2019-06-15

死ね」と「殺す」について

個人としては、「死ね」っていうのは、ありとあらゆる言葉の中でも最底辺言葉だと思っている。

なぜなら、「この世から消えてほしい」という人間としてマイナス意味での究極の欲求

あまつさえ他人任せにして待ちの姿勢をとっているからだ。欲求をかなえるには行動するしかないと思っている。

では、「殺す」はどうかというと、「死ね」よりも程度は上(といっても最底辺の近くにいることは間違いない)

とは思っているが、2種類あると思う。

まず一つ目は、軽い気持ちで発せられた「殺す」という言葉だ。例えば、100万回殺害予告されたと自称している

弁護士先生に対する「殺す」などはこれに入るだろう。

これは一山いくらにもならない言葉であり、「死ね」と同じカテゴリーに入るだろう。

二つ目は、その人の全身全霊をかけて、「この世から消えてほしい」という欲求をかなえるため、

自分人生と引き換えに、他人の命を奪うという最も甚大な人権侵害を行おうと決意した故の「殺す」である

覚悟を持っていて、ひとつ1億円はくだらないほどの価値(もちろん、最低最悪ではあるが)のある「殺す」である

さて、私がネット上で常々気になっている人がツイッター上で「殺す」という言葉を発した。

特定個人ではなく、ある行動をした人に対しての言葉だったが。

彼(彼女)の「殺す」はいったいどちらだろう。

後者であってほしいことを願う。

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