ラッセンがいかに今のアート業界からは軽視される存在だったとしても、人間はべつにアート業界やらそういう専門的な権威と同じ方向向いてないといけないわけじゃないの。
そんなことよりも、個人の感性としてシンプルな好き嫌いというものが根底としてあるべきで、抽象的・社会的概念に左右されたり、ぶら下がったり、ましてや権威に同調することで自分がすごい側になったかのように驕ったりしてはいけないの。
そして教養というのは権威側のセンスを受け入れることではなく、むしろ権威を疑う姿勢のほうが教養の原点に近いだよ。
さらに、教養は自分の人生を豊かにするため、物事を深く広く掘っていくための道具にすぎず、帯同する他人にそれを押し付けて自分と同じ価値観にするための道具ではない。