多くの親は、子供に最低の望みとして「人に迷惑だけはかけるな」と言う。
飲んだくれのなまけものが「俺はろくでもないことを一杯してきたが人様に迷惑だけはかけなかった」と、自慢そうに言うのを聞いたことがある。
人に迷惑をかけないと言うのは、今の社会で一番疑われていないルールかもしれない。
しかしそれが、君達を縛っている。
一歩外へ出れば、電車に乗るのも、少ない石段をあがるのも、誰かの世話にならなければいけない。
迷惑をかけまいとすれば、外へ出ることができなくなってしまう。
しかしギリギリの迷惑は、良いんじゃないか。いや、かけなればいけないんじゃないか。
君達は普通の人が守っているルールは、自分達も守ろうと言うかもしれないが、私はそうじゃないと思う。
君達が町へ出て、電車に乗ったり、階段を上ったり、映画館へ入ったり、そんなことを自由に出来ないルールはおかしいんだ。
私はむしろ、堂々と胸を張って迷惑をかける決心をすべきだと思った。
歩き回れる人間のルールを、同じように守ろうとするから、おかしい。
守ろうとするから、歪む。
そうじゃないだろうか。
そう、階段でちょっと手伝わされるとか、切符を買ってやるとか、そんなことを迷惑だと考える方がおかしい。
どんどん頼めば良いんだ。
そうやって君達を街でのあちこちで、しょっちゅう見ていたら、並みの人間の応対の仕方も違ってくるんじゃないだろうか。
たまに会うだけだとみんな緊張して、親切にしすぎたり敬遠したりしてしまう。
だが、君達をしょっちゅう見ていたら、もっと何気なく手伝うことが出来るんじゃないだろうか。
そこのところを、私たちも君達も、しっかり認め合うことが必要があるんじゃないか。
しかし、世話になって、また世話になって、心を傷つけながら生きているより、世話になるのが当然なんだ。