はてなキーワード: リスペクトとは
数が多けりゃ十分じゃん。
だから元の増田エントリで「市場によって肯定されているものをさらに言論によっても肯定しようとする、その動機とはなんぞや」って先に書いてるのよ。
作品が売れていて、儲けが出ていてるんだから、市場の流れとして「エンタメ」の新作が作られなくなることはないし、制作費も必要十分に割かれる。新しい作り手もきちんと登場するでしょう。そこに言論の必要なんかないのに、なんでいちいち「エンタメ」を言論で肯定せにゃならんの。
ええっ!?意味がわからん。もしかして、「楽しければいい人用の作品」と「知的鑑賞したい人たち用の作品」とあること前提に話が進んでいるのか。それなら、よくわからないな。俺は、有る作品があって、それを見る立場の価値観の話だと思ってたんだけど。だからこれ以下は全部意味不明。俺は、「エンタメ用」「知的鑑賞用」って作品が分かれているとは考えて無いから、市場云々も全く同意できない。受け取る立場の問題だと思うんだがな…
あと、必要がないとかそういう問題なのかね。さっきも書いたけど、単に「鑑賞の方が消費よりエラいじゃん」という意見が出たら、そう思ってない人は「違うよ。それは違うよ」って言いたくなる、それだけの話なんじゃないの?動機って、それだけで十分でしょ。さっきもその辺は書いたのに、そこだけ無視されてるのは何故だかわからんけど。必要じゃない、ってのは、結局、君の立場で言ってるだけじゃないのかね。「俺的には必要ないしぃ」ってだけじゃないか?
これもくりかえし。知的鑑賞派は黙ってりゃ市場が縮小していくばかりなので、折を見て宣伝・広報をする必要があんの。
うーん、余計なお世話だが、とてもさっきから出てるのが「宣伝・広報」を目的とした言い分には思えないw知的鑑賞系の物の市場を拡大したいなら、そうでない人たちにケンカふっかける物言いじゃ逆効果じゃない?拡大したい、というなら、もっと戦略練った方が言いと思う。今の状態は、単に「お前ら分かってないんだ、バーカバーカ」レベルで終わっている(少なくともそういった印象でしか伝わっていないと思う)。
絶対この反論は出ると思ってた。「時と場合による」と思ってるから「大前提」と書いたんだけどね。書き方が悪かったね。申し訳ない。頭に「原則」と補足してもいいや。
「時と場合による」事が分かっているなら、何故そんな無意味な事書いたのか、わからない。
しかしまあ、「能動的な態度はエラい」っつーのは撤回しないけど。「頼んでもいないのに押しかけてくるのも能動的だからオッケーかい?」っていうケースは、原則として「能動的なのがオッケー」とされているから、押しかけてくるやつに自分が迷惑していることを伝えるのが大変なんでしょ、と。能動的な態度がリスペクトされない社会だったら、押しかけるも何も能動的に動いた瞬間にそいつキ○ガイ扱いじゃん。
押しかけてくる奴に自分が迷惑してることを伝えるのが大変なのは、そういう押しかけてくる奴というのは聞く耳を持たないタイプが多いだけで、能動的なのがオッケーと無条件に認識されているからではないぞ。伝えようとする事は別に大変じゃない。相手がそれを受け取ろうとしないだけで。能動的に動いた瞬間に??以下がいまいち意味がわからないが、別に「リスペクトか、キ○ガイか」のどちらかではないんだから、「単なる訪問」から「押しかけ」になった瞬間にその人はキ○ガイとなるだけであって、それまでは別にリスペクトもされなければキ○ガイ扱いもされない、全く何もない状態なだけじゃないか?何故能動的な態度がリスペクトされないなら、能動的に動いた瞬間にキ○ガイ、とそんな極端な結論になるんだよw
そう本当に思うんなら慎み深く黙っといたほうがいいんじゃないかな。本当はこんな風に思ってないくせに。「エラかろうがエラくなかろうがどうだっていい」と思っている俺ってクールだぜ、と高みに自分を置いた気になって正面から意見表明すんの避けて傷つくのを避けてんだよ。そのくせ自己顕示欲はあんの。自分の欲望は素直に認めて対処したほうがいいと思うけど。
勝手に「お前はこう思ってるに違いない」って邪推して、そこからブツクサ言われてもなあ…そんなこと思いもしなかったよ。そんな事を思いつくって事は、そういう意識が君にあるって事かな?なんて意地悪をつい言いたくなってしまうべw
どうも、最初から君は、「本当にそう思ってるなら黙っているはずだ」っていう意識があるみたいだけど(必要ないのにどうして肯定するんだとかも似てるけど)、それからして既に分からない。どうして本当にそう思ってるなら黙ったほうがいいの?黙ってたら、何も伝えられないじゃないか?考えを口に出せば「口に出したんだから違うんだ」。出さなければ、そもそも分からない。なんつうか都合のいい言い分なんだよなあ。最初からさ。自分は言うけど、相手が言ったら「言う必要ないのにわざわざ言うってことは……」「本当にそうなら言わなきゃいいのに言うってことは……」ってケチをつける。そりゃないでしょーよ。とりあえず、いちいちケンカ売るように絡んでくるのはやめて欲しいよ。そんなことしなくても、べつに語れるだろ?子供じゃないんだから。
そもそも、エンタメ至上主義って完全に肯定されてる訳じゃないと思うが。だからこそ、こういう議論が起こるんだと。エンタメ至上主義者の「数」は多いと思いのは確かだと思うが、でも世間には何となく「批評家の方が偉い」という空気も同時に存在している。だから「エンタメ至上主義だし、批評的な見方なんてべつにエラくねーよ」的な意見が出てくる。「楽しければいいよ」もしくは「批評できる人ってエラい」という意見は今の日本で何となく肯定されているけど、「楽しければいいし、それが批評的な見方より劣ってるとも思わない」という意見はまだマイナーめ。動機はそこである気がする。
数が多けりゃ十分じゃん。
だから元の増田エントリで「市場によって肯定されているものをさらに言論によっても肯定しようとする、その動機とはなんぞや」って先に書いてるのよ。
作品が売れていて、儲けが出ていてるんだから、市場の流れとして「エンタメ」の新作が作られなくなることはないし、制作費も必要十分に割かれる。新しい作り手もきちんと登場するでしょう。そこに言論の必要なんかないのに、なんでいちいち「エンタメ」を言論で肯定せにゃならんの。だから、
気持ちは分かるけども、でもそういう事を言いだすと、初めのエントリも何とでもいえてしまう。
これは「何とでもいえ」ません。市場で負けているサイドがそこに別の評価軸を持ち込もうとすることには必然性があるけれど、市場において評価されている作品をさらに評価する軸をことさらに設ける必要なんてないでしょ。
それと同じく、本当にそうだと思う人は、黙って自分だけ知的鑑賞をしていればいいんだよな。それなのに、わざわざ攻撃的な物言いで書き込むってのは、本当は自分の中で揺らいでいるから、それを他人に「そうなんだよ」って認めてもらって安心したいだけなんじゃないの?
これもくりかえし。知的鑑賞派は黙ってりゃ市場が縮小していくばかりなので、折を見て宣伝・広報をする必要があんの。一方、感情的消費は放置しておいてもどんどん広まっていくの(前提がいらない表現だからね)。自意識問題じゃなくて市場の問題なの。
だから「知的鑑賞の方がエラいに決まってるんだぜ!」と言ってる奴も、もしかしたら「消費側」なのかもしれないんだよなー。そうであっても、同じような意見、言えるんかな。それこそ、「自分が知的鑑賞サイドに属してるから、強い事が言える」という、勝ち馬に乗っかっちゃってるだけなんじゃないのか、と。たまたま自分が鑑賞サイドにいると「思える」事を強みに、言っちゃってるだけなんちゃうんか、と。まあ、そこはどうだっていいんだが。
自分が「鑑賞」サイドにいると思っている人間が間違っていたとして、それは指摘されたら直せばいいだけの話じゃん。そんだけのことよ。間違いだと思ったら謙虚に受け入れる姿勢があれば、間違えることなんか何も恐れることではない。間違ってたからといって人が死ぬわけじゃなし(かといって無責任に放言しては知的誠実さに欠けるけど)。
感情的消費は本当に完全に受動的なのか、ってのも疑問だし、
理解するための特別な努力もなく理解できるのが「感情的消費」だそうなので、それは「受動的」じゃないかしらね。
先のレスと重複。
大体、「頑張ってる奴の方が頑張ってない奴よりエラい」→それは場合と時による。大体の場合当てはまる、というだけに過ぎないし「能動的な態度はエラい」にいたっては初耳だ。
絶対この反論は出ると思ってた。「時と場合による」と思ってるから「大前提」と書いたんだけどね。書き方が悪かったね。申し訳ない。頭に「原則」と補足してもいいや。
しかしまあ、「能動的な態度はエラい」っつーのは撤回しないけど。「頼んでもいないのに押しかけてくるのも能動的だからオッケーかい?」っていうケースは、原則として「能動的なのがオッケー」とされているから、押しかけてくるやつに自分が迷惑していることを伝えるのが大変なんでしょ、と。能動的な態度がリスペクトされない社会だったら、押しかけるも何も能動的に動いた瞬間にそいつキ○ガイ扱いじゃん。
個人的には、エラかろうがエラくなかろうがどうだっていいし、そもそも自分の見方がどっちサイドかすらよくわかんね。皆すげえなと思うばかりさ。
そう本当に思うんなら慎み深く黙っといたほうがいいんじゃないかな。本当はこんな風に思ってないくせに。「エラかろうがエラくなかろうがどうだっていい」と思っている俺ってクールだぜ、と高みに自分を置いた気になって正面から意見表明すんの避けて傷つくのを避けてんだよ。そのくせ自己顕示欲はあんの。自分の欲望は素直に認めて対処したほうがいいと思うけど。
リスナーとして、リスペクトされるには?って話をしてるんだけど。あーでも、もう音楽詳しいってだけではいくら詳しくてもどんだけ
音楽の趣味差異化ゲームって、ちょっとずつかじった奴はもう「あーありがちな趣味ですね」で片付けられちゃうようになった。90年代前半はまだ、ロッキングオンやクロスビートに載ってるの聴いてるってだけで特権意識持てたんだけど。今リスペクトされるというか、デカい顔できるのは狭いジャンルでガチガチに詳しい奴。ガレージパンクの7インチ死ぬほど持ってるとか、エレクトニカのmp3だけで800ギガありますみたいな。
最近の彼の落日ぶりは見ていて痛々しい。
そう、たしかに、彼は釣り師としての嗅覚は天才的だったが、いかんせん、頭が悪すぎた。
彼の没落は、時間の問題だった。
彼が「釣り文化」を地ならししたことで「釣り師としての天才的な嗅覚」だけでなく「頭がいい」をも併せ持った新参はてなダイアラーが登場するのは目に見えていた。
上に対するリスペクトだけなのか。
いざとなったら上に責任を押しつけてとんずら出来る。これがメリット。
自分と部下がヤバイミスでコースを外れても、上司に逐次報告をあげておくと、最悪ハードランディングしても責任を上司に肩代わりさせることが出来る。
http://anond.hatelabo.jp/20070206215910
3週前のカンブリア宮殿で中村勘三郎が出てて、ちょっと参考になりそうなこと言ってた。
型のある人が型を破るのが型破り。型の無い人が破れば、それは型無しだ。
みたみた!ちらみした。
あれ、このおじさんだれっけ?とおもって口にでた言葉が村上春樹だった。
もう!村上君多すぎだよん。およよ
創作活動における「先人たちへのリスペクト」と「模倣」の違いを通りすがりのボクが答えるよ!
武士文化のころから型を重視する傾向があったよね。
なんとか道とかいうやつ。
で、流派だなんだとかいうけどまず門下にやらせることは師匠の徹底的な模倣だよね。
最初は完全な子供クラスなんで、なんとか先生の弟子みたいに扱われてるんだけど、
こうなったらもう先人の型を踏襲してるけど同時にそれは自分の型でもあるよね。
最初から我流のひともいるけどさ。
**の作品と**が先立つようになったらもうそれはパクリじゃないんじゃないかな。
流派というか流れを汲んでいるというだけで。
だって、パクリというのはその作品の最終形態を模倣することだとおもうんだ。
未消化のままそのまま自分の銘だけいれて形にする。これは模倣だよね。
未消化かどうかどうやって判断するの?
そんなの、それを見た人が判断するしかないんだ。
だから作り手は一生懸命自分のつくったものを伝えようとする。
それを判断するのはあくまで受けてであるオーディエンスなんだ。ね?ね?ね?
特設コーナーにずらりと並ぶ、なにやら高そうな(実際結構高い)チョコレート。そのコーナーの一角に手作り用品コーナーが。スーパーの近所の高校の制服を着た、きゃらきゃらしたおなご数人の横で何があるかチェックするも、見慣れない物を見てしまった所為か、途中でなんだか目がチカチカしてくる始末。情けない。それでも女子か。そしてなんだよこのかわいらしいちまっとした小瓶に収まったハート型とか星型の金粉って。美輪明宏の毛の色リスペクトなのか? 金粉なんて日本酒に入ってるのしか見た事無い、食べた事無い。混乱して何を買えばいいのか判らなくなり、何も買わずそそくさと特設コーナーから立ち去ったチキンな私を許せ。
近いうちに又このスーパーに寄るので、必要なものをメモして、ささっと買ってきてしまう事に決めた。あの一角は魔界だ。恐ろしい鬼が住んでいる。何故だ、普段良く見る板チョコは怖くないのに。
焼き菓子は量も多そうだし良さそうですね。非電動泡だて器でメレンゲを立てるというのは苦行だったのですか……恐ろしい……。
こないだのカンブリア宮殿に村上隆っていう芸術家が出てたけど、彼のやってることは、彼曰く「先人たちへのリスペクト」。そして彼が崇拝するのは宮崎駿。世界では大人気でも日本ではパクリストとして(一部から)認識されてる人を、世界では大人気でも日本では芸術をビジネスにしようとしてる野朗がリスペクトしてる、ていうのが日本の芸大生の一般的な認識のようです。だけどじゃあ、創作活動における「先人たちへのリスペクト」と「模倣」の違いって何なんだろ。連綿として続いてきた、音楽や絵画といった芸術の歴史の系譜をいやでも継がざるを得ない創作活動の中で、完全オリジナルな作品なんて作れるの?それって、先人がなし得なかった要素だけを奇跡的に抽出する一発勝負と同義ではないの?誰かえらい人教えてけれ。
はてブの人気エントリを見てて、LifeHackに関するエントリが最近多い。
LifeHackって言葉に引力があるんだろう。ちょっと前の、Web2.0みたいな。
「▲▲のLifeHack」とか「■■を行う10の方法」とか
「????を半分の時間で済ませるLifeHack」みたいなタイトルの
思わせるかもしれない。
だけど、それが、
「????を半分の時間で済ませるツルセコ風おばあちゃんの知恵袋」
になっちゃうと、
『俺そんなに貧しくないから、そんな貧乏な小技なんて真似しないんだ』
と思わせてしまって、がっかり感が漂うと思うんだ。
まぁ、俺はそんな賢いおばあちゃんをリスペクト。
読みたいものを読み、見せたいものだけを見せ、したいことだけをする。読む気にならないというだけの理由であれもそれも読まず、見られたくなければすなわち隠し、したくなければ絶対しない。
俺はあいつの文章を読みたいと思い、あいつはあいつのエロ絵で勃起し、あいつはあいつと仲良くしたい。無限に連鎖する接続と膨大に発生するミスマッチのるつぼに俺は小さな点としてここに存在する。どっかの誰かが俺が見せたくて見せている何かを求めてやってくる。俺はどっかの誰かがしたくてやっていることを本当にありがたく思う。
げに素晴らしきはインターネット。俺は神だがあいつも神だ。八百万のウェブサイトを擁する絶対不落の電子要塞。テレッホーの忌まわしい呪縛はすでに解かれ、たちまちのうちに高速通信がやってきた。もはやインターネットに死角などない。ここが天界でなくてなんであろうか。
ITmedia アンカーデスク:バイラルマーケティングには可視化とリスペクトが必要だ(上) (1/2)
そこへやってきた広告野郎。あの手この手であいつやあいつを籠絡し、あいつやあいつを腐らせて、俺に何かを要求するのだ。オーケー、お前はお前のやりたいようにするといい。相手に何かを求めても、それがかなうのは見たことない。自分勝手に過ごせないやつほどなぜか真っ先に脱落するんだ。他人すら満足させられない自己満足ほど見るに堪えないものはない。世界はそれを愛と呼ぶんだぜ。