小学生の時いつまでも自分のことを下の名前で呼んでいる子を見ると少し恥ずかしいと思っていた。
人前に出るのに緊張するとか、人前でころんだとか、そういう恥ずかしさではないんだが、他に適切に言い表す語彙がないのでここでは恥ずかしいと記す。共感性羞恥ってやつかもしれない。
自分も嘗ては親に呼ばれるまま自分の名前で自分を呼んでいたが、あるときそれについて他者からやんわりと指摘されやめたのだ。
まだ下の名前で自分を呼んでいる人を幼稚だとバカにしているのではなく、いつかこの子もそんな指摘を受ける日が来るのかなと思うと、当人がその指摘を受けてどう思うのかは置いといて、恥ずかしいと感じた。
少し経つと、中2病みたいな変人アピールをする人を見ると恥ずかしく感じるようになった。
程度はあれど中2の頃は自分もやっていただろうしそれがかっこいいと思っていたはずだと思うが、いつの間にか自然とそういうイキりをしたい気持ちがなくなった。どこかで思うことがあったのかもしれないが明確なタイミングは思い当たらない。
もういい年の大人で過剰な変人アピールをしている人の周りでは、子供時代とは違いそれが過ぎたアピールであることを指摘する人は現れず、これはきっともう治らないだろうという空気が流れている。自分はこれがなんとも苦手で恥ずかしい。
もし自分の子供がこういうおとなになったらまずいな…という気持ちがあるので、息子がこうなったら時期を見て注意するかもしれないが、確かに他人を注意する気はあまり起きない。もはやここまで来たら変人アピールをすることが当人にとってモチベーションを保つ秘訣だったりするのかもしれないと考える。
きっとこの先生きていくと、こういう達観した目線で物を語る人を恥ずかしく感じる日も来るだろう。
人生は恥の積み重ねだ。
もういい年の大人で過剰な変人アピールをしている人 例えば?
クッ…処理しても処理しても新しい黒歴史が次々と産まれてしまう…もう嫌だ…辛い…だが手を休めたらすぐ身体が黒歴史で覆い尽くされれてしまう…絶対に手を休める訳にはいかない...