「俺が愛しているのだからこの人も俺を愛してくれているはずだし、なんとなく俺は愛されている気がするのでそれはきっと真実のはずだ」
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これが自分の思い込みでしかない可能性に気付けてない内は自分中心の世界にしか住んでだことがない。
一次元蟻は自分が一次元の世界しか知らないことを知らないから「ここ以外の空間が存在する」ということをそもそも知覚してないわけ。
「自分の主観は全て思い込みなのでは?俺の考える愛は本当に愛か?俺は本当に愛されているのか?思い込みでは?」
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こう考えられるようになって初めて、「俺にとって今までの世界は自分の主観しか無かったんだ!俺は本当の意味で客観的視点に立ったことがない!」と理解できるようになるわけなんだよね。
一次元の線の上で「俺はずいぶんと端まで来たな。きっと俺はこの世界の全てを知ってしまったんだ」みたいな勘違いをしているうちは、まだ世界の表層のうちほんの僅かな部分しか知らないんだな。
世界の広さを本当に知らないから、世界というものを簡単に見いだせた気になっているんだ。
二次元蟻達はそうじゃない。
二次元の世界があるな三次元の世界もあるかも知れないし、三次元の上には四次元があるという可能性を知っている。
だから謙虚に「こう考えている俺もまだまだ自分の主観の中にいて、客観的な視点に辿り着いたと思い込みながら俺というカメラがちょっと立ち位置を変えているだけでは?カメラのレンズそのものを変えなければ結局それは自分の見知った世界しか映らないのでは?だが俺にそれができるのか?」と考えられる。