2018-06-18

[]アルテミジア・ジェンティレス

1593年、画家であるラツィオ・ジェンティレスキの娘として、ローマ生まれる。

弟たちと共に絵画を学ぶなかで次第に頭角を現した。

画家としては、カラヴァッジョの盟友であった父を通して、カラヴァッジョの影響を強く受けている。

女性であったせいで満足に絵画技法を学べないアルテミジアのために、オラツィオアゴティーノ・タッシという画家教師として雇った。

しかしアルテミジアが17歳のとき、タッシは強引にアルテミジアと関係を持った。

結婚をちらつかせていたもののタッシにその気はなく、それを知ったオラツィオ強姦の罪でタッシを告訴した。

タッシは余罪とあわせて2年間の懲役を課された。

その取り調べのなかで、アルテミジアは真実を明らかにするために、すすんで拷問を受けたという。

こういったエピソードのために、アルテミジアは後世にフェミニズム文脈で注目されることとなった。

その後、別の画家結婚したアルテミジアは、フィレンツェで大きな成功を収め、芸術アカデミーにも加入することができた。

ガリレオ・ガリレイとやりとりした手紙も残っているという。

夫と別れたあと、ローマヴェネツィアナポリ転々とした。

一時期、イギリス父親と共に仕事をしたが、オラツィオはまもなく亡くなり、その後はまたナポリに戻った。

亡くなった正確な時期は不明だが、1956年ごろに疫病で亡くなったとも。

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