小学校の時の級友、中学校の時の級友、高校の時の級友もとい先生などなど。
ありとあらゆる人々の名前と顔が、同じ空間にいた時、話した時の景色が出てくる。
サヴァン症候群?のように綿密に実際に描写できればいいのだけれど、あるのはリアルな景色の記憶のみ。
まぁそんな名前と顔とかに対する記憶の良さがあっても人間関係の構築はてんでダメでそれを活かせた局面はない。
よく世間は狭いというけれど、それを痛感させるがごとくFacebookというツールはなかなか憎らしい。
イジメ&無難に目立たずに過ごしていた故に、自分だけ一方的に覚えていて相手からは忘れ去られてしまっているという局面に直面する。
これは意外に心にくる。
anond:20180915112922