最近はただの「検索」と混同する人が多く、「近所でおいしいお店をエゴサした」などの用法は間違いである。
が、微妙なのは「友達の名前をエゴサした」「好きなドラマをエゴサした」などの場合である。
インターネット老人たちは目くじらを立てて誤用だとまくし立てるが、このエゴサの使い方は普通に見られるし、それほど違和感もない。
要するに、何かに対してのみんなの反応が見たい、という動機であれば、広く「エゴサ」と使ってしまっていいのではないかという提言がしたい。
SNSなりヤフコメなり個人のお気持ちが簡単に表明できるようになって、これを探す行為にも大きな意味が出てきた。
この行為には名前がないので(もちろん本来の意味からは遠のくが)エゴサと言ってしまって良い気がする。本来のエゴサは「自分をエゴサした」といえばいい話だ。
知らないものを調べる=検索、知っているもののみんなの反応を調べる=エゴサ、を周知して、不毛な誤用の指摘のやりとりはお互いに減らしたほうがよいだろう。
エゴサ警察のツッコミ含めての様式だろ