どこかで読んだけど、「誤字・脱字がなく、単語や語法が正しく、正しい文法を使えている」以上の部分は、上手い下手という客観的判断はできない。
すなわち、説明書ならわかりやすさが求められるし、契約書なら誤解のなさが求められるし、論文なら厳密性、論説であれば説得力というように、必要なパラメータが違う。
ましてや小説というものは、児童書と純文学で同じ評価基準が適用できるわけがなくて、児童書に用いられる語彙が純文学のそれより少ないからといって、その著者に優劣があるとはならない。
ネット小説の文章はよく下手だと槍玉に挙げられるが、あれだって「隙間時間にストレスなく読む」という需要に対し最適な語彙・長さ・表現だったりする。
そうであればそれは「文章がうまい」ということだし「文章力がある」ということになると思う。
ツイッターの文章もツイッターとしての制限(文字数)と目的(コミュニケーション)に照らして最適なパラメータ調整ができていれば良い文章だし、村上春樹の小説は村上春樹の小説を読む層に向けて最も訴えかけられるパラメータ調整をしているんだろう。
ツイッターのパラメータは村上春樹パラメータとは余りに掛け離れてて、その調整に干渉してしまうから、読まないって言ってるんじゃないかな。