今日祖父母が入居している老人ホームに家族で新年の挨拶に行った。
祖父母が入居しているのはいわゆる「サ高住」サービス付高齢者向け住宅というやつだ。
都心から遠く離れており、最寄り駅もどこかわからないような場所。
そこには独特の匂いが漂っており、訪れるたびにどこか隔絶された空間のように感じた。
祖父は痴呆が進んでおり家族でも認識ができない状態になっている。
僕は小さい頃祖父に本当に可愛がってもらった。
それだけに変わってしまった祖父の姿を見るたびにどこか寂しさを感じた。
人は歳をとる。
それはどうしようもないことだが、歳をとった先に痴呆になり、
自分が誰かさえもわからないのに、毎日生かされているなんて苦痛ではないか。
正直僕は自分自身としてはそんな状態になってまで生きていたいと思える自信がなかった。
将来、自分が歳をとったらそういう状態になる前にオランダとかに行って安楽死したい。
本気でそう思ってる。
苦労して頑張って生きて年老いた先にあるものって、虚しすぎやしないかー
そう思っていた。
帰り際になって、祖父母がベッドに隣同士に座って両親と喋っている時、
呆けて状況が理解できていないと思われる祖父の手を祖母が握っているのが気づいた。
それを祖母に言うと、祖母は「いつも”仲いいご夫婦ですね”って言われるのよ」と嬉しそうに言った。
祖父も照れたのか、噴き出すように笑った。
本当に祖父がわかっているのかはわからないが、その時の二人は幸せそうに見えた。
人生には生きている限り、不意にこういう瞬間が訪れるんじゃないか。
それを見て、歳をとるのは、生きていくっていうのはそんなに悪いもんじゃないのかな。とふと思った。
どんな状態になっても生きていくってことには理由があるなと感じた。
頑張って今年も生きよう。
元増田をdisりたいわけではなく、自分用のメモ。あとで書き直すか、削除する。 老化のしかたは人によって個人差が激しい。千差万別であり、一般的なことは言えない。 また、核家族...
老人ホームが満室で一時期家で介護してたけど、確かに子供にウンコの世話されて生き続けるのも悪くないかもしれないね。