2019-10-10

大前提として 人は人をボコることに本能的楽しみを見出せる生き物なんだけど 社会的規範とか道徳がある以上人はそれに悖る行動はしちゃいけないわけだ

だったら我が身の振るう暴力が、規範由来だったらいい

振るうに足る大義名分を得られればいい

から自分は愚直にルールを守る

正しく生きることで間違った人間に対して 正論でぶん殴れる権利が生まれ

ぶん殴りたいから正しく生きるなんて きっと道徳そもそも目的に反しているが 世の誰がこんなちっぽけな自分内面にまで目を向けると言うのだ

誰も知ったことではないだろう 自分はこの考えを修正することはない

弱きものに手を差し伸べる 柔らかいものを愛おしむ 正しいもの信仰して綺麗なものを慈しむ 誰からケチをつけられないように 正しく

道徳的に生きることは 戒律を守り続けることは 決して辛いことではない

だって正しくさえあれば 間違った人を殴ることができるから

ここまで書いて少年漫画の敵キャラみたいだなって思った。ていうかもう既にいる?暴力本位主義正論ゴリラ

  • 警察官になれば正当にボコれるで ヤクザになればヤクザのルールに従わなければボコれるで

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん