2024-05-09

「人を愛したことがあれば自分中心の世界から抜け出せる」←自分中心の世界から抜けたことがないんだろうな・・・

「俺が愛しているのだからこの人も俺を愛してくれているはずだし、なんとなく俺は愛されている気がするのでそれはきっと真実のはずだ」

これが自分思い込みしかない可能性に気付けてない内は自分中心の世界しか住んでだことがない。

一次元蟻と二次元蟻の話を思い出して欲しい。

一次元蟻は自分一次元世界しか知らないことを知らないから「ここ以外の空間存在する」ということをそもそも知覚してないわけ。

自分主観は全て思い込みなのでは?俺の考える愛は本当に愛か?俺は本当に愛されているのか?思い込みでは?」

こう考えられるようになって初めて、「俺にとって今までの世界自分主観しか無かったんだ!俺は本当の意味客観的視点に立ったことがない!」と理解できるようになるわけなんだよね。

一次元の線の上で「俺はずいぶんと端まで来たな。きっと俺はこの世界の全てを知ってしまったんだ」みたいな勘違いをしているうちは、まだ世界の表層のうちほんの僅かな部分しか知らないんだな。

世界の広さを本当に知らないから、世界というもの簡単に見いだせた気になっているんだ。

二次元蟻達はそうじゃない。

二次元世界があるな三次元世界もあるかも知れないし、三次元の上には四次元があるという可能性を知っている。

から謙虚に「こう考えている俺もまだまだ自分主観の中にいて、客観的視点に辿り着いたと思い込みながら俺というカメラちょっと立ち位置を変えているだけでは?カメラレンズのものを変えなければ結局それは自分の見知った世界しか映らないのでは?だが俺にそれができるのか?」と考えられる。

「俺は自分中心の世界になんて生きていないぞ!」と叫んで回るやつほど、自分中心の世界にいることにさえ気づかないのだよ

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