「それが叶わないとしても子供が欲しいだろうか」
「血の繋がりの無い子供を愛せるだろうか」
父親も当事者なんだから、こういう悩みは持って当然だし、母親が「それでも子供が欲しい」となった時にNoを言う権利は平等にある。
母親の場合、そこに「辛い不妊治療を続けてまで実子に拘るべきか」ってのが加わるわけで、
母親がどんなに不妊治療で身体を傷つけようが、父親にとっちゃ他人事なんだから。
ブコメ群はその重大な違いが分かってない(し、認識すらしてなさそう)って指摘だろ。
そこには「辛い不妊治療からもう解放されたい」って思いもあっただろうに、そこは無視したわけだ。
で、結局奥さんは子宮摘出となってしまったわけだ。もっと早く実子を諦めて不妊治療を止めていれば、そうならなかったかもしれないのに。
子宮なんて子供産まないなら要らない臓器だと思ってるかもしれないけど、摘出すればその後遺症はあるんだからな。一生健康を損ねるんだからな。
で、それについて父親は当事者じゃないだろ。不妊治療の苦痛も、自分の健康も、自分には一切関係ないんだから。そりゃ気楽だよ。
話題になってる特別養子縁組の件についてるブコメを見てて、やっぱ女性からの視点とはだいぶ違うなと思った。視点の問題というか、ダブスタを感じている。 旧来的な父親像に対して...
「できることなら自分たちと血の繋がった子供が欲しい」 「それが叶わないとしても子供が欲しいだろうか」 「血の繋がりの無い子供を愛せるだろうか」 父親も当事者なんだから、...