感染対策を理由に五輪を中止しろという意見はとてもよくわかる。
しかしだからといって、感染状況を「戦争」に擬えて、戦時中のような緊急事態だから中止せよというのはよくないと思う。
これが感染症の拡大ではなく本当に戦争だとしたら、むしろ戦争側を中止して五輪を優先すべきである。五輪とは「そういう」ものなのだ。戦争中であっても戦争を中止してまで開く「平和の祭典」なのだ。
まるで戦争によって簡単になくなってしまうのが当然望ましいことのように五輪を表現するのは、五輪の精神の否定ではないか。
感染症というのは戦争のような「人為的」なものではなく、感染症側を中止することは不可能なのである。故に五輪を「感染対策」として中止すべきと導き出すべきだと思う。
もちろん平和の祭典という単語それ自体に嫌悪的な層とかもいるのだろうし、平和精神の否定を知らずにやってるのではない確信犯的な人も想像しないといけないのかもしれない。
しかし、だからこそせめて、平和と人権を重んじる人だけでも、戦争否定の精神を損なうような言い方をしないで欲しいと感じる。
感染症は感染症として問題とすれば良い。戦争に擬えるようばことをしなくても、十分感染症というだけで五輪を中止すべきという意見のためには十分ではないのだろうか。
外出しません勝つまでは! 朝日新聞も国のことを思って諫言してくれている! 夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める 心強い!
じゃあ中に出せよ