人間として生活を営んでいると否が応でもたくさんの「ので」に遭遇する。
「ので」は便利な接続助詞だ。「ので」さえ使えば、「ので」の前の内容と後の内容がなんとなく論理的に繋がっているような気がする。特に日常会話の中では「ので」の前後の内容が多少繋がっていなくても流してしまう。
恋人が言った「寂しかったので浮気をしました」や新人の言った「忙しそうだったので報告しませんでした」など口頭で言われたらなんとなく流してしまうが、ちょっと立ち止まって考えてみるとおかしい。寂しい人間がみんな必ず浮気する訳ではないし、そもそも私が忙しそうにしてるのはあなたがいよいよヤバくなってからじゃないといつも報告してくれないからなのだ。
そんな中で近くの喫茶店で400円のコーヒーを買ったときに店員さんが毎回言ってくれる「1,000円お預かりしましたので600円のお返しです」は唯一の癒しだ。400円のものを買うために1,000円を払ったらいつでも誰でも必ず600円お釣りが来るはずだし、600円のお釣りをもらうために1,000円を払っている訳ではない。
「400円のものを支払うため1,000円預かったので600円お返しする」の「ので」ほど私の生活の中で納得のいく、反論のしようもない美しい「ので」は今のところ見当たらないのである。
なるほどですねー
「お腹が空いていたので、パンを食べた」も、お腹が空いてる人みんな必ずパン食べる訳じゃないから論理的に正しくないのか?
だがもし「お腹が空いていたので、食べた。パンを」だったら…?