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2019-05-10

けけけ

相米慎二(1948-2001)監督フィルモグラフィー。「監督」作は9本視聴済み。

http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=118297

オリジナル版」「完璧版」は除く。1994年以降のは未見。個人的BEST3は

翔んだカップル』(80)、『セーラー服と機関銃』(81)、↓『台風クラブ』(85)。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=149528

https://www.amazon.co.jp/dp/B00005L96G

寡作柳町光男(1945-)監督フィルモグラフィー。4本だけ視聴しています

http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=266415

昔に観た『十九歳の地図』(79)、『さらば愛しき大地』(82)、『火まつり』(85)と、

最近ビデオで観た『愛について東京』(93)。私のBEST1は『火まつり』ですが、

同じ1985年の『台風クラブ』と表面的には類似するところがあったと思います

当時の歌謡曲に合わせて集団で踊る場面、主人公(たち)が「荒ぶる自然(森の神?/台風)」と

一体化して陶酔・半狂乱の状態になるディオニュソス的(⇔アポロン的)?で不条理な展開。

台風~』も↓『火まつり』も海外では知名度が低い!?。日本でも忘れられる運命か。

https://www.amazon.com/dp/6301651715/

2017-01-15

テレビ屋さんの映画いくら出ても、俳優さん演技がうまくならないね

PS.テレビテレビ屋さんのつくる映画いくら出ても、俳優さんは演技がうまくならないってのもよく分かった。少し前まで、テレビを中心に活躍していれば名前が売れて、演技力がつかなくても、客がついたのにね。いまの若い俳優さん(特に男優)は、演技力も客もつかないよね。若いうちにちゃんとした映画に出ておかないと先がないよね。昔、相米慎二みたいに女優を育てるのがうまい監督がいたけど、いまだったら、だれなのかな。

2013-09-04

承前

http://anond.hatelabo.jp/20130904155613

あまちゃん』の配役が面白いなと思うのは、80年代女性のある種の典型が描かれているからです。

天野春子キャリアおい挫折した、しか挫折たか結婚して子供を得た。

鈴鹿ひろみキャリアをまっとうした。しか子供は出来なかった。天野アキに、可能性的はいたかも知れない自分の子供を投影するしかない。

薬師丸ひろ子には全共闘世代から流れてきたジェンダーフリー的な雰囲気があると指摘しました。それがジュヴナイル的なるものの正体だと。しかし人はいつまでもジュヴナイルにとどまってはいられません。キャリアをとるか、子供をとるか、それがその後の80年代女性に突き付けられた二者択一の選択です。天野春子鈴鹿ひろみはこの意味おいても裏表の関係になっています

鈴鹿ひろみ薬師丸ひろ子自身をモデルにしている印象があります


歌手になることは難しいのですが、歌手であり続けることはさらに難しい。ほとんどのアイドル歌手キャリアを重ねるにつれ、歌手から撤退し、女優に移行しています。ただ、いったん売れてしまえばビジネスとして歌手の方が旨味があるのも確かです。桜田淳子歌手に早くに見切りをつけて、女優として一応の名声を確立しました。まだそこそこ売れていた時に歌手から撤退したものですからもったいないという声もあったのです。映画一本作るのには何百人、何千人が関わりますが、CD制作コンサートでは関係する人数がはるかに少なくて済みます。それだけ一人頭の取り分が増えるということです。桜田淳子結婚後、芸能界事実上引退して、今では彼女収入で一家が生活しているようですが、歌手には歌唱印税が入りますから彼女クラスになれば働かなくても一家が生活できる程度の収入は見込まれます。これは役者より歌手が恵まれている点です。

薬師丸ひろ子は元が女優ですから歌手活動に一区切りがつけば女優に専念するのは当然なのですが、ずいぶん長い間、テレビドラマには出演しませんでした。キャリア最初期、70年代にはちょい役で出た経験はあるのですが、それ以後、1997年の『ミセス・シンデレラ』までテレビドラマに出演例はありません。テレビドラマ映画の違いは何よりもまずその長さにあります映画は長くても2時間テレビドラマはワンクールでも延べで言えば9時間以上になりますから、掘り下げ方が違ってきます連続テレビ小説では延べで39時間になります映画が引き算ならテレビドラマは足し算、アプローチも違ってくるのです。

生活のためで言えば薬師丸はおそらくもう働く必要はないでしょう。蓄えもあるでしょうし、歌手として定期収入もあるでしょう。映画に拘って、映画女優としての人生をまっとうする生き方も選べたはずですが、そうはしませんでした。2000年代に入って、薬師丸は積極的にテレビドラマに出演していますが、当人が女優と言う仕事のものに、別の角度の意味合いを見出したのかも知れません。

薬師丸ひろ子1991年玉置浩二結婚、そして1998年離婚していますが、恋愛に関する報道が少ない人です。これもジェンダーフリー的な意味いから来ているのかも知れませんが、玉置浩二と言う人選はいかにも薬師丸らしいと思ったものです。玉置浩二安全地帯80年代日本ミュージックシーンをリードした一人ですが、なまじテレビで売れたために、かえってアーティストとして評価される機会が少ない人ですが、ソングライターとしては(そう、ソングライター、としては)まごうことなき天才の一人です。彼の人となりを知っていれば、なんでまたああいう男と、という疑問が生じなくもないのですが、才能に惚れるタイプ女性もいるものです。ただ、結婚はままならない他人との共同生活ですから、最終的には自分が折れるか相手が折れるか、双方が折れるしかありません。玉置浩二のような人であれば、何よりも自分の才能が大事で当たり前なのですから、当人同士の好みは別にして、自分を押し殺せる人が相手でないと結婚生活は無理です。あれで薬師丸は結婚は無理、自分には要らないと思ったのかも知れませんが、選んだのが一番、劇薬に近いタイプですからね。まだ先の人生は長いのですし、こうと決めつけてしまって人生の幅を狭めて欲しくない、他人事ながらそう思います


最後にもう一度、『あまちゃん』の話をしましょう。あの中で天野春子は「主演が一番楽。全部自分に合わせてくれるので演技力が要らない」と言っています。まさしく真理です。実は薬師丸はデビュー以来ずっと主演、もしくは準主演の形で映画出演を続けてきました。映画Wの悲劇』ではチャンスを必死に求める下積み女優を演じていますが、公開当時のインタビューでは、「自分はずっと主演だったので、そういう下積みの人たちの心理が分からないところがある。今回演じてみてそう言う人たちって大変なんだなと実感した」と何気なく述べていますが、下積みの人たちからすれば相当カチンとくる発言でしょう。この無意識ぶりが、薬師丸が徹底して主演の人、最初から王道の中でキャリアを積んできた人だと物語っています。薬師丸はずっと主演だったために、演技が上手いとか下手だとか、そういう部分は焦点があてられずに来たのです。海のものとも山のものとも知れない時から相米慎二に鍛えられたわけですから、これ以上贅沢な環境ちょっと考えられません。マリー・アントワネットが少し入っている発言ですが、マリだってハプスブルク家に生まれてフランス王妃になったのは彼女が選んだわけではないので、そこをどうこう言われても困るでしょう。

薬師丸は日本映画産業おいてこれ以上は無いという環境キャリアを築きました。それは反面、彼女自身の役者としての技量に誰も注目してこなかったということを意味します。

今回、『あまちゃん』では演技においては神がかり的な技量を持つ鈴鹿ひろみを演じています。その鈴鹿ひろみ女優として本領を発揮する場面を、薬師丸が演じるという二重構造の中で、演技において卓越した鈴鹿ひろみが演じる姿を演じるという、『』付で切り取られた形で、私たちは薬師丸の演技力のものすごさを目の当たりにしました。それは彼女寄りにあらかじめ作られた数々の主演映画では見られないものでした。

彼女もまた、80年代の遺産の一人なのです。

マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子

これまでの記事。

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル


脇道から入りましょう。

資生堂松田聖子デビュー以来サポートしてきた企業でしたが、『Rock'n Rouge』の時に聖子はカネボウのCMに出演し、カネボウの業績が大きく伸びるきっかけになっています(『Rocn'n Rouge』の歌詞唐突に"pure, pure lips"と入っているのは口紅のCMに用いられたからです)。このことについて、当時、資生堂からは聖子を裏切り者扱いする声もありましたが、聖子をイメージキャラクターとして徹底して囲い込まなかった、資生堂戦術ミスでしょう。カネボウは一時期、資生堂に追いつき追い越せで急成長するのですが、元々は紡績会社であり、旧部門を整理しきれず、経営資源を集約化できない決断力の無さを「ペンタゴン戦略」と言い繕っていましたが、そのことが結局、命取りになりました。好調だった化粧品部門は今は花王の子会社です。

先年、アメリカではコダック社会社更生法適用を申請しました。写真フィルム業界は事実上日本2社、アメリカドイツがそれぞれ1社の寡占市場で、高収益を見込める市場だったのですが、ご存じのとおり、デジタル技術の普及によって市場が壊滅しています。その変化に対応しきれなかった、ということでしょう。

生物学では適者生存と言いますが、パラダイムの変化が起きる時に、真っ先に滅びるのは最適合していた強者です。似たようなことは生物史においてだけではなく、経済歴史文化においても起こっています

日本映画大国です。アニメーション映画も含めて年間400本以上制作されていますが、制作本数が割合多い方の国であるドイツの制作本数を日本人口に比例させて置き換えれば300本程度なのですから、相対的にも日本映画産業好調な国だと言えます。この映画産業が壊滅的に縮小したのが70年代であって、言うまでもなく、これはテレビの影響です。どこの国でも映画産業模索時代を迎えていたのですが、世界市場を持つアメリカ映画しか生き延びることは出来ないのではないか、そういう見方もありました。そのアメリカ映画でも従来の大手映画会社による支配が大きく崩れ、独立系の新進の若い映画人たちが大量に参入し、映画産業を立て直してゆくのも70年代のことです。ルーカススピルバーグらもそういう人たちでした。

日本映画製作会社大手五社のうち、日活はロマンポルノに特化し、大映はテレビドラマ向けの撮影所だけが存続しました。東映松竹東宝映画製作会社としては規模が大幅に縮小して、「洋画の興行」と不動産事業で何とか生き延びていたような時代です。日本映画はそのまま衰退していたとしてもおかしくはありませんでした。こう言う状況を受けて、70年代末期には独立系の志のある映画人、新興の映画製作会社市場に参入しています。代表的な企業としてはキティフィルムで、80年代には『うる星やつら』や『銀河英雄伝説』の制作で知られる、アニメーション制作スタジオとして有名になりましたが、元は映画製作会社で、『限りなく透明に近いブルー』を映画化しています

もうひとつ、大きな足跡を残したのが角川書店角川春樹事務所)です。薬師丸ひろ子はこの両企業の黎明期の作品に関わっています。そういう意味では日本映画復興を象徴する女優でした。


角川春樹事務所映画製作に乗り出しのは、本を売るためであって、メディアミックスの先駆けでした。メディアミックス戦略映画産業にとって荒天の慈雨となったのには理由があります。角川のように、映画出版、両方に関係していれば、グロスで元が取れればいいわけです。極端な話、映画の興行は赤字でも、本の売上で補えるなら、映画を作る意味はあります映画単体の採算ラインでは撮れなかった映画も撮れるようになりますし、制作費の規模自体が拡大するわけです。角川春樹映画人ではなかったからこそ、新しいビジネスフォーマットを提示することが出来たのです。

角川映画嚆矢は『犬神家の一族』ですが、『人間の証明』『野生の証明』と大作を毎年制作しました。この頃は、映画になりやす原作を選んでいましたが、本を売ることも目的ひとつなので、原作になる本は長ければ長いほどいいわけです(それだけ売れますから)。80年代アニメーション映画化した『幻魔大戦』は作品の長さで選んだきらいがあります

角川映画テレビCMをどんどん流し、サウンドバイトなコピー流行語になりました。『人間の証明』で言えば「母さん、僕のあの麦わら帽子、どうしたんでしょうね」です。続く『野生の証明』のキャッチフレーズが「お父さん怖いよ。何かが来るよ」でした。「母さん」の次は「お父さん」なのでしょうか。これは劇中、薬師丸ひろ子が演じる少女セリフのままです。


薬師丸ひろ子は『野生の証明』の一般オーディションを経て、デビューしています。当時14歳中学2年生です。どういうつもりでオーディションに応募したのかは分からないのですが、当時東京在住の女子学生にとって、あまり深い意味はなく、応募したのかも知れません。と言うのは、『野生の証明』で名を売ってからも、高校に進学するまで、薬師丸の芸能活動は抑えたものだったからです。当人も親も、深く考える間もないまま、日本中の喧騒に巻き込まれていった、その中で「普通であることを一生懸命守ろうとした、そういう感じです。

アイドル映画に出ることは多いのですが、薬師丸の場合は映画に出た後にアイドルになっています。その映画アイドル映画ではなく、日本映画界が渾身の力を込めた大作『野生の証明』で、監督スタッフキャリアがある人たちで、共演は高倉健という、新人デビュー作品としてはこれ以上はないほど、グレードの高い環境でした。おそらく薬師丸は今もってデビュー作ほどの環境に恵まれた現場は他には知らないでしょう。

彼女は日本映画界の最後王道を通って女優になった人です。アイドルとしてデビューしたわけではありませんが、彼女は日本中に知られ、彼女の台詞日本人なら誰でも知っているまでになりましたから、そうなってみれば彼女は角川映画資産です。彼女と言う資産をどう展開するか、それがその後の角川映画課題になりました。

薬師丸は学年で言えば松田聖子よりは3学年下になります。けれどもデビュー自体は2年早い。80年代と言う時代が聖子によって、聖子と共に輪郭をくっきりと明瞭にしたのだとしたら、薬師丸はその前に、登場した人です。70年代の色彩を持っている、だからこそ選ばれた、ということになります

70年代は学園闘争の時代が終わり、ノンポリティカル雰囲気が前面に出てきた時代ではありますが、成長がすべてを癒すのだとしたら、その果実がまだ蔓延なく行き渡っていない時代です。国民意識の総中流化が完成する一歩手前、むしろその完成が近かったからこそわずかな差違が表層に反映された時代でもあります。その時代に逢って薬師丸は本当の中産階級が持っていた無意識象徴する存在でした。

無意識は持てる者の特権です。異端は常に、自分が他と違うことを意識させられます無意識はいられないのです。薬師丸には70年代若い世代、それも東京山の手若い世代無意識が濃縮された形で詰め込まれています。薬師丸は男女の同級生の中で自然にリーダーシップをとる女子の役を多く演じているのですが、そのような存在無意識存在できたのは70年代東京だけだったでしょう。80年代には女子の商品化が進み、いずれの女子も商品としての自分無意識でいられることは出来なくなるのですが、70年代はまだマルキシズムの残り香のようなものがあって、ある意味都市部では若い女性の意識がニュートラルであることを許された最後時代かも知れません。

から薬師丸にはどこか、連合赤軍日本赤軍の流れみたいなものを感じます。彼女が政治見解として左翼的マインドを持っているということではなくて、ノンポリティカルであるがゆえに、マルキシズムの持っていた理想のようなものの流れを維持して、そこから生じた文化的な派生の中に身を置いている、そういう印象があります

それが以前言った、薬師丸にはジュヴナイル的な匂いがある、というものの正体です。

薬師丸は『野生の証明』以後、言ってみれば角川が彼女の鮮度を維持するために『戦国自衛隊』でカメオ出演させた他は、初主演で本格的に芸能活動を開始したのが、1980年公開の『翔んだカップルからです。高校2年生になっていました。この『翔んだカップル』は相米慎二の初監督作品でもあり、制作は角川ではなくキティフィルムです。やがて90年代にかけてそれぞれのジャンルで主流を担っていく人たち、そういう人たちが80年代最初期のこの時期に、ジュヴィナイル路線で台頭してきた、エポックメイキング意味がこの今ではほとんど知られていないこの作品にはあります。翌年、相米監督と薬師丸は『セーラー服と機関銃』で再び組むのですが、特に演技指導が厳しいことで知られる相米慎二洗礼を受けて、それだけに日本映画の最も濃厚な部分を最初から薬師丸は味わったことになります

今、『あまちゃん』で共演している尾美としのり主人公天野アキの父親役)とは『翔んだカップル』以来の付き合いで、尾美としのりもまた80年代日本映画界のジュヴナイルルネサンスの中心にいた俳優です。尾美としのり大林宣彦監督作品にほぼ漏れなく出演していて、大林監督は「彼は私の作品の署名のようなもの」と述べていますが、薬師丸が続いて出演した『ねらわれた学園』の監督大林宣彦です。

大林監督70年代後半、ホリプロに起用されてアイドル映画を撮っていますが、80年代以後は角川映画の印象が強い人です。『時をかける少女』は原田知世主演のアイドル映画でありながら、同時に自身の代表作品である尾道三部作の中核をなしているように、相当に監督側に委ねた撮影になっています(だからこそ今なお『時をかける少女』はアイドル映画の枠を超えて傑作として継承されているのですが)。

ねらわれた学園』は角川映画プログラムクチャとして初めて手掛けた薬師丸主演映画です。原作は当時の10年前の世相を背景にしていますが、それだけにジュヴナイル雰囲気特に強い作品です。この映画は、大林監督の名を売ると同時に、主題歌松任谷由実の『守ってあげたい』もヒットしました。松任谷由実の第二次黄金時代きっかけになった作品です。ただし楽曲の完成度自体は、第二次黄金時代に入る前、むしろ低迷期の方が出来がいいのですが。

この、『守ってあげたい』という楽曲も、ジェンダーフリーという意味において非常にジュヴナイル的です。ここでは女子は守られる側ではなくて、守ってあげたいという主体的な立場に立っています。こうして考えてみると80年代少女商品化の進行は、供給者としての少女立場を強めるのと同時に、主体的な消費者としてジェンダーとしての女性立場を弱めたのではないかという疑いが濃厚になってきます

私は薬師丸を理系的と言いましたが、薬師丸の映画キャラクターの10年後、20年後想像してキャリアのある姿は思い浮かべられるけれども、専業主婦ではおさまりがつかない、そういう印象があります。しかし松田聖子の場合、当人の生き方別にして、パブリックイメージとして結婚して主婦になって物語にエンドマークがつく、そういう側面を強化した面もあるのではないでしょうか。


一般にはアイドルとしての薬師丸のキャリアは続く『セーラー服と機関銃から始まります。ここから彼女は主題歌担当することになったからです。

角川映画は主に大作路線を手掛けていましたが、大作では数が作れません。これ以後、薬師丸らを主演に据えて、小品を季節ごとに提供してゆく、そういう手堅く儲ける路線に転化しました。薬師丸にとっては主演映画連続でしたが、初期の現場環境の完成度の高さに比較すればむしろ規模が縮小した感じもなくはなかったと思われます

歌手としての薬師丸の特徴は、中音域を含めてファルセットで歌い通すということで、本来のファルセット意味合いとは異なる用い方をしています。単に高音域をカバーするというのではなく、美空ひばりが「七色の声」と言われるように、歌唱に表情をつけて楽曲としての魅力を強める意味合いがあります。全編をファルセットで歌ったアイドルとしては天地真理がいますが、非常に嘘っぽい。そういう印象があります。薬師丸の場合は幸か不幸かファルセットも地声に近い印象があって、嘘っぽさはないのですが、表情に乏しい分だけ分かりやすい上手さもありません。

上手い下手で言えば、今聴くと異常に上手いなと感じますし、当時も上手いとは思ってはいたのですが、歌唱世界観が合いすぎて、印象に残らない、個人的にはそういう感じがあります

鉛筆で例えるなら原田知世は2Hで薬師丸は2B、松任谷由実がそう評したことは以前に述べましたが、薬師丸はわりあい線が太い、それが持ち味であるのに、薬師丸は歌唱では輪郭をぼやかしていますリアリティが無い。歌の題材も10代の少女不安げな感じをテーマにしているのですから、それが世界観に沿っているというならばそうなのですが、輪郭が細いのではなくて薄い、引っかかるところがないのです。ファルセットは本来、「引っ掛かり」として用いられるものですから、それで押し通すのは、強弱の表情が歌唱から無くなってのっぺりとなってしまうことを意味しています。非日常常態化すれば日常です。

彼女の楽曲では『Woman~"Wの悲劇"より』が比較的その弊害を免れているのは、歌詞が生々しい情事を歌っているからです。実態が生々しい情事であるからこそ、そこで用いられた詩的な表現が美しく浮かび上がりますし、薬師丸の加工的な歌唱現実の中のファンタジーにとどめられていて、現実と言う力を持っています。『探偵物語』や『メインテーマ』では、あら、きれいね、で終わってしまう、その傾向があります

器楽として美しいだけに、表現として弱いのです。

角川映画主演作品で主題歌を薬師丸が歌う、と言うのがアイドル薬師丸の代表的なフォーマットであるとすれば、実はそれに相当するのはシングルでは4曲しかありません。『セーラー服と機関銃』『探偵物語』『メインテーマ』『Woman~"Wの悲劇"より』だけです。『Wの悲劇』を最後にして、彼女は角川映画角川春樹事務所を離れ、それ以後も、主演映画主題歌を歌うというフォーマットは続きましたが、そこから先はもう、アイドルとしては取り上げなくてもいいでしょう。

続く

http://anond.hatelabo.jp/20130904155640

2007-04-23

甘酸っぱい話に弱いすべての20代男性

間違ってもプロポーズ大作戦は見ないほうがいい。

こんなに落ち込むドラマは初めてだ。

思えば俺たちの世代は野島伸司ドラマからこういう類の話に晒されきた。野島伸司小学生ぐらいの頃か。この頃はまだ馬鹿だからいい。

耳をすませばとかも、ガキが何言ってんだ、ヴァイオリン?はぁ?って感じでやや強引に突っぱねる事が出来たし、あれは大人が見て落ち込むもんだから当時小学生ぐらいの奴には関係のない話さ。

エヴァはご愛嬌。あれにいくらハマッたってちゃんと戻ってこれる。時間が解決してくれるんだ。もう十年前だろ?あれにはみんなやられたし、みんな一緒にちゃんと恥ずかしい思いもして一つ大人になった。通過儀礼みたいなものさ。

最終兵器彼女だって新海誠だってラノベだってハルヒだって、セカイ系だろ(笑)?みたいな斜に構えた態度クールに受け流せたはずだ。

最近で一番危なかったのは野ブタを見たときだけど、あれは人間関係メタ化とか、アンチ世界系とか色々とメタファーがあって、その上で落ち込めたからさ、よかったよ。メタファーによって、ああいう友達が欲しいとか根暗な堀北萌えとかっていう、単純だけど根が深い落ち込む要素を曖昧にしてくれたし、脚本の志に共感してるからとか自分の中で言い訳しながら、見れるんだからすごい親切。

んでこのドラマなんだけどさ、みんなが思っている「学生時代に戻りたい」っていう思いをメタファーなんて糞食らえって勢いで、かなり直接的に描写しまくってる。だってストーリー自体がさ、「高校生(時期はモンゴル800が死ぬほど流行っていた時)の頃にタイムスリップして、幼馴染と結婚するために頑張る」って話でその幼馴染が長澤まさみですよ。オブラートに包んでくれよ、こちとら今参ってるんだ。

アイドルドラマってのはピンチランナーみたいな駄作を作るか、相米慎二とかみたいにさ、物語を捻って作家性を出した上で作るのが礼儀だろ。混じりっけなしのマジモノ作ってどうするんだ。

ドラマの内容はあえて詳しく書かない。この文章を呼んで「痛い奴」とか「中二病乙」とか思った人はドラマを見ればいいさ。

けど少しでも共感してくれる奴がいるなら、心の底からアドバイス

マジで見るな!

 
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