2018-03-18

根性がない」「主体性がない」とは何なのか。

僕はよくいろんな人に「根性がない」「適当」だとか言われることが多い。

今まではそれでいいと思っていたし、むしろいいところだとすら思っていた。

社会人になって、気づいたがこの僕の特性はもしかすると、致命的なのではないかと思う。仕事をする時、指示を受ける、指示のとおりに行動する。それでいいと思っていた。

自分が考えるより自分より頭がいい人(上司)が考えた指示をそのままこなす。それの方が全体として良い結果が生まれると思っていた。というか、指示をそのまま実行しないやつって頭が悪いとすら、思っていたが、実際は違うらしい。

この考え方はよく考えると小学生の頃に付いた考え方なのかもしれない。ソフトボールをしている時、怖い監督がいた。怒られるのが怖くて、怖くて、ビクビクしながらソフトボールをしていた。だから、怒られないようにするためには、監督の言うとおりにすること。それが一番、穏便に済むし、怒られないようにする方法だった。大人になった今、監督に怒られないようにするという考え方は非常に他人のせいにしてると思う。自分の行動を人のせいにしている。自分の行動に責任を持っていない。

なぜなら、僕の行動は他人が考えたものであって、失敗したら僕のせいではなく、監督のせい。成功しても監督のせい。人のせいばっか。

自責とは何か。自分責任とはなにか。責任とは失敗した時の批判避難を受け入れるということ。

じゃ、どうすれば自分責任として受け入れ、他人のせいにしない、自分人生を生きることができるのか。それはやはり、自分で考えて、行動する。人の考えを鵜呑みにしない。たとえ、それが上司でも、社長でも、教授でも、ノーベル賞を取ったすごい頭のいい人でも、それはその人の考えであり、自分の考えではない。自分の考えを持とう。あらゆる人からインプットがあるが、それをアウトプットに変えよう。そうすれば、自分人生を生きることができるだろう。

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