これ以外の生き方を知らない。
ごめんですまないなら警察を呼べばいいでしょと言わんばかりの生き方だ。
謝るぐらいなら最初からするなと言われるのが嫌で引きこもりがちに生きてきたが、それでは生きていけなくなって外に出た。
でも謝る前に人に「これでいいですか?」を聞くことが出来ないから適当にやって問題を起こしてから「ごめんなさい」で生きている。
何で謝るよりも前の「これでいいですか?」が出来ないのか考えてみたのだが、きっと1から10まで人に聞いてやることで自分の存在意義が消えてしまうのが怖いのだろう。
全部人が教えてくれるならその人がやればいいと思ってしまう。
一度全部説明されてそれからその人のコピーとして働けばいいだけなのに、いきなり自分の存在意義を求めてしまう。
そういう生き方をし続けてきて気づけば他の生き方をしようとしても心身が付いていかなくなった。
これでいいとは思わないが、幼い頃にこれでいいと親に刷り込まれ、これで何とか誤魔化し生きてきたせいで方向の転換が出来ない。
自分という人間の柔軟性を使い切る前にこれじゃ駄目だと気づくべきだった。
きっと自分は「そう刷り込んだ親が悪いから」で言い訳しきって死ぬまで乗り切れると思い込んでいたのだ。
親と自分だけが全ての狭い世界の中に心の核を閉じ込めたまま長く生きすぎたのだ。
誰かが殻を破るのを待つのではなく、親が「殻を破っていいぞ」と言ってくれるのを待つのではなく、自分で殻を叩き割らなければいけなかったのだ。
心の殻はシガラミを纏って日々固くなり続け、自分が生まれ持っていたはずの自分を変化させるためのエネルギーは日々目減りし、もう殻を破けるかどうかギリギリの所まで来た。
それでも挑戦する必要がある。
エネルギーを集中させて殻を破らねば。
そうしなければ「親と自分だけの世界」に自分のコアを閉じ込められたまま残りの人生を歩むことになる。
覚悟を決めろ。
嘴を叩きつけるべきポイントを見極めろ。
お前の勇気がお前を救うのだ。
お前なんて他人行儀な言い方をまだしているのか。