先日、退社した私は電車に乗った。
そして疲れている。
この中で誰が真っ先に立ち上がりそうかを見極めてその人の前に立たなければならない。
次の駅で、70は超えているであろうおじいさんが私の横のぎりぎりの隙間に無理やり入り込んできた。私のバックを思いっきり肩でどついてくる。
おいふざけんな、と思いながらおじいさんをにらんだ。
直後、おじいさんの目の前に座っていた、私より少し年上であろう女性が耳からイヤホンを外していった。
「座りますか?」
おじいさんは一度断り、女性が食い下がり、もう一度おじいさんは断って、女性はわかりました、といってまたイヤホンをはめた。
その後、私の目の前の席が空いた。
わかっていた。わかっていたが、譲ることなく私は座ってしまった。
私は根本的な思いやりの心が欠落している。
昔からそうだ。
昔は、自分と同じ心を皆が持っていると思っていた。
しかし、何度も人を泣かせてようやく気付いた。
「自分が楽しいとき、人が泣いている。皆、一人ひとり別々の心を持っているのか。」と。
どうして姉は他人を思いやれるのに、私はそれができない。
どうして人にやさしくできない。
譲ってあげよう、許してあげよう、そう思うことができない。
ここ最近、ずっと付き合っていた人と別れた。
彼にずっと「お前は思いやりの心がない」と「自分さえよければいい人間」と言われていた。
最後の「お前は心が腐ってるんだろうな」
その言葉が忘れられない。
それを自覚できる、ひどい別れ方をした。
本当に好きだったが、結局私は思いやれなかった。
わからないのだ。思いやりの心が。
思いやりってなんだ?
ひたすらすべて我慢することか?
すべて笑って受け流すことか?
なんでも買い与えてやることか?
わからないんだよ助けてくれよ。
これからも生きているだけで人を傷つけてしまうなら、いっそ死んじまおうかなと思う。
やっぱりこの世界には少数派でありながら本物の欠陥品がいるんだろうな、わたしみたいな。
こうやって自分で自分に耐え切れなくなって自殺する、それしかないんだろう。
一刻も早く死ななくてはならない。私みたいな人間は。
皆はまともだ。うらやましいよ。
しゃぶれよ
気が利く事を出来るのって結局は心の余裕があるかどうかなんだよな。心に余裕があれば周囲が見れる。毎日忙しかったりストレスフルだったりする人間に対して気が利いた事をやれな...
まーた振られたことを「別れた」なんてオブラートに包んじゃう自意識過剰民か死ねよクソマ~ンが
おじいさんは、女性の膝の上に座りたかったんだよ 察してやれ