metooは刑事や民事で訴えるような証拠集めや金や手間やリスクを必要とせず
もっと気軽に被害をみんなで口外し、話し合い、自省し、少しずつ世の中を良い方向に導こうという試みだった
加害者から謝罪や反省があることは望ましいが、それはあくまで副産物であり、metooの本質ではない
ところがはあちゅうは特定個人を訴えて攻撃(セクハラに対する反撃)するツールだと勘違いした
その結果、はあちゅう自身の軽微ながらも確実にセクハラである過去から現在に続く言動と思想が多くの人から批判された
metooの理念から言えば重度だろうが軽微だろうがセクハラやパワハラの被害は全て等しくなるべく多く発信するべきである
それを受けて己の行動を自省するきっかけになれば良いのだ
はあちゅうは(表向きには)己の行動を謝罪し、自省とセクハラとは何かを考え始めた
そして皆も野次馬ながらに考え始めた