なんたらな努力は努力とは言わないとかいう勢力のせいで苦労してきたものを無駄な労力に書き換えられる訳だけども
その変換させられたことへのショックさにより「努力」という当たり前に尊いもの、得難いものを認めたくなくなる訳ですね
その結果が上手いこと狙ったところに落ちないことがままあるだけです。
そんな当たり前の繰り返しで、
そしてようやく狙ったところに落ちて嬉しいな!というだけの話なのだけど
その失敗を糧にして成功へ辿り着くという道筋にいろんなカッコイイ名前を付けてしまったから、努力君がそっちに行ってしまうのが嫌なのです。
だから当たり前だとか、ルーティンだとか、普通のことだとか嘯くのです。
たまたま狙ったところに入っただけですよ、とか勘違いさせるのです。
彼等はちゃんと狙ったところに落ちるように日々改良していってます。
その際に出た汗をクールに拭くことができるだけです。
あまりにも自然に汗を拭うから汗をかいてないように見えるだけです。
彼等も我々も人間で、弛まぬ研鑽を行なって日々を過ごしています。
私のこの長文も努力の賜物です。
そしてこれが的外れだとしても私は明日も数分後も未来に気が向いた時にも駄文を書き連ねるのでしょう。
あの日、反省文を四百字詰めの紙に書くのがしんどかった時と比べれば雲泥の差でしょう。
今ではコツも知っていますから一枚でも二枚でも反省文を書くことが可能です。