2023-05-20

昭和に道に迷ったら終わり

スマートフォンが変えた、我々の生活情報は手元にあり、地図デバイスに詰まっている。しかし、かつての時代を思い浮かべてみてほしい。スマホが無かった時代だ。そんな時代に道に迷った人々はどうなってしまったのか。

昭和時代を思い出そう。道に迷ってもスマホはない。地図は重くて厚い。日常的には携帯不可能だ。人々は直感と目印に頼り、道を探した。迷い込むこともしばしばだった。

迷子になった人々は周囲を頼りにした。景色、人々の声、それが彼らの手がかりだった。だが、現代のような情報手段は無い。友人や家族とも連絡は限られる。迷子の解消には時間がかかった。

道路標識問題もあった。昭和の案内システムは未発達だ。正確な案内は得られにくい。迷い込むと戻るのは難しい。結果として彷徨い続ける人々が生まれた。

彼らが二度と姿を現さな理由。それは状況の深刻さだ。助けを求める手段は限られていた。人がいない、見知らぬ土地で迷う。その時、救援を待つしかない。時間が経つと救援も減り、彼らは迷宮で取り残された。

スマホが無かった時代迷子。彼らは二度と現れず、彷徨い続ける可能性がある。先の見えない旅に出て、知らない土地で消えた。我々が享受する便利さを思えば、彼らの苦境が浮かぶ

彼らは忘れてはならない、今でも彷徨い続ける人々なのだ

  • 人のいない場所でさ迷ったら遭難だが、人のいる場所でさ迷うなら、そこには人がいて、情報があり、道があり、交通手段があるので、さ迷い続けることはない。

  • それに比べると今の時代は幸せだよな

  • 裏を返せば、昭和に道に迷ってもスマートフォンが普及するまで彷徨ってれば良いってことよね

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