はてなキーワード: 男女の友情とは
まるで参加できない自分が少し空しい。
男はこうで女はこうでと男女が活発に議論を繰り返していても全く参加できん
恋をしたことがないからどっちの気持ちもさっぱりなわけですよ
男女の友情は成立するか?系の話題も全然わからん。全然どっちの論にも実感わかん。(いや、男側の感情はそりゃそもそも実感わかんだろうけど)
そもそもそれ以前にそんな仲いい友達同性でもいねーよっていう
異性との関わりなんて必要最低限の会話しかしたことねーよ。
逆にちょっと優しくされただけで惚れかけることはあるけどまぁ三分もすればすぐその感情も消えてしまうわけで
ていうか恋愛って何だよマジで…わかんねーよ
愛って何よ…
http://anond.hatelabo.jp/20070605155255
すんません。私はそんな男です(´Д`;)ヾ
女性と友情は作れません。
手を出す気にならない女性はいますけどね。楽しく話せて。
でもまぁ、妄想はするよなぁ。
>男女の友情なんて成り立つと思ってたけど、それは女性から見た話だな。男性がそれじゃ、やっぱ成り立たんわ、って思った。
これをその友情が成り立ってたと思っている相手の男に言ってあげて下さい。と思う。
…いや、「成り立つと思ってた」か。「成り立ってたと思ってた」じゃないんだ…
男女論(ていうか、恋愛論?)好きなはてブいっぱいあるけどそういうの読んでるとほんと男ってのは……と頭痛くなってくる。そんなにあれか、そんなにヤりたいのか、貴様ら、と。結局突き詰めていくと男女で問題発生しがちなのは「男に性欲があるから」なんだよなあ、そんなになんつーの?性欲にコントロールされちゃってんの?みたいな、一種の呆れというかなんというか……ほんとチンコで考えてんだなって感じで。男女の友情なんて成り立つと思ってたけど、それは女性から見た話だな。男性がそれじゃ、やっぱ成り立たんわ、って思った。ていうか、もう、とかく女性とみたらセックス!セックス!って発想しか出ないようだから。なんかなぁ。そんなに男って女性をモノとしてしか見てないんだーってガックリした。性欲の対象としてしか見てない。どこまでも。切り替えられないのか?なんかもうちょっと、こうさあ。要領よくさ。あれはあれこれはこれって割り切れんのか。女は結構、あの男は性欲の対象の目で見てるが、この男は違う、みたいに分けられるもんだし、ていうか、理性ある人間として当然の対応だと思ってたけど、男はいまだ違うようで。きめえよ……ダッチワイフやるからそれで腰振ってりゃいいじゃん
女は男に対して「男」以前の目で見ることも出来るけど男にはそれができんのでしょ?女がいたらそれ以前に一人の人間としての目で見れず、「女」フィルター通さないとダメなんしょ?なんかそういうの本当気持ち悪い。馬鹿じゃねえの?って思う、正直な所。ドンだけ性欲に支配されてんの。しっかりしなよ。嫌な生き物つーか、哀れな生き物っつーか。ほんとろくでもねー。やっぱ二次元万歳。三次元の男は気持ち悪いよ。こっちをそういう目でしか見ないとか失礼きわまりないし、サルだし。男って社会生活に実は向いてないんじゃないだろうか?男だけの時はよかったけど。今みたいに男女混合になってくるとさ。いちいち仕事相手がたまたま女ってだけでチンコたててるようじゃさぁ。あーサル。サルうぜえ。別に女がいいってわけでもないけど、男のサル部分がこんなにでかいとは。ほんとキモい。こっちを人間じゃなく女としてみるっていうなら、こっちも男を人間扱いしてやる必要はないよな。ていうか、馬鹿らしいし。そんな失礼な目線しか送ってこないものを人間と見るなんて。これから三次元の男はサルとして見る。そして二次元に生きよう。男もちょうど三次元の女が嫌らしいし、ちょうどいいじゃん。皆ニ次元で恋すればいいよ。三次元の人間なんてろくなもんじゃねえ。あー、気持ち悪ッ。
「昨日見たAVが酷かった」
「冷静に考えて、遠距離恋愛したって続くわけねぇよ」
「男女の友情が成り立つとかいう女は不細工ばっかだ。」
「△△だから不細工な女は嫌いだ。」
「冷静に考えて、遠距離恋愛したって続くわけねぇよ」
「男女の友情が成り立つとかいう女は不細工ばっかだ。」
「△△だから不細工な女は嫌いだ。」
ここら辺は、彼女が見ていなくても書きづらい話題だと思うけど。
Windows Vistaってありえない
メモリをたくさん使うんだって@@
GUIをもっと軽くすればいいのに。。。
みんなそう思うでしょ?
まぁおれはウイルスのないオシャレなマックだから、関係ないんだけどね!
なんか面白そう!
なんかおれ最近政治に興味持ってきちゃったよ。なんか大人って感じ?(笑)
最近よく考えてることがあるんだけど、男女の友情って成立するのかなぁ
おれは自信あるけどな!
自信ないとかいう男って、自制できないんだろうな。
おれは大丈夫!よゆーで!
今日のニュース:「発掘!あるある大辞典」で捏造
面白いでしょ?おれが考えたんだけどね!
使うときはこのページにリンクしてくださいね。無断で使ったらまじ怒るから!
おれは怒ると怖いよ?(爆)
そんな机上の空論で世の中がスッと見通せると思ったら大間違い。特にブクマの絶賛している人びとへ。もちろんそれでカタがつく場合も否定しないが。
私もレイプされかけたことがあるが、今回黙っていたのは別にそのことを恨めしく思ったり憎しみと共に思い返したりしないからだ。その日は、家がすぐそこだから茶でも飲んで帰れといわれた。私は遠慮したが、「何もしないよ」と嘲笑されたのでついていった。その男は彼女持ちだった。
で、襲われた。仕方が無いので冷静に話しあって納得して貰った。で、また襲われた。さすがにキレて部屋を出た。終わり。そんだけの話。一番辛かったのはその日以降私が友人たちのグループに顔を出せなくなってしまったことだった。グループの人にそんなことを吹聴してまわるのは趣味が悪いように思えた。さすがに彼女には報告した。いい感じに泥沼化したが彼女は私のことを責める風でもなく私がグループから姿を消すことで自然と風化、決着。
ポイントは「何もするわけないじゃん」という嘲笑である。
ですよねー。私なんかに何もするわけないっすよねー。かわいい彼女がいるしねー。ここで断ったら何この自意識過剰女って感じですよねー。しかもある程度の「親密さ」を拒否してるみたいでアレですよねー。うんまあ友達関係は大事だよねー。レッツ・ゴー!
って考える私が悪いのよね(って思ったり思わなかったりするだろうけど、そう思うときがある人はいっぱいいるのよね)。重々承知しておりますとも。だから彼のことを責め立てたりすることは「ありえない」。そして私は友達をごっそり失う、と。良く出来てる。でも思うのね、まあ同じシチュエーションで、相手が谷原章介で、しかもその彼女が私の直接知らない人でなんかバツ1で子持ちらしいよとか言われたら自分寝返ってたかもしれない。あの男自体は私は最低だと思うけど、その行動自体は全然否定できない(そういう人が多いから『ウォーク・ザ・ライン』がアカデミーで評価を受けたんだろう)。私はそもそも惹かれるというコードを解釈する「恋愛」の基準が人様より広めなんだな。そして私は友達をごっそり失う、と。良く出来てる。
で、何だって?
男女の友情は、成立するのだろうか。私は「成立する」と断言したい。
そのためには、まず、本能的に「惹かれる」と言う感情を認めることだ。世に「親友」と呼ばれる人たちの間には、どのような形であれ「惹かれあう」感情が存在するだろう。男女であれば、惹かれあった末の「親密な関係」は性的関係を惹起する。これは動物として仕方のないことだ。
OK、私がそこで「いいえ、家には上がらない」と言う。ま、彼のことだからもっかいくらいそういうお誘いがあるだろう。その時も断らなくちゃいけないわけだよな。OKOK。「うーん、今日はもう遅いし、明日早いから帰るわ」
男(あ、こいつヤれないな、意味ねえ)
どっちかが好意を持った瞬間に友情なんて破滅決定(*´∀`)b
「部屋に入らない」→「じゃあお前とは友達でいる意味ない」になる。それを否定することは、馬鹿げてる。そういうケースだってあるさ。
あ、私男女の友情は成立する派だよ、これでも。失敗をいろいろして(いやでもこの一個だけだよ、考えて見りゃ)、まだするだろうけど、いくつかは成立してんもん。それは部屋に入るのを断るからじゃない。部屋に入れという要求が起こっても大丈夫な男がいっぱいいるって知ってるから。部屋に入れという要求を起こさない男もいっぱいいるって知ってるから。「動物だから」「男だから」はいはいご苦労様。
もう一生女なんて信じない関連。
pal-9999の日記 - セックスする友達というのなら文句は言わんがのはてブコメントとか読んでて納得いかなかったので書いてみた。
http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/personal.htm
腕を伸ばして届く範囲ぐらいが「親密なスペース」と呼ばれ、フツウは恋人や家族のような「触られても気にならないほど親密な関係」以外の人に入られると不愉快に感じる。
反対に、そのスペースに入るのを許すことは「あなたと私は親密な関係だ」と暗に認めていることにならないだろうか。相手に自分の「親密なスペース」に入ることを許すこと。これを仮に「親密フラグ」と呼ぶことにする。
一人暮らしの部屋なんて、大抵はワンルームでベッドがある。私はベッドがある部屋だって十分に「親密なスペース」だと感じる。学生時代、同性の友人の狭い部屋に招き入れられた時でさえ、私の気持ちは妙に高揚したものだ。友人の「親密フラグ」を感じ、自分が彼女にとって「その他大勢の友達とは違う特別な存在」と感じたからだ。
思春期に、同性をやたらに「親密なスペース」に入れたがる時期っていうのがある。
中学生ぐらいになると、遊ぶといえば誰かの部屋で、何するでもなくマンガ読んだりファミコンしたり延々とコイバナやエロ話をしていたものだ。このように青春の一ページでは、同性に「親密フラグ」を立てまくっては、大喧嘩したりいじめがあったりと何かしらの失敗がある。
しかしハイティーンになるにしたがって、その「親密なスペース」の開放を、グループではなく1対1の関係(多くは男女交際)に求めることが多くなってくる。(男の子の場合、体育会系クラブや会社など、いわゆる「ホモソーシャル」な組織への従属ってのが挟まることもある。)この「親密なスペース」を限られた人にのみ許す、という変化は、1対1の親密な関係を築けるようになる、というごく当たり前な精神的成長の一側面と捕らえることができる。
しかし中には、この精神的成長の途中でなぜか、「親密なスペース」をお互いに許しあってこそ友達だ、という考えに到る人たちがいる。
「友達なんだからいいだろう」と、非常識に部屋に居座ったり、ベタベタ触ってきたり、お金などごく個人的な部分でルーズに寄りかかってきたりする人たちを見ると、一人一人の「親密なスペース」には結構差があるんだなあ、と感じると共に、1対1の親密な人間関係を築く方法を身に付けきれていない「未熟さ」を思わずにはいられない。
惹かれる心というのは本能的な感情だと思う。自分の命を守る上で欠かせないと感じる人に出会ったとき、どうしようもなく人に惹かれるのだと思う。これは性別に関係のない感情なのではないか。相手を必要だと思い、もっと近づいて親密になりたいという願い。これは、最終的には肉体的接近を伴うものであろう。異性であれば子を成したいと願うし、同性であれば群れを成したいと願う。同性同士での性的行為に及ぶことも、人間だけではなく様々な種でしばしば見られることである。
人間であれば、そこに文化的な装飾が絡んでくる。
異性愛が推奨される文化の中では、同性同士で一定以上の肉体的接近に到ることは少ないだろうし、一夫一妻の文化の中では、一度に複数の異性に惹かれることを文化的にタブーとする。
つまり、「惹かれる」という非常に本能的な感情を、わたしたちは「恋愛」という文化で解釈することにより、日々の人間関係を営んでいるのではないかと思うのだ。
この「恋愛文化」の解釈モデルをドグマとして信望するあまり、本能的な振る舞いを許容できなくなっている人が多いと感じる。「好きになったらあなただけ。他の人にときめくなんてありえない」というドグマにとらわれすぎて、たまたまときめいちゃった時に「このときめきは本物」とかいって恋人や家族を捨ててどこかへ飛んでいってしまうようで、解釈に振り回されるというのはとても不自由そうなものだと感じる。
「親密なスペース」を許すこと、すなわち「親密フラグ」を立てることは、これから親密な人間関係を築こうとする二人にとって、非常に重要なコミュニケーションになる。お互いの「親密なスペース」に侵入しあうことなしには、性的関係に到ることはできない。翻って「親密フラグ」を立てるということは、やはり性的関係に到ることへの実質的な許可と捕らえられてしまっても、やはり仕方がないのではないだろうか。
腕に絡み付いてきたり、平気で男の子のワンルームに上がり込んだりする女の子は確かに存在する。彼女達の多くは、おそらく「親密なスペース」に入り込まれても拒まれない、つまり相手の「親密フラグ」をもぎ取ることが気持ち良いのではないかと思われる。彼女達はその関係に、必ずしもセクシャルな関係を求めない。中学生時代に同性の友人と共有したような、「親密で楽しいだけ」の関係を求めているように見える。そういう意味で、彼女達の「親密な関係」は未熟なものであると言えよう。しかしそれは逆に言うと、「親密な関係」に「セクシャルな関係」を求められることを苦痛に感じている、とも解釈できる。
しかし、これをやられるとたまらないのは男の方である。彼女達はどちらかと言うと「親密なスペース」に保守的な男の子を狙うことが多い(決して意図的ではない)。突然かわいくてやわらかくていいによいの女の子が「親密なスペース」に入り込んできて、とても楽しそうにする。普段立てたこともない自分の「親密フラグ」を、立たされっぱなしにされるわけだ。彼らは振り回されながら、遠まわしに打てども響かない彼女達の「親密フラグ」を信じ、耐え切れなくなってセクシャルな関係を求め、玉砕する。
「あなたがそんなことを考えていたなんて信じられない」「ずっと友達でいたかったのに」「もう二度とあのころには戻れないんだね」といったメガトンパンチに、再起不能になってしまう人もいる。中には、男は完全に同意のつもりであったのになぜかレイプで告訴されてしまう、と言うケースもあるだろう。(だからってレイプが正当化されるわけではないが)
こんなウサギさんばかりでは、純真な狸たちはますます恋愛に怯え、親密な関係を築けなくなる。
男女の友情は、成立するのだろうか。私は「成立する」と断言したい。
そのためには、まず、本能的に「惹かれる」と言う感情を認めることだ。世に「親友」と呼ばれる人たちの間には、どのような形であれ「惹かれあう」感情が存在するだろう。男女であれば、惹かれあった末の「親密な関係」は性的関係を惹起する。これは動物として仕方のないことだ。
友情に「親密フラグ」はいらない。「親密フラグ」がなくたって、十分に友情を育むことはできる。人生を語り合って、楽しい思い出を共有して、つまづいた時には手を差し伸べあうことができる。
「親密フラグ」さえたてなければ、男女の友情は成立する。すなわち、1対1の人間関係において「親密フラグ」をコントロールできる人間にのみ、男女の友情は許されるのだ。
[これはululun]を書いた者ですが(騙りの可能性も考慮せよ)。
いろいろな反応があって面白い。考えをまとめるためにまとめる。あとid:pal-9999が補足記事書いてるようだ。
生物学的には、ヘテロであるid:pal-9999=セフレ関係持った人>>>>>>>>>>>>>>>>ゲイ・レズ=人食い人種
その公理だとレイプ魔最強。あるいは、いい歳した童貞処女は生きる価値のないクズ生物。
そもそも生物学的な優劣は問題にしてないので取り上げる意味もないのだが、思考の対象を明確にするためにもピックアップした。Googleでわざわざ「-送料」とか付けるようなものだろうか。
「それなんてエロゲ?」
自分の部屋に女性があがってきて友達だよね信じてるとか言われて泊まっていくというのは
なるほど。無理に挑発して悪かったと思ってます。ごめんなさい。気にしないでもらえると嬉しい。
O-Lab +Ossan Laboratory+ - はてな匿名ダイアリーで他人をdisるのは正直どうなんかね。
卑怯さ加減が正直どうなんだろうと。
それを卑怯というなら、ウェブ上に限らず芸名や実名で活動してる個人や、名前のついた団体相手に、実名出さずにネット上で批判するのも卑怯という論法になる。オフラインの個人いわく「(ネット上の)あいつらは、使い捨て可能な名前があるだけで、顔も名前も経歴も曝してる我々と互角のつもりで居やがる」。
匿名論争に関してはこういう考えなので、はてなIDでしかidentifiedされてない人間が、はてなIDすら出さない人間を卑怯だというのは目くそ鼻くそかと。
はてな使ってるってことは、
はてダも使えるんだろうと思うんだがねぇ。
それくらいは好きにさせてくれ。あと言及するときはトラックバックしてくれるといいと思うんだがねぇ。
2007年01月18日 cubed-l セキュリティ 危機管理としてはid:pal-9999の方がまとも/色恋沙汰の面倒さも含めれば1対1は避ける方が楽と思う
ああ、1対1に思考が縛られすぎてた。なるほど。「危機管理としてはid:pal-9999の方がまとも」というのも同意だが、主に機会損失のほうを考えてるので。
2007年01月18日 betelgeuse 危機管理, 男と女 「私の知人であり友人であるその男は、私を絶対に押し倒さず、無力な状態でも性的なイタズラ行動はしない」と断言できるのなら、それはそれでいいんじゃないの。そう断言できる材料がどこにあるのかは知らない。
なんで1と0で考えるのかわからない。相手、状況、関係、気分などによっていくらでも判断は変わる。どっちかひとつ選んだら恒久的にそれしか選ばせないのはなぜ?
2007年01月18日 Lhankor_Mhy 恋愛, 考え中 なんつーか、揚げ足取りに見える。言葉の端を捉えすぎてるのか?まあ、id:pal-9999が高く足を挙げすぎたのかもしれんが。
揚げ足取りに見えるのは、小刻みに引用し小刻みに反論してるからじゃないかな。あと茶化してるところとか。どう見えるかは知らないけど、それなりの主張はしたつもりですよ。
2007年01月18日 Masao_hate 男と女 何コレ?あなたのユートピア的妄想を押し付けないでくれる?あなたの性別はなにか知らんけど(文体から想像するに女性だけど)、これは酷い男性差別ですね。
その発言をid:pal-9999へリダイレクトしたい。
というかid:pal-9999へならまだしも、当該記事が男性差別といわれる意味がわからない。「男性を誤解してる」ならまだわかるんだけどそうでもないし。
2007年01月18日 Marco11 うるるんとは別種だろ。チンコ頭はガキなだけだろ。ガキなだけじゃなかったら友達と一緒に潰しに行くよ。ガキなだけだろ?
[これはひどい]がもっともよく似合うものなんだろう、と考えたときid:ululunが浮かんだだけで他意はないです。
2007年01月18日 isnotit あ??あ!palさんあんなエントリー書くからバカフェミとゲイにたかられる(はてな的)仕事以外でゲイと二人っきりは勘弁。自意識過剰でなくてマナー。レイプするゲイもいるだろうしな(こう書くとまたバカが騒ぐかなw
あまりにも中身のない独り言なのでどうしようか迷ったけど挙げておく。自意識過剰でなくてマナーで。
えー、バカフェミとわざわざ接頭辞バカを付けてるとこ見ると、まともに話ができない人なのは一目瞭然なので要点だけ抽出するとたぶんこう。「id:pal-9999さんの発言はそれほど異端でもないが馬鹿を寄せ付ける何らかの魅力は具えている」あるいは「id:pal-9999さんの発言に反駁する輩はバカフェミかゲイだろう。そうでない普通の人なら自然と納得する。誰だって納得する。俺もそうする」といったところか。目の前に具体的な事象があってもわざわざその大枠を考えないと何も言えない人なんだろうか。安全側の人というか。
これを読み解くには暗黙の文脈が必要だと思ったのでid:isnotitの過去のブックマーク見たら、どうやらレッテル遊びが好きなだけの人畜無害な妖精さんっぽい。ネット右翼でもid:dasmでもなんでもいいけど。なんだ。
さて、冒頭にも書いたid:pal-9999の補足記事について。
立件される強姦では、通り魔的な犯罪(引用者注:被害者の知人ではない男性による犯罪)が多いのだが、それでも、日本全体では、年に1400件程度起こっているにすぎない。
これは法的に強姦と認められた件数。ただ、何年度のデータかはわからない。それほど古いデータではないだろうと思う。
福島氏は、山岡一信氏の「犯罪行動形態IV-性犯罪」(1965.1966)のデータから、性犯罪の被害者の三分の二が未成年者である事と小西調査のデータ、性被害者の年齢分布を考え合わせて、日本の女性が生涯で強姦の被害にあう確率を2.5%と算出している。
40年前は「性犯罪の被害者の三分の二が未成年者」だったのかもしれないが、じゃあ今はどうなんだろうと疑問に思った。40年前なら、田舎だとまだ夜這いも残ってただろうし(要確認)。
山岡一信のデータと小西調査のデータがよく相関してるので、そこから現代の値を推測しているようだが、詳細不明なので2.5%の妥当性は判断できない。
こうした数値から考えた場合、デートレイプを含めた場合には、日本で、強姦被害にあっている女性は、年に2万人程度となるわけである。
犯罪白書では、年に2000件しか強姦が起こってないとするが、レイプの定義を広げた場合に(デートレイプなどに含まれる「女性との合意のない不快なセックス」という所まで、強姦の定義を広げた場合に)は、年に2万件の強姦が起こっているになるため、日本の女性は、実際に考えられているほどには安全ではないのである。
なんで2万人なんて数字が出てきたのかわからない。
「強姦未遂」に関しては、おそらく年20万件程度発生しているのではないかという現状を考えれば
だんだん数字の信憑性が低くなってきた。まあ、数値は枕なのでこれくらいで。
僕以外の日本男性の名誉のために言っておくと、昨今の日本男性というのは、ものすごくおとなしくて、非攻撃的なのが現状だ。
犯罪発生率、強姦件数ともに、諸外国に比べて、極めて低く、女性にとっては、日本男性というのは非常に、安全だといえる部類である。
ただし、それでも、上記の小西調査の調査結果は、女性が未だに性被害の危険性に、かなりの割合でさらされていることを意味している。生涯でレイプされる確率2.5%という数値は、かなり危険な数値と言わざるをえない。
2.5%かどうかはともかく、絶対安全とは言えないのは同意。
これらのデータと合わせて、自分の経験かも言わせてもらうが、女性が見知らぬ人にレイプされたという事は、自分の周りではほとんどない。
ただ、いわゆる「デートレイプ」であったり、「親しい友人だと思って安心して家にあげたらヤられちゃいました/ヤられそうになった」なんて話は、それなりに聞く。珍しい話というわけではない。
この、感覚というか、周囲から聞こえる話もだいたい同じ。
高校生のとき「このまえ好きでもない男とやったよ。すげえ気持ち悪かった」とか「自動車教習所でナンパ?されて、最初はごはんだけって言ってたのに、ドライブして夜景見に行こうって言われて、危うくレイプされかけた」とかも聞いた。
それでも、
男性に友情を求める女性にとっては、日本男性というのは、諸外国の男性に比べれば、ずっと、やりやすいとは、言えるだろう。
ただ、現状、まだ、性被害の件数を考えれば、まだ、そういうのは早いと僕は考えているのである。
とは思わない。無条件にそうするのは、たしかに危険だ。それでも、本人が承知した上で、そういう行動を取るのは勝手にすればいいだろう。
「あの人はたしかに男だけど、あの人だけは例外だから」なんて無垢なあるいは考えなしの考えを述べるなら、先述の本でも見せて、正しい知識を与えればいい。同様の理由で、「男は絶対危険だ!」なんて説くのなら、やっぱり、絶対と言い切ってしまうには抵抗があるので、否定したくなる。
「私はあの人を友達だと思ってる」なんて言うなら、そして、にも拘わらず相手からコクられたりレイプされかけたりしたんなら、友達だと思ってたのはその子だけだった、という話に過ぎない。小学校では友達だったのに、中学に上がったとたん僕をいじめ始めた、なんていう話と構造的には大差ないように思う。小学校での友達なんて信用するな、と小学生に対して言えるだろうか。人間関係なんだから、常にある程度のリスクは負わなきゃならないと思う。あとは許容できるのはどれくらいか、という閾値の話だろうか。
最後に。
そのリスクとベネフィットの計算は、たぶん、誰もが自分基準で考えるんだと思う。性欲強い人は「女相手に友情なんて無理」と考えるだろうし、バイセクシャルなら「性欲があろうがなかろうが友情は可能だよ」と考えるだろう(そうでも考えないと原理的に友達できないんじゃないだろうか)。女は男に比べて異性に欲情することが少ないので「男女の友情もあるだろう」と漠然と考え、男性恐怖の気がある女は「男には近寄りたくもない」と考える。
対象を男に限っても、「自分の性欲をコントロールできない」とまで考えてる人も居れば、きちんと抑制できると思う人も居て、そもそも女に性的興味を持たないゲイも居る。じゃあ、男女間の友情というのも、マッチング次第で充分発生しうるんじゃないだろうか。
残された問題は、女から見て、その男は、男女(というか自分と相手)間の友情を成立させうるのかどうか、どれくらい危険か、それらをどうやって判断するかか。これは暇なときにでも考えよう。
これが今回の自分なりの結論。自分はまったくそう思っていないのに、性欲強い人が声高に「男女の友情なんて無理」なんて言うもんだから反発したのかなと自己分析。ということはつまり「男女の友情なんて不可能」派の人は、基本的になんと言われようとid:pal-9999のほうを信用してしまうんだろう。
男女はともかく、私とid:pal-9999とのあいだに友情は成立しうるんだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070118193602
いやなんかね。弁当じじいが
男が、どうしても、僕ちゃん=子供=正しい世界はどこどこ、というメタモードと、やりたい=やりたい=性欲というモードがあって、実際のところ男なんてそこがうまく切り替えられないというか、切り替えられる一群の男たちに、ああはなれねー、ああなるのはやだ、と思っている。
つってて。
ああ。ソレだ。って(アルファブロガーにもろに影響されるおれかっこわるい!)。
おれはメタモードで「やってやれよ」って思ってて、同じくメタモードで純愛指向の人と議論してたわけ。
あとさ。痴漢被害読んでて「あ、おれも」ってなって。
あとあと。palさんの
悪いですが、僕は、自分の裸をみて勃起する危険性のある男とは友達になれません。一緒に寝てたら、夜中のベッドに入り込んで、体中さわりまくるような男も論外です。危険すぎるからです。
ってのもあって。考えた。
ちょっと背景説明。
おれ結構痴漢に遭うのさ。最近はないけど10代後半は酷かった。半年に1回くらいの頻度で遭う。一番ショックを受けたのが、地域の図書館で受験勉強してたときのやつ。息抜きに新聞読んでたら、50代くらいのハゲのじいさんが話しかけてくるわけ。で、おれも爺ちゃん婆ちゃんっこだから、老人と話すのは好きで世間話がはじまって。ちょっとしたらピロティーの自販機でジュースおごってもらえることに。2人でジュース飲みながらまた世間話。なんかその時点でベンチ横並びで、よく考えるとおかしかったんだけどね。ほいでおっさんの発案で天気良いから外の公園散歩ついでに一服しよう(館内禁煙)ってなって。まあ断る理由も無い。ちょっと歩いて、木陰のあずまやで
「一服しよか」
「へえご馳走になります」
っつってタバコ喫ってもやっぱりなぜか横並び。そのうち手とか握ってきて。そのうち膝とか触ってきて。
とか。その時点ではまだおれは信じたかったんですよ。それがモーションだとは思いたくないわけですよ。ジュースとタバコおごってもらったし善い人そうに見えたし。いま考えると巧いな、と感心しますよ。でも終いにゃ内腿に手が伸びてきて。まあさすがに恐怖。ちょうど喫い終わったし、すぱ!と立ち上がってまた歩き出して、この時点ではまだ五分五分で信じてたけど、公衆便所が見えてきて
「ぼくトイレ行きたいな。きみもいっしょにどう?」
と言われた瞬間に「友達がもぐもぐ」とか言いつつ早足で戦線離脱振り返ったら走ったら食われる襲われる!
でもいまゲイの友達はいてる。
うん。で、だ。
おれは「やってやれよ」とか書いた死んだ方が良いアレな人なんだけど、その友人に
「 や ら な い か 」
て言われたらたしかに断る。
「何言うてんねん縁切るぞw」
っつって。切らないけど。切りたくないけど。切らせないけど。
でもこれってつまりおれが例の男女の友情を維持したい糞女で、ゲイの友人がお兄ちゃん扱いされた彼ってこと? こと?
おれの中の僕ちゃん=メタモードは「やってやれよ」が今でも正しいと思ってる。でもおれの性欲=ベタモードはそれを拒否して「やりたくないやつとはやれねーよ」って囁いてる。じゃあこれについて語る資格はないな、と。ていうかおれはおれのために語るべきでないし語りたくないな、と。そんなことよりその友人と飽きるまでは関係してたいな、と。
なぜか弁当じじいの構図とは逆方向ですが、アンビヴァレントは抱え込むべし、というのはいっしょ、ということでひとつ。
いま増田の存在意義が判った! だって自分のブログじゃこんな自分語りに陥る話題なんか恥ずかしくてあつかえねーもの!(いまさらかよ