということが、事実として確立しているならまだしも。

可能性があるという程度じゃ、外国人日本人も違いないということになる。

http://anond.hatelabo.jp/20100115174801

永住権者は、自分の住んでる地域が繁栄するために選挙権を行使する担保がある。

いや無い。日本のどこに住もうが、永住者は日本からいつでも離脱できる。

地域が傾けば困るのは自分たちだよな。最悪、他の地域なり母国へ移住する決断へとつながるわけだから。

よって必ずしも困るとは限らない。日本人日本から外国へ移住するよりもはるかに低いコスト祖国に帰国できるのだから。

それは生来日本国民にもいえることだよな。

売国者”って存在が実在するのであれば。

なら、その「売国者」を利用すれば選挙権を認めずとも日本地方や国政に影響を与える事も可能なのだから、あえて権利を付与する必要は無いね。

単に外国利益を優先するというだけで、犯罪に該当しないのであっても、参政権を奪うという話になるか?

その話は、外国利益を優先するような人間選挙権を与えるべきか、という問題を通過しないと成り立たない。普通であれば与えるべきではないという結論に落ち着く。

http://anond.hatelabo.jp/20100115172614

日本国籍を持ってる者とそうでない人間とでは、日本という国に対する責任の度合いが全く違う。

日本国籍を持っている者は日本が繁栄するために選挙権を行使する担保がある。日本が傾けば困るのは自分たちだから。しかし外国人は当てはまらない。

国籍を認めない場合の、永住外国人地方参政権付与した場合でも、日本の国政に関する選挙権の行使はそもそもできないよな。

永住権者は、自分の住んでる地域が繁栄するために選挙権を行使する担保がある。

地域が傾けば困るのは自分たちだよな。最悪、他の地域なり母国へ移住する決断へとつながるわけだから。

国籍を容認した場合は、日本国籍を取得した時点で外国人でなくなる。

一国の利益が他国の利益を害するという状況が珍しくない現代において、もし日本の繁栄と祖国の繁栄が競合する事態となった場合、日本の政治に口を出せる立場でありながら後者を優先する事が可能になる。

たとえば有事法制なんかでも、県知事が果たす役割は非常に大きい。そんな県知事を、日本利益から独立している外国人が選べるというのは日本人にはリスクでしかない。

それは生来日本国民にもいえることだよな。

売国者”って存在が実在するのであれば。

単に外国利益を優先するというだけで、犯罪に該当しないのであっても、参政権を奪うという話になるか?

そもそも、国籍にしろ永住権にしろ、許可するためには国益に合致してることが要件になってる。

その人が国益に合致するとして権利を与えられた以上、どのように行使しようがその人の勝手だろ。

http://anond.hatelabo.jp/20100115170918

間接民主制に内在しているリスクなんだから、参政権付与や重国籍容認をしなくても負うものだろ。

リスクの質が全く違う。

日本国籍を持ってる者とそうでない人間とでは、日本という国に対する責任の度合いが全く違う。

日本国籍を持っている者は日本が繁栄するために選挙権を行使する担保がある。日本が傾けば困るのは自分たちだから。しかし外国人は当てはまらない。

一国の利益が他国の利益を害するという状況が珍しくない現代において、もし日本の繁栄と祖国の繁栄が競合する事態となった場合、日本の政治に口を出せる立場でありながら後者を優先する事が可能になる。

たとえば有事法制なんかでも、県知事が果たす役割は非常に大きい。そんな県知事を、日本利益から独立している外国人が選べるというのは日本人にはリスクでしかない。

http://anond.hatelabo.jp/20100115132744

じゃあ、「この国に永住してる外国人ってのが、日本がどれだけガタガタになって住みにくくなっても祖国に戻らず日本に留まり続ける」って前提も追加な。

そりゃそうだろ。

当たり前の話だが、永住者だろうがそうでなかろうが犯罪者でもない限り外国人祖国にいつでも帰国できるんだよ。日本に住むメリットが薄くなった時の選択肢日本人より一つ多いわけ。一昨年末派遣切りでうだうだやってた頃、職を失って帰国を考えてる静岡在住のブラジル人の特集とかテレビでやってたろ。同じ条件に陥ってる日本在住の日本人に「そんなに生活苦しいなら祖国に帰れば?」というアドバイスが成立するか?

で、それと重国籍容認や永住外国人地方参政権付与とどう関係するの?

国内での住みやすい、住みにくいって話なんだし。

この件の賛成派、とことん「日本が豊かになる」って事にしか関心持ってない差別主義的感情の持ち主が多い事にいらいらする。

日本が豊かになれば、周り巡って住む人も豊かになるんだから、関心を持つのが自然なんじゃないの。

よその国から労働力人材を奪って「日本が豊かになるんだからそれでいいじゃん」的なロジックを平気で振りかざす姿に反吐が出る。日本から奪われた側がその分だけ貧しくなるかもって発想が全然ない。どこの国の人間であれ、祖国の発展のために生きるのがもっとも自然だと思わないんかねえ。

だから、日本人として祖国の発展のために、重国籍容認なり、永住外国人地方参政権付与をすべきと考えてるんだけど。

日本からだって、アメリカとかに人材流出してるんだし、他から呼び込むだけじゃなくて、流出させない努力も当然やるべきだろうけどな。

http://anond.hatelabo.jp/20100115121625

日本に残る、一時は出国しても日本に戻って生活し続ける外国人のことが論点だからだろ。

じゃあ、「この国に永住してる外国人ってのが、日本がどれだけガタガタになって住みにくくなっても祖国に戻らず日本に留まり続ける」って前提も追加な。

当たり前の話だが、永住者だろうがそうでなかろうが犯罪者でもない限り外国人祖国にいつでも帰国できるんだよ。日本に住むメリットが薄くなった時の選択肢日本人より一つ多いわけ。一昨年末派遣切りでうだうだやってた頃、職を失って帰国を考えてる静岡在住のブラジル人の特集とかテレビでやってたろ。同じ条件に陥ってる日本在住の日本人に「そんなに生活苦しいなら祖国に帰れば?」というアドバイスが成立するか?

この件の賛成派、とことん「日本が豊かになる」って事にしか関心持ってない差別主義的感情の持ち主が多い事にいらいらする。よその国から労働力人材を奪って「日本が豊かになるんだからそれでいいじゃん」的なロジックを平気で振りかざす姿に反吐が出る。日本から奪われた側がその分だけ貧しくなるかもって発想が全然ない。どこの国の人間であれ、祖国の発展のために生きるのがもっとも自然だと思わないんかねえ。

http://anond.hatelabo.jp/20100115135324

正直、奪われた側が貧しくなろうが知ったことではない。これは国と国との生存競争であって、他国が負けないように気づかってやる義理はないと思う。

日本にやってくる外国人も同じ事考えてると思うけどな。日本が負けないように気遣いながら日本選挙権を行使してくれる保証などどこにもない。

http://anond.hatelabo.jp/20100115135348

そりゃそうだろ。

そんな前提を満たす外国人ばかり都合良く日本にやってくる保証がどこにあるんだ?というのが俺の言いたいこと。

で、それと重国籍容認や永住外国人地方参政権付与とどう関係するの?

トラバ元読め。この辺とか。

http://anond.hatelabo.jp/20100114145530

だから、有能な外国人を招いてつなぎ止めるために、それなりのインセンティブが必要なんでしょ。

その一つが、地方参政権なわけで。

日本が豊かになれば、周り巡って住む人も豊かになるんだから、関心を持つのが自然なんじゃないの。

やっぱり出たかそういう思想が。「後々お前らも得するんだから今は我慢してまずは俺たちを豊かにしろ」と相手に押しつける発想。アメリカ独善だね。移民奴隷扱いする事を社会全体が暗黙に受け入れてるアメリカのやり方。はっきり言って日本には馴染まないよ。

だから、日本人として祖国の発展のために、重国籍容認なり、永住外国人地方参政権付与をすべきと考えてるんだけど。

その過程で他国の発展を阻害する可能性について、メリット強調してる奴らがちゃんと考えてるようには思えん。「よその国の事など知ったことか」と開き直る奴すら現れるし。

2010-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20100114130345

なら今の日本も「有能な外国人」にはそれなりに住みやすいよ。

もっとも、「有能な外国人」ばかりが日本にやってくるとは限らないけどな。相手側からしてみれば、人材日本に吸い取られる形になるわけだし。

自分にとって住みにくくなったのであれば、住みやすそうな地域に移ればいいというのは、日本国民だろうが外国人だろうが同じこと。

明らかに同じじゃないだろ。

永住資格持ってる外国人はその時点ですでに色々な手続きや審査パスしてる状態。その後日本のどこに移動するのもコスト的に日本人と大差ない。

つまり住む場所としては「祖国」+「日本」が選択肢。しかし日本に住んでる日本人は大半が「日本」しか選択肢はない。隣町に引っ越す感覚グリーンカードが取得できるなら話は別だが。

特に在日外国人の中でも最多をしめるのは中国人だが、中国外国人の永住資格を認めていない。当然だが、外国人参政権も完全NGの国。

2番目に多いのは在日韓国人で、彼らの祖国である韓国外国人参政権を認めてはいるものの、納税額やその他条件があってまともに該当するのはほんのわずか。在韓日本人でも100人といない。

アメリカも、外国人参政権を認めているのはほんの一握りの地方都市だけ。

なので、在日中国人在日韓国人在日アメリカ人日本人は、住む場所の選択肢においては平等ではない。

http://anond.hatelabo.jp/20100114122833

じゃあ、アメリカ人が住みやすいアメリカという国は、日本人にも暮らしやすいのか。

実力有る人間にとっては、アメリカは住みやすいんじゃないの。

だから南部博士米国籍を取得して、日本国籍を捨てたんだろうし。

外国人にこそ言えることだろそれ。

日本自分にとって住みにくいのなら真っ先に祖国に帰ればいいじゃん。言語の不自由が全くない分だけ日本よりよっぽど住みやすいと思うけど。

同質性圧力が強いことを証明するかのような文章だなw

自分にとって住みにくくなったのであれば、住みやすそうな地域に移ればいいというのは、日本国民だろうが外国人だろうが同じこと。

その居住移転の自由の行使した結果、外国人に暮らしやすく、日本人に暮らしにくくなった場合の話だろ。

http://anond.hatelabo.jp/20100114111853

同質性圧力の強い日本社会で、外国人が暮らしやすい地域は、日本人にも暮らしやすい。

前提が個人の主観で成立してない。

じゃあ、アメリカ人が住みやすいアメリカという国は、日本人にも暮らしやすいのか。

仮に、そうならないとしても、自分にとって住みにくいのであれば、他の地域に移り住めばいいだけ。

居住移転の自由を行使すればいい。

外国人にこそ言えることだろそれ。

日本自分にとって住みにくいのなら真っ先に祖国に帰ればいいじゃん。言語の不自由が全くない分だけ日本よりよっぽど住みやすいと思うけど。

2009-12-29

やっぱり「坂の上の雲」はドラマ化しないで欲しかったなーと思っています。司馬さん本人が誤解を招きやすいか映像化は止めて欲しいって言ってたのに無理矢理ドラマ化したものだから、案の定いろんな批判が沸いています。

私の狭い観測範囲のなかで一番代表的にみえる批判は、司馬さんは日露戦争祖国防衛戦争だと表現しているけれど、ロシア側に侵略の意図はなかった。避けられた戦争なのに防衛戦争とかありえないという意見です。

加藤陽子さんの「それでも日本人は『戦争』を選んだ」を読むと、日露戦争直前に権力を掌握した極東総督のなんちゃらさんが、韓国取っちゃった方が安上がりですよとか皇帝に言ってたらしいのでロシア側に侵略の意図なしとはいえないんじゃないかなーと思うし、当時のロシアトルコ満州にしていた仕打ちを考えたら、次は日本かもって当時の人達が恐怖するのも当然だと思うのだけど、まあそこらへんは歴史をきちんと学んでいるプロの方たちが論争しても中々決着がつかないわけだから素人には分からない事柄が色々があるんだろうから置いておきます。

私はたとえ司馬さんが間違ってたとしてもさほど問題ではないように思っているんです。

司馬さんは「坂の上の雲」をなるべくフィクションを抜きにして事実に即して書こうとしてますし、そう宣言もしていますが、それはあくまで司馬さんの中で事実だと思える内容を書くというだけのことで、読んでる方はそれを完全な史実だと思って読んでるわけじゃありません。

ただ司馬さんの歴史観を誤りだと批判している有識者さんたちは、その批判の理由を小説を史実だと勘違いされちゃ困る。国民歴史観に影響を

与えかねないと言っています。

私は読み手はそれほど馬鹿じゃないし、盲信もしていないと思うんです。司馬さんはこういう風に日露戦争や当時の日本を捉えてたんだなー、凄いなー、面白いなーって読んでいるだけです。司馬さんは小説家ですから、エンターテイメントとして最低限の盛り上がりも必要だと思っていたでしょうしね。読み手はそれほど馬鹿じゃない。小説だと分かって読んでいる。私や私の友人はそれほど優秀な人間でもないけれど、司馬さんは無謬だとか思っていないし、思っている人を見たこともないです。

逆に批判している有識者さんたちにちょっとした思い上がりを感じるんですよねー。私たちは優秀で知識も豊富だから騙されないけど、お馬鹿な読者はころりと騙されて変な方向に突っ走っちゃうかもしれないから、司馬さんの小説を批判して目を覚ましてあげましょう。啓蒙してあげましょうって。大きなお世話ですよね。ちょっと悪く書きすぎかもしれませんが。

子供達が影響受けちゃうから犯罪小説禁止とかと同じ流れな気がして嫌なんです。そういう批判をする人が現れるから、誤解を招きにくいように誤解を招きにくいようにとびくびくした無味乾燥物語ばかりになってもつまらないじゃないですか

同じ小説を読んでも、こういう犯罪の手法があるのか気をつけようって読む人もいれば、単純に物語として楽しむ人もいるし、この手法で犯罪を起こせるかもって思う人もまれにいるかもしれない。でもそれは書き手の罪ではないし、それを恐れてつまらない物語が増えていってもしょうがないと思うんですよね。

ただまあ、司馬さんの影響力っていうのは確かに大きいです。司馬さんの小説を読んでいる人数は、その関連の歴史書を読んでる人数の何倍もいるでしょうから、そのうちのいくらかは勘違いしちゃう人が出てくるかも知れません。だからその人たちの為に批判をするんだっていうのだとしても、やっぱり言い方ってものがあるんですよね。

もうちょっと司馬さんを立てた表現ってのを出来ないものでしょうかねえと。司馬さんの小説には何の罪もないはずなのに、司馬遼太郎歴史観をぶった切るみたいな批判の仕方をする人が少なくないでしょう?別にぶった切らなくても、司馬さんの小説は面白いけれど、現在研究ではこういう論もあるのです。こういう視点もありますよでいいじゃないですか。なぜ叩かずに別の価値観を提示出来ないのかなーと残念に思います。

なんかもやもやとしていた司馬さんファンの愚痴でした。

2009-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20091112112148

その昔、まじめで勤勉な日本人自分のため祖国のため、アメリカヨーロッパへ渡って学び、仕事を覚えました。

そんな日本人を目にした人は「日本人は(新興国であるのに先進国の自国民に比べ)まじめで勤勉だ」と評したものです。

その甲斐あって、日本先進国の仲間入りを果たしたのです。

おかげでまじめで勤勉ではない日本人もそれなりの職業とそれなりの生活を手に入れることが出来るようになりました。

そういう日本には、まじめで勤勉な中国人自分のため祖国のために学び、仕事を覚えようと渡ってくるのです。

そんな中国人を目にした人は「中国人は(新興国であるのに先進国の自国民に比べ)まじめで勤勉だ」と評するようです。

2009-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20091023153859

ワープアモラルが腐ってることがあるからダメだ。外見的に同じ日本人というのも、切断操作して召使扱いしづらい。相手が肌の色や言語で明確によそものなら粗末に扱えるし、移民は一回でもミスったら祖国送還が待ってるから仕事に対する姿勢が真剣

2009-10-20

競馬必勝法

1着から3着までを着順を含めて当てる3連単で、絶対にこないであろうというはずれ馬を除外した残りの組み合わせを全て購入した場合、取りガミにならない確率はという問題に対して、仮に、14頭立ての場合、3連単の組み合わせは全部で2184通りとなる(14*13*12)。このうち、絶対にこないからという目論見で仮に5頭を外すと、残り9頭の3連単の組み合わせは全部で504通り(9*8*7)となる。

この場合、504倍以上の配当の組み合わせがこなければ、たとえ当たっても取りガミである。

このやり方では、504倍以上の高配当でない限り、損になるということから、逆に考えると、絶対にこない馬を外した組み合わせを、配当の高い順に並べ、取りガミにならない範囲で順番に買っていけば、利益が出る可能性が出てくるということになる。

配当の高い順に並べて上から何枚までを買うと決めて、その一番下の買い目の配当が買った枚数以上であれば、そのうちのどれかがくれば確実にプラスになる。

こういった買い方は、穴場で馬券を一枚ずつ買うやり方では時間と手間がかかりすぎる、それをやる人を大穴狙いの馬券ばかりを買う為に穴場の窓口を占領する事から、穴師と呼ぶ。暴力団が仕切っているノミ屋で買うというやり方は、ノミ屋は100倍以上の配当は100倍で打ち切るから、本命や低倍率の馬券を買うのにしか使えないので不可能である。こういった買い方が一般の人にも可能になったのは、パソコンから馬券を買えるようになってからである。さらに、それなりの金額の購入資金が流入してもオッズが動かない程度に規模の大きなレース、つまり、日本中央競馬のような場所でなければ、やれない。いくら馬券パソコンで買えるからといって、総売上がたかだか数千万円程度の地方競馬ボート競輪オートレースでは、買いが入ればがくんと配当が下がってしまい、取りガミの可能性が高くなってしまうのだ。

もっとも、パソコン公営競技投票券を購入すると、当たり券の履歴が残ってしまう。公営競技配当金は、基礎控除と当たり券の購入資金だけしか経費控除できず、外れ券分の費用は控除されない事になっている為に、申告しないと、莫大な追徴課税をかけられる事になるのであった。

パソコンからの購入で高配当券を総買いという手法は、必勝法として有効であるが、本気でやると税務署から目をつけられるという罠であり、まともに申告したら、利益は無くなるという結果が待っている。

多少なりとも税務署の恐ろしさを知っている人ならば、絶対に手を出さない手法なのだが、やってしまう人がいたようである。まぁ、外人ならば仕方が無いのかもしれないねぇ。祖国で食い詰めて日本に逃げてきた不良品だろうし。

2009-10-12

日本の進むべきは、緩慢な荒廃への道「友愛社会」ではなく、「ルサンチマンからの脱却 」をした、自立した個人が生き生きと活躍する活発な社会

<
    ルサンチマン【ressentiment】(フランス)
    〔専門〕 哲 ニーチェの用語。

    被支配者あるいは弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいること。
    この心理のうえに成り立つのが愛とか同情といった奴隷道徳であるという。怨恨。

    *     *     *     *

結局私が何を語りたかったのか‥‥という答えが見つかった。結局わが友ニーチェが同じことを語っていたので、ああ、やっぱり実存主義者はそれを教えてもらわなくても同じところに到達するんだなあって思った。

私が云いたいのは、ルサンチマンから脱却なのだ。
私がどうしても好きになれないタイプ人間というのは、このルサンチマンに支配されている人たちなのだ。

そもそもどこからこの言葉にたどり着いたのか、それは『ロッキー・ザ・ファイナル』を見てからなのだ。
考えた、“なんで『ロッキー』は好きなのに、その後のロッキーシリーズはそれほど好きになれないんだろう‥‥?”
考えたあげく見つけた答えが「<悔しさ>がないから」だ‥‥。主人公の悔しさもそうなのかもしれないが、それ以上時作り手に悔しさ、シルベスタ・スタローンが全然売れなくって世間に認めてもらえなかった下積み時代の悔しさ。それが多分『ロッキー』からはにじみ出てたのだと思う。 その後は『ロッキー』のパターンだけが一人歩きしてしまったのだと‥‥と自分は結論づけた。
で、じゃあこの「悔しさ」っていうのは英語のどの単語にあたるんだろう‥‥と調べてみた。

ある出来事が悔しい場合は That's mortifying, That's vexing,That's regrettable...
自分が悔しいと思う場合は I'm frustrated, I'm shagrined, I regret...
でも、どれもいまいち違うような気がする。で、あっちこっち類語を探していたら ressentiment に出くわした。“これだ!!”と思った。

人の心の中にはルサンチマンが必ずある。そのルサンチマンを描いたくれる作品には親近感/臨場感を覚える。誰の心のなかにもある醜い部分だからだろう。
そして『ロッキー』はルサンチマンからの脱却を見せてくれた映画だということなのだ。
ロッキー・ザ・ファイナル』においても燃える台詞がある。

「 誰かを指差して、あいつのせいで俺たちが不幸なんだって言い訳はするな!」

ルサンチマンとは一言でいうなら<強者に対するひがみ>なのだ。強者が没落することを祈っているのである。
弱者にとって強者はそれだけで脅威なのだ。それだけで十分恨む理由になる。60年代には学生運動が吹き荒れた。権威あるもの、地からあるものをとにかく否定したい、アメリカン・ニューシネマと呼ばれるものもこの軸線上にある。だから私は大嫌いだったのだ。
その昔(いまもあるかもしれないが)アンチ巨人という言葉があった。これもルサンチマンから発生する言葉なのだ。私がアンチ巨人人間は嫌いだったのだ。

では何故、人はルサンチマンに犯されてしまうのか?
これはひとえに自分の弱さを認めたくない虚栄心から発生する。どんなに自分弱者だと認識しても出来れば真剣にそれを認識したくないのである。そのために別の理由を言い訳にして、それに一生懸命になることで、自分の弱さの認識から逃避するのである。たとえば靖国参拝問題

ルサンチマンに心を犯される人はこう考える。
もし自分戦争にいったら、怖くて何も出来ないだろう。みっともない自分をさらけ出してしまう。自分の弱さをさらけ出してしまう。それだけは絶対さけなければいけない。
そうだ、戦争に行くということ自体をなくせばいいんだ。その可能性をなくするのがが一番だ。
自衛隊海外派遣はけしから! ゆくゆく自分徴兵されるようになったらどうなるんだ! 惨めな自分をさらけだしてしまう。
靖国問題、そんなには自衛隊海外派遣につながる可能性がある。自分徴兵されたらどうするだ! 惨めな自分をさらけだしてしまう。
さあ、反対する理由をさがそう、宗教から引用しようか、それもと国連憲章か、いやいや小学校の時の◯◯先生言葉あった、
いや、それよりもさらに弱者をさがそう。戦争になって被害をつけるのはつねに弱者である。かれらを守るために戦争はすべきではない。
おお、なんだか調子がでてきたぞ。そうか、たしかにこれは良い考えだ、自分より弱いものを見つけてそれを守る言い訳にすれば、
自分の弱ささえも認識しないですむ。自分のほうが役立つ強者でいられる。自分の臆病さを忘れられる。
おお、なんとすばらしい、一石二鳥とはこのことだ。
でも、反対理由だけ言ってたら、臆病者の自分がばれてしまう、ここはひとつ賛成する理由も出しておいて公平性をアピールしておこう。
そうだ、pro & con 議論だ。それで自分プライドをなんとか整えて、それから反対すればいい!!
ディベートではこの pro & con システムがよく使われる。
<有利な点>&<不利な点>を出して、どっちが妥当か考えようという論法なのだ(私はこれが大嫌い)。

  こうしてルサンチマンに犯される人は、その思考の過程で、反対者となる決定権をもつ者=強者を憎むようになり、ルサンチマンに犯されてゆくのである。

すべての根源は自分の弱部認識なのだろう。
それを認識した瞬間同時に「自分の弱さを認めたくない!」って衝動にかられる。
そうなると認めないための理屈付けを脳みそが要求する。 言い訳として発生するのが、弱いもの探し→博愛思想。 しかし、権力のあるものによって構築された社会システムはこれを許さないんだ。 これを許されなければ、自分の弱さを認めるしかなくなる。

徴兵されて、「ぼく行きたくないよ~~~」ってその場にすわりこんで泣き喚が、憲兵たちによって自分大衆に面前を引きずられていくはめになる、そんな惨めな自分をさらけだしてしまう。ガラスプライドが卵のようにクシャってつぶされる。どうしても人を入れたくない自分の心の便所なのに、それを人目にさらされられてしまう。

それをどうしても阻みたい、そして、それを強制してくる権力=力のあるものが憎い。 その強者に対する憎しみを「ルサンチマン」と云う。
そしてルサンチマンに犯された人は、自分にのしかかる不安を、自分世界を支配する強者のせいだとし、強者であるものをねたみ、それを憎み、ついには<強さ>自体を否定するにいたる。
遠い昔、確かに持っていた一番純粋自分<弱いままの自分じゃ嫌だ!強くなりたい!と欲する自分>を徐々に撲殺していくのである。

●脱ルサンチマンを果たしす人はどう考えるのか。
もし自分戦争にいったら、怖くて何も出来ないだろう。みっともない自分をさらけ出してしまう。自分の弱さをさらけ出してしまう。それだけは絶対さけなければいけない。
そうか、簡単だ。自分が弱いのだから、強くなればいいんだ。
強くなるにはどうすればいいのだろう? 簡単だ! トレーニングだ。
取り返しの出来る範囲で何度も何度も失敗を繰り返しながら、失敗しない自分をすこ少しずつ築き上げていけばいい。
そのためのトレーニング舞台はどこにしよう‥‥。
<注意>私はなんでもかんでも派兵賛成といっているのではない。取り返しの出来る範囲で何度も何度も失敗を繰り返しながら、失敗しない自分をすこ少しずつ築き上げていくため、にどれくらいがライン適切なのかを判断することが大切‥‥と思っている 。

そうやって少しずつ、日本という国が世界で働ける力を獲得していければよいな‥‥と。
ルサンチマンを果たした人には、pro & con 議論は無縁なのだ。やるべきことが決まっているのなら、有利な点は良い点であり、不利な点は克服すべき点であるので、これもまた問題とはならない
どんなに強くなろうともルサンチマンは誰の心にも在るののである。決してなくならないのだ。だからきちんと自分の弱さとルサンチマンの存在を認めよう。そしてその自分の弱さと戦おう

釈迦様は生まれたときに云ったらしい。
天上天下唯我独尊』=天と地の間において、何より尊いものはただ一つ、我である!と。

自分が救うべきは、どっかのクジラでも、トキでも、戦場で死んでいってる誰かでもなくて、
いつも今の自分に満足できてない、劣等感を感じてやまない自分自身だ
と。ここに答えを見いだそうしなければ、いつまでたっても弱いもの探しを続け、いつも真実に目をそらして生きていくようになる。そしてそのことに自分自身がそれに気づかないように、自分に必死に嘘をつきつづなければならない。それは自分自身にとって無礼だ。

この日本がなぜ、明治維新以降急成長を遂げたのか‥‥、それは多分日本という国民性においてルサンチマン率が低かったのだろうと思う。強きものを素直に尊べる純粋な心が日本の文化武士道のなかにあったのだと思う。
我々の社会は、やはり強者のためのルールで基本的に出来ている。どんなに弱者のためのルールに憧れても、心のどこかでそれを否定している自分たちがいる。たぶんルサンチマンがもつ毒性を我々の魂が知っているのだ。

確かに弱者のためのルール採用すれば一時的には心地の良い社会が国内に得られるかもしれないが、それでは競争力が奪われ、気がついたときには周辺祖国においていかれてしまい、相対的に国全体が衰弱してしまう
だから我々は強者のためのルール採用し、弱者を強化する方向性で社会を構築されているのだろう。

ルサンチマン - Wikipedia
敵との対比(実際の敵であることもあれば空想上の敵であることもある)において自己定義しようとする様々なイデオロギーである。
このようなイデオロギーでは敵(すなわち自分が無力である原因)が悪の元凶扱いされ、反対に、道徳的に優れているのは自分だとされる。
彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ、というわけである。
あるいはまた、世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがってわれわれのほうが世界より優れている、ともなる。
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2009-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20091009205145

その辺の問題はまだ残ってるだろうけど、そもそも年金がもらえなくなるという事態が時間の経過で発生する事は分かりきっていた事なんだよね。誰だって一年経てば一歳トシを食う訳だし。

で、それを回避するために在日は何をしてきたか?というと、実はなーんにもしてこなかった。1950年代1960年代厚生省から「年金払ったら?」と打診があった時は「ていうか日本に骨を埋める気はないんで。そのうち韓国に帰るし。」と拒否してきたわけだし。

じゃあその間韓国年金を払ってきたのかというと、どうやら払ってないらしい、というか、韓国政府今日に至るまで一貫して在日年金加入を認めてないっぽい。当時の韓国側からしてみたら在日は棄民扱いなので、「日本に面倒見て貰えばええやん?」的なスタンス。そして在日達の大半はなんだかんだで祖国に帰らず日本に居続けた。まあ、殆どが最初から日本に定住する気で来てる訳だけどね。で、年金が欲しいお年頃になって尻に火が付いてすったもんだやってるわけ。

その際、年金受給は当然だ!支払え!日本政府は我々を救済する義務がある!みたいなスタンスで言っちゃうから(特に右派保守層から)反発を買う。おまけにそれを煽る進歩的(笑)な日本人もいたりするからたちが悪い。

2009-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20090902011350

移民たちにそれぞれのルーツに基づく価値観より日本人としての価値観を上位に置くよう求めることが

日本をまとまりのある国家としてあり続けさせる不可欠な要素だと思うんだがどうだろうか。

それを実現するための土台としても愛国心教育は必要だろうなー。


http://anond.hatelabo.jp/20090902010709

右翼の人は、民族的な純潔性も維持したいんじゃないのかな?。まぁ、人によるとは思うけど

だから、どーいう国家像を目指すかによって、移民政策は変わるよ。ということを指摘したかった。

民族的な純潔性」は、まあ維持できればいいな、位には思ってるけど、経済成長とのバランス次第かね。ただ、そんな絶妙なバランスを維持できるとは思えんから、0か100かの二者択一以外は現実的には無理だと思うよ。今でさえ毎年10万人以上不法入国者が入り込んでる状況なんだもん。仮に移民推進したら、10年で100万人じゃきかない規模の異文化圏人間都市部にあふれる事になるのは確実だろう。その過半が日本よりも祖国利益を優先するようになったら国難もいいところだわ。

http://anond.hatelabo.jp/20090902005830

「あなたたちの先祖日本国のために戦いかくかくしかじか・・・」

と教えても

「いや、その頃うちの一族は祖国・・・」

ってなる。

それは別に愛国心教育とはあんまり関連性なさそうな。

仮にそのような発言があった場合は日本人としての価値観より血による民族的な(しいてはその民族の属していた国の)価値観

より上位に置いているってことになると思うんだが。


自分が思うに移民を受け入れ日本人として同化(その過程によりその日本人像が現在と異なりはするだろうが)させるには

移民たちにそれぞれのルーツに基づく価値観より日本人としての価値観を上位に置くよう求めることが

日本をまとまりのある国家としてあり続けさせる不可欠な要素だと思うんだがどうだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20090902004437

「あなたたちの先祖日本国のために戦いかくかくしかじか・・・」

と教えても

「いや、その頃うちの一族は祖国・・・」

ってなる。

それは別に愛国心教育とはあんまり関連性なさそうな。

具体的には、移民受け入れて何とかなってるアメリカを見習って、毎朝日の丸に向かって忠誠の誓いを唱和させりゃいい。あと、卒業式で起立しないとかガタガタ騒ぐ教師はデフォ懲戒免職、特例でも減俸三ヶ月くらいにするとかね(現在はせいぜい訓告処分が関の山だったはず)。

他には、不法入国者不法滞在者の徹底取り締まりとか。「理由の如何に関わらず全て強制退去」くらいはやってもいいだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20090902002927

大和民族日本国を維持したいならば民族はとても重要

でも、ただ単に日本国を維持したいだけならばそうでもない。

移民政策を行い、移民の2世、3世の時代になったとき、例え中国韓国並みの歴史(愛国)教育を行っいたとする。

「あなたたちの先祖日本国のために戦いかくかくしかじか・・・」

と教えても

「いや、その頃うちの一族は祖国・・・」

ってなる。

仮に、2世3世が帰化していてもそれは同じ。日本国に忠誠を誓ってくれるだろうし、それはそれで愛国的なのではあろうが。

経済的な側面から移民を受け入れたいのか、国家存続のために移民を受け入れたいのか、主目的によって議論の方向性は大きく変わる。

純血を維持したま日本国の維持を目指すなら、移民は到底受け入れられないだろう。

でも、単に日本国の維持だけなら、別に移民もいいんじゃな。とか考える人もいるだろう

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