後ろ向きな感情を音楽なり文学なり絵画なりの自己表現によって昇華させたい。それが自分の存在の、人生の意義を証明するものになるから。と確信しているような人には琴線に触れる表現だと思う。
一方で、別の解釈をする人もいるのではないか。「軋んだ想いを吐き出す」を「鬱屈とした感情を言葉にする」と捉え、そのような振る舞いによって「敵」を作る事が自身の存在の意味の証明になる。「私」単体ではあまりに曖昧な存在である所を、「敵」との差異によって、「劣った敵とは異なる優れた私」という明確な価値が生まれる。そうする事でしか自身の存在を確かめることができない。という意味で捉えるのではないか。
という意味です。分かりました?