それもそのとおりだ。俺が言ったのは「今日まで太陽が昇ったので明日も陽は昇るだろう」ということに過ぎない。
議論は俺の負けだ。責任概念は仮想的なもので、罰が最も効率的に機能するポイントを意味する、と捉え直すこともできる。部分的に自由意志を放棄する方針は実際に有効たりうる。たとえば痴漢やアルコール依存症での犯罪を免責し、代わりに治療を強制する、というのもありかもしれない。自由意志を信奉する立場として、人間個人の主体性を尊重するいまの社会のあり方を誇らしいと思う一方で、思想をドラスティックに改革した方が実際的な被害者は少なく…社会全体の幸福の総量は増えるんじゃないか、という迷いはある。
反省することはある。たしかに不合理だと思う。
自由意志があると信ずる人間にとっては反省ーーいや、非難・糾弾と言い換えよう。責任がある、つまりその行動について主体的に自由意志で選択した、相手に向かって言葉でプレッシ...
非難でも反省でも、プレッシャーをかけることで何らかの行動を誘引しようとすることは、自由意志の存在を信じるか信じないかとは関係がない。
確かにそのとおりだ。刑務所は犯罪者を患者とし、服役という薬を与える病院だと考えることができる。 だけど、誰をどれだけ責めるかは、その犯罪について最も自由意志をもってい...
そこは自分も疑問なんだが、今の世の中は一定の条件のもとで行為者の自由意志を想定してる。そしてその自由の大きさに応じて責任も大きく認定される。 疑問というのは、これが道徳...
それもそのとおりだ。俺が言ったのは「今日まで太陽が昇ったので明日も陽は昇るだろう」ということに過ぎない。 議論は俺の負けだ。責任概念は仮想的なもので、罰が最も効率的に...