2017-10-05

結局、読書なんて暇だから覚えたのだ

最近は娯楽が多い。

テレビ簡単に録画視聴ができる。

思い返せば、幼いころから冗談のように本を読んできたけど、それは時代の影響でもあろう。

今でこそ、読書というのは常習性がついて、一種快楽をもたらす娯楽であるけど、最初は違ったはずだ。

現代に生まれ育ったら、僕はきっと本を読んだりしなかった。

幼稚園の頃から、かぎっ子で、家にいても暇だった。

当時はビデオデッキが家にはなくて、アニメといえば夕方四時から始まるトム・ソーヤーを喜々として見ていたが、二時ごろに帰宅した後は、その時間までとにかく暇だった。

それで家にあった絵本を何度も読み返し、子供向けの図鑑をひたすらめくってトム・ソーヤーの開始を待ちわびていた。

今なら、うちの息子がそうであるように、録画したスポンジボブを何度も見返したり、Amazonビデオを見たり、youtubeを見たりしたのだろう。

結局、読書は暇を埋めるためのものなのだ

逆に、現代っ子読書家は、どうやって育つのだろうか。

物心ついた時には、手元にタブレット端末があれば、読書よりもゲーム動画視聴に使いそうな気がする。

そんな環境で育った読書家に聞いてみたいけど、それにはまだ何年か待たないといけないかね。

  • あなたはそうなのかもしれないが、知的レベルが高ければ違うと思う 知識が好奇心を掘り下げたければ受動的なメディアよりは読書の方が良い エンタメが好きだとしてもテレビよりは映...

    • まあ、その辺も含めて将来の読書家達に聞いてみないとわからんね。 知的レベルが高度で、その志向が読書に向くかと。 知識の習得ならまだしも、エンタメとしての刺激なら動画の方が...

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