2021-06-30

文章で何かを表現しようととすると文法とかの規範意識に強く縛られる気がする。

ありあわせの言葉で済ませてしまう気がする。そうやって自分の言いたいことが四捨五入するように丸めまれしまう。

それは俺だけじゃないと思う。文章家でもなければほとんどの人の文章を通じたやり取りは、通じ合った気になってるだけかもしれない。

当初期待していた答えと異なる評価軸で受け答えしてくるいわゆるこんにゃく問答でも

その期待していた記憶さえも話の流れに上書きされてしまって、やり取りが正しく成立してるように錯覚してしまっている恐れがある。

おかしな答えだけどいいか妥協してるかもしれないし、その妥協すらも無自覚ものかもしれない。

本当に「コミュニケーション」がしたいなら文章ではなく音声でやりとりするべき。

話し言葉は無軌道なところもあるけどそういう規範とのちょっとぐらいずれてる方がもっと人に伝わる表現が成立するのかもしれない。

また、文章でのやり取りは創造的な文章が生まれるのを阻害すると思う。

この今書いてる自分文章リズムだってだいぶ陳腐に感じる。文章でやってる限りこの殻は破り難い。

心と心の会話がしたいなら、文章を書くことにスランプを感じてるなら、外に出ようよ。自分もそうする。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん