自分が誰かから見て関わり合いになりたくない人だとしか思えない。
よくあるコミュニケーション術とかで言われるような「誰かに何かをしてあげたらその分返ってくる」とか「誘われたりすれば基本は嬉しい」とかいう言葉があっても、
「すごく辛い」とか「誰かとお話したい」とか話しかけられることを待っている雰囲気を出していても、
ツイッターとかで「リプライしてもらえたら印象を話します!」とかの絡まれ待ちをしていても、
周りが雑談していて場が沈黙していたり同意を求めていそうに見えても、
「でも話してほしいのはお前ではない」という言葉を絶対に内包しているとしか思えない。
誰だって「絶対に話しかけられたくない」とか「かかわり合いになりたくない」という人がいて、それが自分でないということなんてあり得ないとしか考えられない。
誰かが自分に話しかけたときだけ、「何か理由がある」という前提をもって話に応じることができるけど、それ以外はどうしても無理。
考えすぎだとしても間違っていると理解していても、自分なんていう存在を、相手の生存している世界に自ら挟ませることが、仕事とかの必要に応じた行動以外で、どうしても絶対に許せない。
相手に迷惑をかけるしかできない存在というのは絶対に誰もが思っていて、それが自分でないということがあり得ると思えない。
そんなことをしていてどうにもならないとわかっていても、他者にとって自分の存在そのものが迷惑でないという考えがあり得ないとしか思えない。