はてなキーワード: やるかやらないかとは
やるかやらないか、できるかできないかを議論するのは別に運子の投げ合いではないのでは?ただ内容はともかく口汚い人が多いという批判はありそうだけど。10年前とほとんど同じ内容だから運子と呼ばれても仕方ないんだろうけど。
元増田でーす。
所々共感せずにはいられません。
>このままじゃヤバいって思う自分と、もうオレは何をやってもダメ。今更手遅れって思う自分が居た。
>時が経つにつれ焦りはでかくなるけど、それと同時に学校に行く事への恐怖もでかくなっていく。
わかるよこれ。
俺一人暮らしだから一ヶ月じゃなくても一週間だーれとも連絡取らずにMMOをやり続けてると、普段当たり前のように出来た事を度忘れしちゃうっていうか、
とにかく不安なんだよな。「ああ、もう俺今更何やってもだめだw」みたいな。
でもちょこっと勇気を出して外に出れば、周りは俺がネトゲにはまってたなんて全然知らなかったようで案外普通だったんだけど。
俺の場合は女性関係は全く興味無かったなぁ。
なんていうか、俺はMMOの中の人にも現実と全く同等の会話を求めてて、リアルな話もしたかったんだけど、
周囲はそれを拒んでて、基本的にゲーム以外の話題は失礼みたいな空気があったんだよね。
結局、俺が実際にキャラ消したのは辞めようと思った7月下旬からだから2週間近くかかった。
その間ずーーっと辞めないとマズイぞって思ってるのに、MMO上の人にそれが言えず、また自分自身踏ん切りが付かず、くだらないと思いつつも
社会人にもなって情けないっていう後ろめたさもあった。
元増田は絶対再開すると言ってるブコメとTBがあるけど、それは無いと思ってて、それになぜ再開する可能性が無いのかをわざわざ説明するのも無意味だし。やめて以降11時に寝て6時に起きて3食食べて、たばこも減ってプライベートも急激に変わりだして今まさにリア充バンザイといった状況でして。
ギルドの副マスタだったからやっぱり結構止められた。
リアルがいそがしいならそっち最優先にしてたまに顔出すくらいでいいじゃないかと。
でも俺みたいな体質はやるかやらないかのどちらかじゃないとまた強烈な孤独感と絶望感を味わうとなると徹底的に消さないとまずいとおもった。
あなたはMMO上で人を好きになって、実際にお付き合いしたみたいだけど、そのイベント自体は俺は何ら普通の事だと思ってるんだよね。
ただ素顔を把握するっていう重要な過程が後回しになって、そのときのギャップさえ乗り越えればコンパや知人の紹介で知り合った事とそんな変わりないし。
まあもしそれで結婚になったら共通の友人がいないだろうから「出会いのキッカケ」を嘘付く人が多いかもだけど。
とりあえず、じっくり読ませていただきました。
ありがとー。
元ネタ:http://diary.lylyco.com/2009/03/post_276.html
あってもいいけれど、なくたって全然構わない。そういうものは多い。
積極性というのも、そうしたもののひとつだと思う。もちろん、子供に積極性を持たせることができればいいこともあるかもしれない。けれども、せいぜいが「かもしれない」程度のものである。むしろ、役に立つのは積極性なんかよりも「生きたいという気持ち」ではないかと、個人的には思う。そして、「生きたいという気持ち」と「積極性」は必ずしも相関関係にあるわけではない。積極性なんかなくても「生きてみよう」と思うことはできる。にもかかわらず、いたずらに「積極性を持つことは大切だ」などとやるから「積極性がないから死にたい」だとか、おかしなことになる。むしろ逆効果ではないか。
教育で「積極性」を植え付けようとすることは、それらを「持つべきもの」と規定することになる。つまり、「それでも積極性を持てなかった人」は、ますます委縮することになるだろう。教育が100%うまくいった例は、たぶん、ない。つまり、必ず落ちこぼれる子供は出る。必ず、だ。ぼくはそれを恐れる。やる気があったり、積極性があったり、自分には生きる価値があると思い込んだりできる人は、確かに幸福かもしれない。けれども、そんなものは心のオプションにすぎない。やる気がなくても、積極性がなくても、人は楽しく生きていける。
やる気を持てないから生きている価値がない。積極性がないから生きない。どちらも馬鹿げている。人は誰しもただ生きているにすぎないのだし、積極性があるから何かをしているわけでもない。ぼくは自分の生に価値があるなんてこれっぽっちも信じていないけれど、案外楽しく生きている。何をするにも積極性なんてないけれど、気が向いたことはとりあえずやってみるし、たとえ積極性があっても気が向かないことは極力やらない。やるかやらないかを決めるのは、少なくとも「積極性の有無」なんかではない。失敗して恥ずかしい思いはしても、それで傷付くような積極心もない。
繰り返す。積極性みたいな内面的なオプションをまるで「価値あるもの」のように喧伝することは、それを持ち得ない人間にさらなるダメージを与える可能性がある。大切なのは積極性のある人も積極性のない人も、変に委縮せず生きられる内面を育むことではないか。その意味で、「積極性教育」みたいな言葉が子供の目に触れること自体、害悪だとぼくは思う。生きたいという気持ちを育む要素として「積極性」は必須でも重要でもない。積極性を持って生きるのもいいけれど、ダメ元で生きるのもいいし、そもそも結果なんて考えずになんとなく生きるのでもいい。生きたいという気持ち自体必須じゃない。
まあ、こんなのは積極性を欠如したぼくの大いなる自己欺瞞かもしれないけれど。
あるあるある。いっぱいあるよ。
むしろそういう雰囲気でやっちゃうのって、たいがいダメ女だから付き合わない方がいいんじゃないかな。最悪、地雷女とか。
強引に迫ればやっちゃう女ってのは「男にやるかやらないかまで迫られるくらいの隙を見せやすい女」というのもあるし、
「(今、自分と付き合ってても)別の男と同じ雰囲気になったら同じような流れになる」可能性もあるし。
それにさ、今までそうやって押し倒してきた女が何人もいるって事は、そういう女とはほぼ別れる事になっている、という事だよね?
それって「ハズレ女ばっかり引いてきた」のと同じじゃないの?
女を押し倒す=ハズレを引きやすいって考えに至らないのがちょっと不思議なんだけど。
とりあえず、奥さんとの馴れ初めがそういう流れならご愁傷様です。
起業するのも、本を書くにも、発明品を世に送るにも、何かに投資するにも、仲間と何かを立ち上げるにも、
必ず「普通の人から見たらとても恥ずかしいこと」が内部にひそんでる。
こんな本持ち込んでいいんだろうかとか、自分なんかじゃ無理だとか、いい年して恥ずかしいとか、友人達にスポコンのごとく熱く呼びかけるなんて
ダサくね?とか考えてしまうと、とても大人には無理。
俺なら余裕だわ。とか、俺こんなすごいこと思いついちゃった!と思ってる奴は後で現実にコテンパンにされようとも、躊躇なく踏み出す。
うちの会社はなんつーの、会社が金を出して社員が別の会社を自由に立ち上げられるんだけれど、立候補する奴はせいぜい入社3年目まで。
ベテランの連中は自分の無力さや技術のなさを知ってしまうから、手を上げなくなる。
結局そいつらより知識も経験もないような若い連中が社長になって、成功してんの。
世の中やるかやらないかの事が多いのに、大人はただびびって手を出さない。
なぜやるかやらないかがそんな重大な問題として語られるのか。
某藤子Fさんの短編じゃないけどメシ食うのと何が違うの?
「腹へったなー、メシくいにいかね?」
「ムラムラしてきたなー、一発やらね?」
うまかったねー、満足満足。
きもちよかったねー、満足満足。
たいして違わないじゃん。
違うよ。全然違うよ。食事は「うまかったねー、満足」ですむけど、セックスは「気持ちよかったねー、満足」だけじゃすまないでしょ。妊娠したらどーすんのさ。
妊娠したらその後十数年は子供の面倒をみなくちゃいけないから、軽い気持ちじゃなかなかできないよ。でも社会を存続させるためには子供を育てないといけないし。
社会としてはセックスは必要不可欠だけど、個人がセックスを望む(望まれる)機会は限られている。だからセックスをすることが社会的なステータスとなりうるんじゃないかな。
なぜやるかやらないかがそんな重大な問題として語られるのか。
某藤子Fさんの短編じゃないけどメシ食うのと何が違うの?
「腹へったなー、メシくいにいかね?」
「ムラムラしてきたなー、一発やらね?」
うまかったねー、満足満足。
きもちよかったねー、満足満足。
たいして違わないじゃん。
猿とか厨房とかモラルがないとかばっさり切り捨てられて終わるけど、
それは「人を殺しちゃだめなのはなぜ?と考えること自体がよくない」
とか言ってる思考停止した道徳信者とあんまりかわんなくないか。
ただ相対主義を導入しちゃうと話が発散しちゃうから、質問し直すと
なる、のかな。
なんだか、本当はみんなのすぐ目の前に簡単に存在しうるようなものを、
みんなしてむりやり遠ざけて希少価値を高めてるように見えて仕方ない。
とくべつなことだから本当に好きな人としかやらないよ→
なかなかできないからよけい希少価値が高くなる→以下ループ。
ていどひくい釣りだと思ったらすみません。でもなんか腑に落ちないんです。
なんか服装関連の話が出てるみたいなんで空気とかまったく読まずに便乗してみる
お洒落と人から言われるようになるのは結構簡単です。
何故かというと、言う側のことを考えればわかるけど、それなりの格好をしてたり、同じ系統の服を何着も持ってたり、まぁなんか思うようなことがあったり、といったような感じで適当です。
要するに雑談なんですよ。
ただ、いわゆるオタクみたいに
「おおおお!W-ZERO3持ってんのか!すげーー!カコイイ!!」
とか
「お前PS3持ってんのか!すげーな!」
みたいな感じではない、って事です。
「オメガの時計持ってんのか!!!すげーーー!!!お洒落!!!」
とか聞いたことないでしょ。
お洒落だって言われるために必要なのは
1.髪型
2.服装
の3点です。顔はとりあえず普通に毎日顔ちゃんと洗ってさえいれば問題ない。あと体型にはここでは触れない。太ってるよりやせてるほうがいいのは当たり前だから。
この3点の平均点で、ある程度の(話す人の)値を超えると「お洒落だね」と言ってもらえます。
大事なのは3点の平均点だって事です。
中学や高校の試験で全科目の平均点が80点以上だったら「頭いいね」って言ってもらえるけど国語だけ100点であと全部赤点だったら「頭いいね」とは言ってもらえないでしょ。それと同じ。
だからこの3つの点を上げればいいだけ。こんなのやるかやらないか、ってだけの違いしかないからお金さえある程度かける勇気があれば何も難しくない。
一番簡単なのが靴。大多数の人が買ってるものを買えば問題ないから。
で、あとは小物。小物は色付きの靴を買ったら基本的に色を合わせる。
茶色の靴を買ったのなら同じ色のベルトにするとかそういうこと。
2番目が服。
まず本屋に行って自分の好みに合う服が載ってるファッション雑誌を選ぶ。
知らないかもしれないが、ファッション雑誌ってのは雑誌ごとに服装の系統が異なる。「DBマガジン」と「JAVA WORLD」は全然違うでしょ、「ファミ通」と「ファミ通PS」も本ごとに特色があるでしょ。それと一緒。
だから片っ端から立ち読みして自分に合うもの、かつ、自分でも出来るものを探す。
「Smart」とか「メンズノンノ」とかがいいかもしれない。無難だし。
そしたらその雑誌を毎月買う。買って隅から隅まで読む。
立ち読みでもいいじゃん、って言うかもしれないが買うことをお勧めする。要は見ようと思ったらいつでも見れるところにある、ってのがポイント。
で、読んでみて「この服装カッコいいな」と思ったらそれをできるだけ忠実に再現できるように買う。
忠実に、ってのはモデルさんがしている上から下までの格好ってこと。カッコいいと思ったのがあくまでシャツだけでも、全身が似せられるように買う。
別に一そろい買えと言ってるわけじゃなく、そのモデルがしている格好を似たものでもいいから再現できるようにすること。
何でかって言うと服には組み合わせってものがあるから。どの組み合わせがよくて、どれが悪いのかわからなかったらとにかく真似るのが一番早いし確実。
仕事だってスポーツだって最初は出来る人の真似するでしょ。それと一緒。
あ、ちなみに服と靴にも組み合わせがあるから注意ね。よくわかんなかったらそれも真似しておいた方がいい。
あとは何色もそろえるとか。オールスターあたりなら別にそんなに高くないし。
で、最後が髪型。
これもホントは全然難しくないんだけど、店に入る1歩が踏めない人が多いみたいね。
大事なのは「ありのままの姿で行く」こと。
今まで1回も美容院なんて行った事ないのに行った事がある風を装ったりしないこと。
正直に「美容院に来るのが初めてだからわからない」って言えばいい。
で、素直に「カッコよく見えるような髪形にしてください」って言おう。
ここでも見栄を張らない。
そうすると店員さんが雑誌持ってきてくれるから、大体長さだけ決めたらあとは店員さんに選んでもらえばいい。素直に「どんな髪型が自分に似合うかわからないんで選んでください」って言えばいい。
髪型ってのは髪の毛の質とか頭の形とかによって似合う髪型、似合わない髪形ってのがある。だからたくさんの人の髪を切ってきてるプロに任せるのが一番いい。
美容院での会話が怖いって人は適当にああ、とか、ええ、とか、うん、とか言ってればそのうち何も言われなくなる。そういうのが気まずいと思うなら自分から話しかければいい。「美容院に来るのは初めてなんですけど、店員さんはみんなお洒落ですね」とかなんとか適当に言えばいい。
あとは髪型をセットしてもらったら素直にどうやってセットするのか聞くこと。どんなジェルとかワックスを使ったのかも聞く。そうしないと絶対に再現できないから。
髪型を変えることについては美容院の店員側に立ってみればかっこよくするのは簡単だってわかる。
めちゃくちゃお洒落で髪型も気合入ってる人に「かっこいい髪型にしてください」って言われたら難しいでしょ。
でもダサい髪型の人に「かっこいい髪型にしてください」って言われたら簡単でしょ。
多分髪型は街中でよくみかけるような髪形になると思う。だってそれが流行ってるから。今の大衆の観点で言えばそれがカッコいいってことになる。それに文句をつけない。最初はとにかく型を守ること。
これだけ出来ればどんなに少なく見積もってもお洒落度平均点60点は行く。
だからお洒落だねって言う基準点が50点ぐらいの人はもう言ってくれるよ。言ってもらえたらちゃんとお礼を言うこと。そして素直に「どこか変じゃないかって気になってる」とか言うこと。決して「当たり前だろ」って顔をしたり流したりしないこと。そんなことしたら2度と言ってもらえなくなるから。
と言うことで頑張ってくれ
http://anond.hatelabo.jp/20070228201851
すげーダメージうけた。昔代ゼミの講師紹介パンフレットで「やる気のあるなしなど聞いていない、やるかやらないか、結果を出すか出さないかだ」と書いてる先生が居てちょっと感動したことを思い出した。
中途半端さを極めることはできなくて、何かこう、社会の中で相対的に心地よく生活できるためには行動をしなきゃいけないんだよな。閾値を超えなければ何も自分に返ってこない。
うん、わかった。自分がわかってることがわかった。…バカにされる側に踏み出してみる。できることから。まずは今日は早く寝て明日早起きして、停滞気味の自分専用Wikiシステム構築をがりがり進めます。こんなことをこんなところに書いてる自分をバカにしてくれる人が居れば勇気づくんだけどな。こがいだん(感じわからない)さんは尊敬するし、信じてみよう。