性善説の意味が本来の思想から変わりすぎでしょ。
「人はちゃんと教えればちゃんとした人間に育つばずだよ」って概念のはずなのに「自分が直接教育した訳でもない馬の骨が真人間であることを前提にする」って言葉になってるやん。
義務教育があると言っても日教組やカルト直営学校から歪んだ教育受けてたら善性とか育たんやろけど、そんなん今の性善説は無関係に使われとるやろ?
性善説という言葉が元々の意味から変わりすぎだろ。
なにしれっと性善説という概念を塗り替えて知らん顔してるんだよ。
熟語の居直り強盗だろ。
確信犯とかもいい加減「カルト革命戦士が神の国に行けると信じてるけどテメーに正義なんてねーよばーかばーかただの犯罪者じゃねーか」って意味にちゃんと戻せよ。
熟語強盗共はちゃんと自分らで造語しろな。
「お花畑運用」とか「逆ギレ犯」とかの言葉を作ってそっち流行らせる努力しろ。
Permalink | 記事への反応(1) | 12:54
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本来の性善説がそれだ、というのがよくわからん。 性善説の代表格、孟子は、人が善性に沿って行動するのは水が上から下に流れるようなものだ、と言っているのだから、元増田の言う...