ルッキズム批判って「劣っている(とされている)容姿の人をバカにするのは止めましょう」、「公平平等な判断が求められる場で容姿を評価基準にするのは止めましょう」くらいまでならきっとおそらくは世間の多くの人から肯定されるだろうに、「優れている(とされている)容姿の人を良いと扱うのを止めましょう」まで行っちゃうから広く世の中に広まらないんだろうな。
大半の人は自分が観る側に回るなら見た目の良いモノを観たい。
良いモノを良いと認める素直さこそが心の美しさであり、その反対に良いモノを良いと認められないのは心の醜さ故とされている。
よほど劣等感が性根に染み付いた人でなければ、自分は普通クラスだと扱ってもらえれば(劣っていると扱われなければ)、それ以上の優れていると扱われている人がいても、別に傷付きはしない。
そういう一般的な感性や価値観から大きく逸脱してルッキズム批判に走ってしまうような人達は、拗らせ系ちゃんか、優れた人の足を引っ張りたいクズだって思われる。
だから先鋭化したルッキズム批判は世間から冷たい眼で見られがちなんだよ。
まあこれはルッキズム以外の平等を掲げた社会運動の多くで見られる傾向だけど。
基本、世の中は先天的な性質に関して「劣っている(とされている)モノをバカにすること」は良くないという認識はあるけど、「優れている(とされている)モノの価値を破壊すること」は望んでいないんだよね。
当たり前の話だけどさ。